歌舞伎町の若者の政治関心を引き上げる。国際政治を伝わる言葉に分解するホスト・楽の生き様

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第99回目のゲストは歌舞伎町ホストの楽さんです。

幼少期は、尊敬できる大人とできない大人に囲まれました。大学時代は、アカペラを辞め、学外との交流を増やしました。現在は、ホストとして歌舞伎町で働きながら、若者に政治との結びつきを作るために奮闘しています。

人材系の内定を蹴って、ホストとして歌舞伎町で活動する楽さん。アウトサイダーとして挑戦し続ける理由には、人と向き合い続ける姿勢と、自身のルーツである中東が鍵を握っていました。

主観を鍛え、他者との関わりを考え抜いた学校生活

ー周囲の大人が考える力に大きく影響した?

僕の周りは、尊敬できる大人とそうでない大人の両方がいました。家庭では、父親は周囲から尊敬され、優秀だし、昔からモテました。母親は、暴力をふるい、一度説教を始めたら何時間でもしつこく続ける人でした。本人だけが悪い訳ではないと思います。おそらく発達障害を持っている上、うつを発症していたものと思われます。精神病院に入院することもありました。学校では、教員が軒並み問題を起こしていました。教員同士のいじめ、僕の同級生に別の教員がセクハラ。小学5、6年で学級崩壊しました。

一方で、ボーイスカウトのリーダーたちは立派でカッコ良かったです。茶道の先生は教養がありました。つまり大人は全員が従うべき存在という訳でもなく、一方で正しいと考えられる存在もいます。誰を信用すべきか・すべきじゃないのかを、自分で考える力が育ちました。

ーカウンセラーになりたいのはいつからだったか?

高校生。高校1年の終わりで震災を経験しました。僕は当時、部活に打ち込むあまり、数学を100点満点で7点を取りました。最後のテストが3月で、震災の影響で流れました。テストが流れた関係で、先生方が手を尽くして下さったこともあり、救われました。震災のおかげで助かってしまい最悪の気持ちでした

罪滅ぼしをせねばと思いました。NPOを探し出し、連絡を取り、ボーイスカウトの仲間とボランティアに行きました。夏なので、仮設住宅環境がきつかったり。住宅の問題点を聞き回り行政に報告し、環境を改善するという建前ではありますがメインの目的は孤立して心の傷もうまく吐き出せない被災者の方に、会話のきっかけを作ることでした。ヒアリングで気づいたのは、ただ質問をすればいいのではなく、話し手の心理的安全を担保したり、話す内容を浮かびやすくさせるための仕掛けが何重にも必要だということです。家族を亡くした被災者にも会いました。重たい話を、抵抗なく引き出せるかは、カウンセリングに近いと思います。

ーアカペラ部で難攻不落の生物部を撃破?

僕は中学が公立で、高校が中高一貫の男子校でした。男子校なので、合唱コンクールの文化がありませんでした。共学出身者と合唱コンクールの思い出話をしたら、え、やらね?ってなって、うちの高校の先生に、ゴスペラーズの先輩に当たる人がいたので部活を立ち上げました。

文化祭で優勝した経験もあります。地道な票集めが優勝のカギでした。どうやって 2位を獲るかを戦略立てて臨みました。十数年間生物部が不動の王者でした。小学生たちに生き物を配っていました。小学生で票数は稼げません。したがって、保護者とナンパ待ちの女子高生を狙った選曲をしました。さらに、来場者の導線を読んでパフォーマンスをしました。

ー死にかけたことがある?

高校2年の夏、イラン最高峰のダマバンド山(頂上の標高5600m)に父と2人で挑戦しました。頂上が吹雪とのことで4200mくらいのところから引き返し下山したのですが、その途中でホワイトアウト(雪や霧で360°真っ白になり方向が分からなくなること)し、完全に広い山の中で孤立し遭難しました。自分はこうやってあっけなく17年の生涯を終えるのか…と絶望で目の前が真っ暗になりました。しかし登山経験が自分より浅いはずの父が冷静に振舞っている姿に勇気が奮い立ち、2人で知恵を絞ってどうにか方角の見当をつけました。結果奇跡的に目の前に登山口への道が現れ助かりました。
この経験から、「明日死ぬかも」論や「今(だけ)を生きる」思想には反対です。未来という概念を持ちそれに希望を抱けるのは唯一人間のみに許された特権です。希望があるから前に進める。第一、常に明日死んでも後悔がないように生きるなんて可能なのでしょうか。現在と未来の充実はトレードオフなのではなく、未来の希望を持って今を生きるから本当の意味で充実する。もし命に危険が迫ったら諦める前に最後まで最善を尽くすべきです。後悔しないよう生きるくらいなら、交通に注意を払い、防災グッズを揃え、余力があるなら護身術を習ってでも一度しかない命にしがみつくべきだと思うのです。

ージェンダーの違和感は共学から男子校への転換がきっかけ?

男子校の中身は見せられません。女性差別までとは言いませんが、「ブス、ビッチ」と多くの人が言います。そう言って強がりたいだけなのだろうと思いつつ、社会に出たら、無自覚に誰かを傷つけてしまいます。彼らだけが悪いわけではないのはそうなのですが、だからといって放置してよいものではないと思いました。人間をプロフィール情報ベースで物のように扱うのではなく、1人の人間として接するということに、まだ困難があるのだと感じます。

ー大学受験ではどんなことがあったか?

当初は心理学をやりたかったです。また歴史が好きで、幅広い学問として教養を中心に大学さがしをしました。数学で7点を取り、かつ世界史が得意だったにも関わらず、「数学は役に立つ学問なので僕は受験で数学を使います。」と言った僕に対し、先生方は爆笑しながらも温かい目で見守ってくださいました。1 年目は全落ちしましたが、浪人して、全部受かりました。浪人中に初めての恋愛を経験し、恥ずかしいですが毎日お互い結婚しようと話していました。夜8時ぐらいに、一緒に予備校を出ました。8時5分ぐらいに、新宿駅の改札前に到着しても、話が止まりません。気付いたら9時で、予備校の友人が横切り、「あいつらいるよ。」と笑われました。落ちたら一生後悔すると焦り、彼女を突き放しました。付き合いの経験が浅いゆえの愚行でした。

僕は合格しました。彼女は不合格でした。大学入学後2、3ヶ月は似た背格好をみて、彼女を思い出して振り返りました。抜けてる人だったので、受験番号見落とした〜。言ってきそうな気がして。

アカペラサークルを辞め、ホストの世界へ入り、自分のルーツの再発見に繋がる

ー大学に入ってからどのように過ごされたか?

高校の先生と同じ早稲田に入ったということで、ゴスペラーズが出身のアカペラサークルに入りました。サークルの部員は音楽に対して真剣でストイックでした。音の正確さをヘルツで測ったり、音楽理論の難しい方式を持ち出したり、マニアックな洋楽を探したり。音楽への熱は本当にすごい方ばかりでしたが、一方で他大のアカペラサークルをミーハーであると見下し、他者との間に線を引くことで自尊心を保とうという気持ちが見え隠れしている人は一定数いたのも事実でした。

また軍隊的な組織でもあり、「あたしを含め4年生は天皇であり、象徴的存在だ。実際に動くことがあってはならない。3年は将軍、1年生はピクミンだ。」と先輩に言われました。あそこで言い返せなく、後輩にも苦しい思いをさせました。大学2年の途中で抜けました。

ーとある企業でインターンをされた?

Huber.Incという会社です。訪日外国人観光客と日本人をマッチングするプラットフォームを提供してます。マッチングすると、日本人が外国人を案内する仕組みです。日本人は生活と観光に必要な知識を当たり前に持っています。具体的には、美味しいスポットや楽しい場所や電車の乗り方です。突然知らない国の空港に降り立った外国人はやはり不安な気持ちになります。海外生活における困難を考えながら、外国人をサポートしました。

卒業して作ったシェアハウスの考えもインターンから導き出きました。お互いの良さが見えるとコミュニケーションはプラスになります。食べ物は減る資産。食べ物は、人にあげる分減ります。しかし、シェアハウス空間は減りません。したがって、シェアハウスの人間関係は減りません。宿泊者と居住者の両方に開かれた空間なので、シェアハウスに関わる人は孤独感を軽減できます。例えば、田舎から上京し、よりどころがない人たちが宿泊します。簡単に手に入るので農作物を宿泊者がシェアハウスで受け取りました。価値交換で、空間のよさがより高まりました。

ーホストを始めたきっかけは?

直接の動機は先輩に金がないと相談したら、ホストを提案されたことです笑。しかしまた歌舞伎町は人間の欲が生々しく表れる空間で、人間の根源的な不満や苦悩を哲学するいい場所でもあります。ホストクラブに来るお客さんも働く人もそうです。その奥に貧困やジェンダー解決のヒントがあると思います。社会勉強の狙いもあり、飛び込むことにしました。

ー実は、就活もしていた?

大学卒業後は就職を考えていました。しかし、もやもやがありました。そのもやもやがはっきりしたのが卒業直前の旅行です。自分の原体験は中東です。現地の空気を思い出しに行こうとサウジアラビアに旅行し、中東に関わりたいと思いました。人材系は、中東と直接関われないので就職先じゃないと思いました。自分をごまかして就職するのはやめようと思いました。

ー中東にどんなルーツがあるの?

国際関係や世界平和を考える自分の根源は、湾岸戦争とイラク戦争です。湾岸戦争がなければ僕は生まれていませんでした。当時は父親が現地にに駐在していたのですが、戦争の影響で危険になり、外務省から通達があって、邦人が全員帰国しました。日本に帰国し父親が仕事が少ないので暇していたら、母親と出会いました。

2002年まで僕はUAEとカタールに住んでいました。帰国の翌年にイラク戦争が起きました。メディアから切り取られるイスラム像が僕の知る隣人の姿とかけ離れ、ショックを受けました。メディアは事実のまま伝えないと思いました。例えば近年でも、イスラム圏の人たちはラマダンで団結力を高めるとNHKが報道していました。しかし、ラマダンは断食を通じて貧しい人たちの思いを忘れないようにしようという習慣です。事実をあえて曲げるのは、裏で力が働いていると考えます。根本的な解決は外交の日本の交渉力を高め、海外の影響をしりぞけるしかありません。

ー具体的に中東とどのように関わりたい?

例えば、安全保障。メディアで軍事的な意味で多く使われます。安全保障は、生活の必要最低限だと僕は捉えます。自分たちが生きるために必要不可欠な安定供給が、広い意味での安全保障にあたります。よくニュースで言われる軍事的文脈での国土防衛も安全保障でありますが、その一部に過ぎません。具体的には、石油がなければ、食糧輸送や電力供給ができません。医療も安全保障の 1 つと言えます。日本は石油が取れないので、安全保障政策は海外に依存します。言い換えれば、日本は石油が弱点の1つになります。

外交の場面では、石油を止めると他国から圧力がかかれば、日本は譲らざるを得ません。今の世界は戦争はあまり起こりません。なぜなら、核兵器が溢れているからです。代わりに、貿易そのものやサイバー攻撃などが交渉の武器となりました。したがって、戦争状態と平和状態は境界が曖昧になります。例えば、日本が韓国に対し工業に必要な化学物質3 項目を輸出制限し韓国が大打撃を受けた。これも攻撃と捉えられます。

世界中の誰もが平和を願います。成し遂げられないのは、よりよい交渉を望むからです。自国の安全を守りたいが故に他国の安全を脅かします。これでは解決にならないので、僕はその根本を改善したいと考えています。しかし、外交は仕組み化できないため、都度交渉し続けることしか今はできません。なぜ仕組み化できないかというと、現代社会は、国家が百何十こあり世界が無秩序だからです。国家は一番強い権力を持っています。したがって、最終的な意思決定機関は国家です。

それゆえ、国家を超えた問題は対応できません。世界裁判所や世界立法機関が存在しないからです。したがって、罪を犯しても罰せられません。例えば、以前アメリカ大統領がイランの司令官を殺した事件がありました。しかし、仕組みがないので殺人罪に問われません。これが国際社会の現状です。300年後ぐらいに世界政府か国家を超えた機関の誕生を期待し、今は交渉で最悪の事態の回避を積み重ねるしかありません。その実現のために自分は外務省に入るか、試験などの関係で叶わなかった場合、大学に戻り研究をしようと考えています。

政治と歌舞伎町は、人間関係に置き換えると身近に感じる

ー外交官になり、中東と日本の架け橋とホストの仕事は、一見リンクしない。どんな風に楽さんの中で繋がる?

外交で勝つためには国内のコミュニケーションが必要です。しかし、ほとんどの人は外交に興味がありません。海外から日本へのプレッシャーに気づかないからです。海外の要求に日本人が意思表示をすれば、海外からの要求に抵抗できます。まずは関心を持ってもらうために、外交に関心がない層に、外交に限らず政治を伝えることが必要です。興味がないと、人は遠ざかります。歌舞伎町的な視点と外交の背景の結びつきに関心を持ってもらうことが自分の目標です。そして、歌舞伎町には人間の欲求が最も生々しく現れている場所。権力、金、自己の弱さと正当化し隠したい気持ち。他者を特定の尺度で上回ることで自分を保ちたい本音。自分の所属する何かに名前をつけることで孤独から逃れようとする集団依存。支配と被支配という関係の構築により自分が受け入れられているという証を可視化する行動。実はこういった人間の本能は、社会や政治を見る上で大きく繋がって来るのです。たとえばこの前、ナイナイの岡村が風俗をめぐる発言で炎上しましたが、この時の荒れ方や問題のこじれは、戦争の原因となる外交問題のこじれに例えて分