色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、北京大学国際関係学部を卒業後、新卒で入社したリクルートを経て、Selan代表取締役に就任した樋口亜希(ひぐち・あき)さんです。
2020年には「Milken Institute Young Leaders」にも選出された樋口さんが、幼少期から色々な国や文化に触れてきた原体験から、「お迎え」×「英語学習」の「お迎えシスター」を立ち上げるに至った経緯などもお話していただきました!
幼少期に出会ったシスターたちから、事業のキッカケを見出す
ー樋口さんの自己紹介とこれまでの経歴を教えて下さい!
私は母が中国人、父が日本人という家庭で生まれ育ち、日本・アメリカ・中国で暮らした経験があります。大学は中国の北京大学を卒業するなど、幼少期からこれまで海外の文化や言語に触れる機会を数多く持ってきました。
私にとって言語を学ぶことは、その国の文化や風習など色々なことを学べるのですごく好きです。これまで日本語の他に、英語・中国語・韓国語を学んできました。
大学卒業後は新卒で株式会社リクルートキャリアに入社し、新卒部門の営業をしていたのですが、紆余曲折あって退職後に起業しました。
現在は、「お迎えシスター」という、バイリンガルのお姉さんが保育園や学童保育などのお迎えと、お家で英会話を教えるというサービスを行っています。
ー「お迎えシスター」とは、どんなサービスなのですか?
「お迎えシスター」は、5歳〜10歳の子を対象にしたお迎え×英語教育のサービスなんです。
お忙しい親御さんに代わってただお迎えに行くだけではなく、バイリンガルのシスターがお子さんをお迎えに行った後、お家で一緒に英会話や世界の国について学ぶ内容になっております。
様々な国のバックボーンを持つシスターと、時にはシリアの難民について調べたり、英語で理科の授業をやったりなど、色々なプログラムを発信しています!
直近では、新型コロナウイルスの影響もあり、オンラインに全て切り替えて英語のレッスンを行っています。
ーかなりユニークな事業内容ですが、そのサービスはなぜ思いついたのでしょう?
これを思いついたのは、私の原体験がキッカケです。
TV局に勤めていた母が、私が6歳の時に妹を出産しました。元々ハードワークな母がさらに非常に多忙になり、両親が家の近くの大学に「お迎えに言ってくれる方募集!」という張り紙をしたんです。
その張り紙を当時住んでいた場所の近くにあった留学生寮の近くに貼っていたらしく、6歳〜18歳になるまで、我が家にはバイリンガルなお姉さんたちが毎日代わる代わる家に来ていました。私も妹も家に居ながら留学をしている気分を得られましたし、両親もかなり助かったと言っていました。
その実体験があったので、この活動をすれば色々な家族がHappyになるのでは…と思い、最初は自分の趣味として自分も“シスター”として活動を開始し、気づけば経営者になって5年が経過していましたね!
ー原体験から起業につながったんですね。その幼少期の話をもう少し聞かせてください。
私の母が妹を出産した20年前は、働くお母さんという存在がまだ珍しい時代でした。専業主婦のお母さんがいつも家にいる友人を羨ましいな〜と思うこともありました。
お迎えに来てくれるお姉さんたちの存在もすごく好きでしたし、色々な国のことが学べて楽しかったけれど、実を言うと、両親ではない人がお迎えに来ることにちょっとした寂しさも感じていました。
家では毎日、お姉さんたちが作ってくれてトルコ料理や中国特有の“ヘビ鍋”が出てきたり、色々な文化や考え方を交えながら生きてきた私ですが、幼少期からしばらく「アイデンティティークライシス」に悩んでいました。「自分のアイデンティティーや、ルーツは、どこの国・文化のものなんだろう…」と分からなくなっていたんですね。
ーそんな時期をどうやって乗り越えたのですか?
幼い頃は、周囲と自分の家庭を比べて「なんでうちの家だけ…」と、悩むような時期が長くあったような気がします。ですが、10歳の時にアメリカのボストンに引っ越したのがターニングポイントでした。
最初に友人になった男の子は、耳が聞こえない男の子でした。その彼は、耳が聞こえない代わりにいつも通訳の方と一緒に登校していました。授業は通訳の方が手話をして、それを見て学ぶんです。日本では特別支援学校などがあり、障害を持った子と一緒に学ぶ機会が少ないと思うので、一緒の教室で授業を受けていること自体が大きな衝撃でした。
その時に素敵だったのが、私のクラスの担任の先生が特別に手話のクラスを作ってくれ、わざわざ外部から手話の先生を呼んでくれたんです!そのおかげで、彼1人が寂しくないようにクラス全員が手話ができるようになったんです。
その10歳の出来事が、多種多様な文化や人を受け入れる大きな経験になったと思います。
ーすごく素敵なご経験ですね。多民族国家のアメリカならではな感じがします!
本当にそうですね。幼少期から日本にいる時は、母が国籍や民族など“違うということ”を自然と感じていたのですが、アメリカには自分と同じような方々が沢山いました。インド系アメリカ人やアジア系の人もたくさんいて、国や人種は必ずしも全員一緒じゃないんだと思ったんです!それまでアイデンティティークライシスだった私にはすごく大きな出来事でした。
北京大学から新卒でリクルートキャリアへ。変えたかったのは「日本の就活」
ー大学は海外を選択されていますよね。北京大学に入学したキッカケは?
親の仕事の都合でアメリカと中国で生活してしばらくして、日本に帰国し、日本の大学に入学しました。入学後、昔住んでいた中国に留学しようと思い、少しだけ現地に行ってみたところ、私の母の母国で、私にとって半分のアイデンティティーである中国がすごく好きになったんです!
中国の学生さんにインタビューなどをしていたのですが、具体的に将来設計をしている学生さんが多いなと感じました。例えば、「お金持ちになるんだ」という夢を持っている方も、ただの夢ではなく生まれ育った村に寄付金を入れる仕組みを本気で考え、将来のゴールから逆算して優秀な大学に勉強しに来ている…というように具体的に将来設計をしている感じです。
中国の方々の熱量に影響を受け、日本の大学を数ヶ月で退学し、現地で受験勉強をした結果、北京大学へ入学しました!
ー北京大学といえば勉強量の多さが有名ですよね、かなりハードな日々を送っていたのでは?
北京大学では4年間ひたすら勉強の毎日で、言語のハードルもある中で必死に追いついて行きました。毛沢東の思想概論などあるんですよ。毛沢東の語録を暗記するような授業が全生徒必修なんです。中国らしいですよね。
他に面白かったのは、2010年〜12年頃、当時まだそこまで一般的ではなかったプログラミングが必修で、全員コードを書けないと卒業できない等ありました!とてもエキサイティングな授業が多かったです。
ーちなみにその北京大学にいる期間に、どのように就職活動をするのでしょうか?
海外の大学は9月入学で7月卒業なので、4月入社の日本企業は限られた企業しか受けられなかったです。私の場合は、キャリアフォーラムのようなものが北京でもあって、そこに来ていた日本企業の中で決めました!
ーそこから、最終的に新卒でリクルートへ。色々な選択肢がある中で、なぜリクルートへ?
これは元々大学にいる期間から決めている軸が関係しています。大学在学中に、様々な価値観や文化の中で育ってきた方にインタビューをしたりする中で、教育や進路などの“キャリア選択”に興味を持ち始めました。さらに、自分が就活を体験する中でよりその思いが強くなり、キャリアや教育、人材の事業を行っているリクルートに興味を持ったんです。
就活を開始した時、リクルートスーツの存在やエントリーシートなど、決められた型があるような日本独自の方式に衝撃を受けたんです。こんな型にハマっている採用プロセスって良いのかあと思うようになり、「日本の新卒採用の負を変えたい」と考え、株式会社リクルートキャリアのリクナビの部署に入社しました。
ーリクルートでのお仕事はどうでしたか?
新卒採用のあり方を変えたいと思い、リクナビの仕事をしていたのですが、採用をすぐ変えるのは難しいなと思いましたね…。
ただ、最近はリクルートスーツや、エントリーシートなどの文化を作ってきたリクルートが、一括採用に疑問を投げかけている姿勢が素晴らしいなと思ってみています。自分たちが作ってきたものを、自分たちで壊していく感じが、リクルートっぽいなと思います。
ー1年半の在籍期間で、特に印象に残っているお仕事は?
もともとあまり、仕事とプライベートをハッキリ分けて考えるタイプではないのですが、
お客様とすごく仲が良く、先輩から「独特な営業スタイルだよね」と言われたのを覚えています。私は9月入社なので、半年遅れで入社して営業研修などをそこまでやらずに働いていました。
当時、部署の数字を達成したい思いから取引先の社長に直談判しに行ったりとか、目標達成のために突き動かされてやっていました。
人は結局、人の想いで動くんじゃないかと思うことがあるので、何かを達成する時も人に助けられて頑張っていたような気がしています。人がお互いをヘルプしあって、目標を叶えていく営業スタイルが自分に合っていたと思いますね。
ー仕事が楽しかったのに、なぜリクルートを退職したんですか?
新卒採用のプロジェクトをしている中で、教育とキャリアのつながりを変えないと、新卒採用のあり方を変えるのは難しいなと感じることが多々ありました。その課題は社会システムの問題のみではなく、個人のマインドセットを変えることの方がインパクトもありそうと感じたんです。
幼少期の頃からの教育が、キャリア選択には欠かせないもので、左右するものなのでは…と考え、会社内でちょうどできたばかりの教育をテーマにした部署へ異動を申請しました。
ですが、新卒だった自分が即戦力を求められる新設の部署への異動をできる訳もなく、異動は5年かかると言われてしまったんです。そしてその翌日に退職を申請しました。
次に何も決まってなかった中でリクルートを退職し、空白の期間に自分の考えややりたいことをまとめる時間を作ることができてよかったです。
起業してから困難を乗り越え、再び「チーム」で走り出した
ーリクルートを退職後、転職ではなく起業だ!と思ったのはナゼですか?
転職活動もしていましたし、何も仕事がない期間にインタビューサイトを立ち上げたり、YouTubeでの発信を始めたり、色々なことに挑戦しました。半年間で300人もの人にお会いして、毎回「あなたのアイデンティティーを形成しているものは?」と聞いて回っていたんです。
そんな時に、ふと「自分のアイデンティティーを形成しているは何だろう?」と思った時に感じたのは、12年間自分に関わってくれた世界中の”シスターたち”でした。そこで、幼少期に自分の周りにもいた「お迎えシスター」を自分でやってみようと思いついたんです!
ーそこから起業に繋がったんですね!かなり注目されていましたよね。
そうなんです。立ち上げた時は2015年頃でして、まだ世の中的にベビーシッターのマッチング事業は珍しいサービスでした。
そのため、事業や私の活動がメディアに掲載されたり、すごく新規のお問い合わせが増えて嬉しかったですね。ですがその一方で、まだ社会人数年の自分が会社や経営のオペレーションもできるわけもなく、チームは崩壊寸前まで行ってしまいました。
立ち上げ当時は4人でやっていたのですが、私1人だけお客さんを伸ばすために突っ走って、オペレーションを担当してくれていた3人が、「もうついて行けない!」という感じに疲弊していたんです。
結局積み重なった不満を解消するのは難しく、私はメンバーの信頼を失くしてしまい、1人に戻ってしまいました。
ー1人になり、現在までどのように立て直したのでしょうか?
1人になって、これまで負担をかけてしまった自身のやり方を猛反省しました。リクルート時代は、かなり分業化しており、オペレーション専属の方々がいたので、その存在のありがたみを大きく実感しましたね。オペレーションをしてくれるメンバーとの信頼関係がないと、今の仕事も成り立たないと知ることができました。
今支えてくれているメンバーは、そのあと再度人を募集して集まってくれた方々です。人はそう簡単に変わるのは難しく、私もまだ反省すべき点は多々あるなと感じています。やることがどんどん増えていく中で、自分ができないことを受け入れてくれる仲間がいて、本当にありがたいなと思っています。
ー起業して困難を乗り越え、手応えを感じるようになったのはいつ頃ですか?
2〜3年目くらいでしょうか。
ある日、たまたま予定があった街で偶然会った同期と、そのままランチに行ったことがあったんです。その彼に、正直にその当時の仕事の状況やチームが分裂してしまったことをありのままお伝えしたんですね。そしたら、彼が大変興味を持ってくれて、その後COOとしてジョインしてくれました!
2017年くらいに彼1人が入ってから、かなり色々な面が整備されてきて、会社っぽく少しなってきたな〜と感じるようになりました・・・!その偶然の出会いが、大きな変化だったなと思います。
ー今後に関して、明確な目標などはありますか?
私は、最初から完璧なプランを決めるやり方はあまりしません。最初から決めるのではなく、やってみる中で「出会っていく」感覚なんじゃないかなあと思っています。
自分の目標ややりたいことに見つかる・出会うためには、とにかく行動量を増やすことが大切。私もお迎えシスターをはじめたキッカケが人との出会いだったので、なんでもいいから枠を決めずに行動してみて、結果出会っていくものかなと思っています!
ーでは、今後の事業のビジョンなど聞かせてください!
現在、新型コロナウイルスの影響でお迎えシスターもオンラインでの英会話レッスンなどにシフトしています。もともと数年後にオンライン化はやりたかったことでしたが、この状況で前倒しでできているなという感じです。
お迎えシスターには、約350人ほどの優秀なバイリンガルな先生たちが所属しているので、今後はもっとこの才能やパワーを、世界中に広げていきたいなと思っています。
また、もっとインターネットのパワーを使って、世界中に一緒に学ぶ仲間がいる・世界中にクラスメートがいるような環境を子供たちに作ってあげたいなと思っています!
ー最後に、10代や20代の方々に向けたメッセージをお願いいたします!
色々な思考回路を持っている方がいると思うのですが、日本の教育では「Why?」を考えずに、ある地点に向かって、ひたすら走ることが多いと思います。期末テストや受験などもある意味そうですね。
ですが、社会に出てからの仕事や経験は、“今”に集中することが重要だと感じています。今、目の前にあるものを最大化できないと、将来の最大化もできないのではないでしょうか。
あれこれ将来のことを考えて悩まずに、今を乗り越え頑張った人にしか良い将来は現れない…もし、皆さんが明るい未来を作りたいのであれば、今に120%全力投球してほしいなと思います!
ー素敵なメッセージ、ありがとうございました!
取材:西村創一朗
写真:樋口さん提供
デザイン:矢野拓実
文:Moe