ネパールで先生からシェアハウスの代表に?坂元裕星は心からの笑顔を守るために働く。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第252回目のゲストは、株式会社アオイエ代表取締役の坂元裕星さんです。もともとはサッカー少年だったという坂元さんが、ネパールでの経験を経て、シェアハウス事業を行う株式会社アオイエで代表を務めることになるまでのライフストーリーをお聞きしました。

経営者でありながら二度目の大学生を経験中

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

株式会社アオイエでシェアハウスの経営を行っています、坂元裕星です。また、現在はアメリカの大学の授業オンラインで受けている学生でもあります。直近ではシェアハウスの住民だった方からお声がけいただき、今年新しくできたサッカーチームにも所属しています!

ー経営されているシェアハウス、アオイエについてもう少し詳しく教えていただけますか。

もちろんです。アオイエは現在東京に11拠点、大阪と沖縄の拠点も加えると全部で17拠点あるシェアハウスで主に学生から若手社会人の方々が中心に住んでいます。私も元々は住民で、創業者の方に一緒に運営をやらないかと誘っていただいたことをきっかけに株式会社アオイエに入社しました。

アオイエの魅力は言葉で伝えるのが難しいのですが、アオイエはやりたいと思ったことを遠慮なく言える場だと思っています。変わりたい・成長したいという思いを持っている人にはぜひアオイエを選択肢の1つとして入れていただきたいです。

ーそして会社の代表を務められている一方で学生もされているとのことですが…

はい。日本の大学は卒業しているのですが、もう少し勉強したいという思いがあったので、これもまた住人の方繋がりで知った大学に入学を決めました。もう一度大学生として、今回はグローバルマインドリーダーシップについて学んでいます。

 

サッカー漬けの中学生活から文武両道を意識した高校生活

ー少し過去に遡ってお話も聞かせてください。どのような幼少期を過ごされていましたか。現在もされているサッカーは幼少期の頃から始められたのでしょうか。

こだわりの強い子供だったみたいです。物を定位置に戻すことにこだわっていたり、手が汚れるのが嫌だったり…父が転勤族だったので、幼少期は転校も経験しました。小学生の頃、茨城から福岡へ引っ越したのですが、茨城では当たり前だったことが福岡では当たり前ではないことを知り、衝撃を受けたのを今も覚えています。転校を経験したおかげで新しい環境への適応力は磨かれたなと思います。

サッカーは小学3年の頃に始め、その後一時期辞めていたのですが、小学6年の頃に再び再開しました。サッカーが大好きだったので、サッカーの強い学校に進学するため中学受験も経験しました。

ーそうだったのですね。中学はサッカー漬けの日々を過ごされていたのですか。

そうですね。中学時代は毎日のようにサッカーをしていて、気づいたら成績は下から数えたほうが早いくらいまで落ちていました。

勉強と部活の両立を意識するようになったのは、中学3年の時に学校の語学研修旅行でニュージーランドに行ったのがきっかけでした。現地滞在中にM6.3の地震を経験し、死んでもおかしくない状況を経験しました。たくさんの方が亡くなられた中、日本に無事帰国することができたのですが、帰国後すぐにに東日本大震災が起こりました。福岡にいたのでこちらは直接的な影響はなかったのですが、死を再び身近に感じる出来事でした。

この2つの地震をきっかけに、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、「亡くなられた方の分も生きないと。何事も頑張ろう」と思うようになったんです。中高一貫だったのでそのまま高校に進学したのですが、高校ではプロサッカー選手を目指して部活に励みながらも、勉強にもたくさんの時間を費やしました。

ー高校卒業後の進路についてはどのように考えられていましたか。

指定校推薦での進学を考えており、ご縁を感じたのが法政大学でした。小学生の時に遊戯王が大好きだったのですが、そのエンディングの歌を歌っていたのが法政大学出身の方でした。そして中学生の時にテレビでみた法政大学大学院の卒業式の様子が記憶に残っていた中、指定校推薦の一覧に法政大学を見つけたんです。

高校からの指定校推薦の場合、法政大学はキャリアデザイン学部しか選択肢がなかったのですが、これもまた勉強してみたい分野にかぶっていたのでぴったりでした。というのも、高校生の時に大怪我と失恋を同じタイミングで経験したのですがその時にたまたま出会った本「死ぬまでに仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉」にかなり救われて…その本の著者が経営者の方だったので、「会社の代表になれば人を救えるかも」と思い、起業家になりたいと考えるようになっていました。

 

ネパールで、心から笑顔でいるためには?を考えた

ーそして大学で上京されるんですね。

はい。高校時代、両親からいろいろと口出されたりするのが嫌だと感じていたこともあり、学費も生活費も全て自分で払うから干渉しないでほしいと両親に伝えて上京しました。その結果、バイトと勉強で大忙しの貧乏学生生活を送ることになりました。

そのバイト先で出会ったのがネパールから出稼ぎに来ている人たちだったのですが、彼らはどれだけ忙しくても明るくフレンドリーで一緒に働いていて楽しかったんです。逆に日本の社員さんは挨拶を全然しなかったり、常にイライラしていたり…何が違うのか気になり、彼らになぜそんなに楽しそうなのか、心にゆとりがあるのかと聞いてみたところ「とりあえずネパールに行ってみた方がいいよ!」と言われました(笑)ちょうどアルバイトでも有給をもらえることを知っていたので、早速有給を活用してネパールに行ってみることにしました。

ーなんと!初めてのネパールはいかがでしたか。

たまたまバイト先の友人が同時期にネパールにいたので、彼に基本は案内をしてもらいましたが、やはり笑顔な人が多いなという印象を受けましたね。が、現地で出会った方に日本の満員電車の話や日本では近所付き合いがなくなりつつある話などをしたところ、ネパールでもお金があればいいという考えの人も増えつつあり、取り繕った笑顔をする人も増えてきて悲しいという話をしてくれました。ネパールに行ったことでそれまで以上に、自分を含め、みんなが心から笑顔でいるためにはどうしたらいいのかと考えるようになったと思います。

ー帰国後はどのように過ごされたのでしょうか。

もう一度海外に行きたいという思いが強くなったので、トビタテ!留学JAPANに応募したのですが、選考に落ちてしまい…どうしようかと迷っていた時にネパールで学校を設立された方と繋がることができ、会ってみたところネパールで1年間学校の先生をしてみないかとお誘いただきました。すぐに決めて欲しいとのことだったので、その場で大学を休学することを決め、1ヶ月後にはネパールに渡りました。

ーすごいスピード感ですね。再び訪れたネパールはいかがでしたか。

ネパールのコタンというエリアへ行ったのですが、毎日お風呂に入れない生活、電気がないので暗くなったら寝るという生活を経験しました。村人同士が何かあった時は助け合い、シェアをするという文化がある村で、みんなで生きているという関係性を体感しました。こういった人間関係が築かれているからこそ、みんなが笑顔で過ごせているのだなと感じる貴重な経験となりました。

ー1年間のネパールでの経験を経て、現在にはどのように至ったのでしょうか。

帰国後の住む家を探していた時に、知り合いが紹介してくれたのがアオイエでした。同世代と一緒に住むことによってたくさんの学びや刺激があり、アオイエのようなシェアハウスに住んでいることで心からの笑顔が増えているという実感がありました。そんな実感があったからこそ、住み始めて2ヶ月の頃、創設者の方に一緒に運営をやらないかと誘われた時にやってみたいと思いました。本当はお金を貯めて起業をしようと考えていたのですが、アオイエというコミュニティの可能性に賭けてみようと思ったんです。

 

最強な大人を目指して、偶然を意味のあるものにしていく

ーそれ以降アオイエの運営に携わってきたとのことですが、これから代表としてどのようなシェアハウスにしていきたいと考えられているか教えていただけますか。

拠点数を増やしてコミュニティを広げたいという思いはあります。いつか海外にアオイエのコミュニティを広げていきたいですね。ですが直近の目標はアオイエのようなシェアハウスを必要としている人にアオイエのことを知っていただくこと。「アオイエのことを知っていたら住んでたのに…」と言われるのが今は正直1番悔しいです。お金や時間の制限から夢や目標を諦めてしまっている人に、アオイエの存在を知っていただけるようにもっと頑張りたいと思っています。

長期的な目標としては、アオイエが「日本で初めてベーシックインカムを導入したコミュニティ」と言われるようになりたいです。衣食住の全てを家賃に含められるように今後制度を充実させていきたいと考えています。

ー今後、シェアハウス経営の以外で取り組んでみたいことはありますか。

やっぱりいつかはネパールに恩返しがしたいと思っています。大学卒業後はまずは日本で自分にできることを、と思いアオイエの運営に携わることを決めましたが、将来的にはネパールに何か還元したいですね。

ネパールは1日1500人以上の方が出稼ぎに他国へ行くのですが、その多くは過労死して遺体でネパールに帰国していると言われています。私たちは海外へ観光や勉強が目的で行くことが多いですが、ネパールでは家族のために海外へ行く人が多数派なんです。そうせざるを得ないネパールの現状に何らかの形で貢献し、ネパールの人たちの笑顔を守ることができたらと思っています。そのために、今は日本で財力を蓄え、スキルを磨きたいと思います。

ーそうなんですね! 最後にはなりますが、もし大事にしている言葉や考え方があればぜひ教えてください。

計画された偶発性理論(偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこう)という考え方を大事にしています。偶然を意味のあるものにするための行動を積み重ねていきたいです。また、周りの人を心から笑顔にするために行動するということも引き続き大切にしていきたいと思っています。

目指すのは最強でかっこいい大人。今後も精進していきたいと思います!

 

取材者:高尾 有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter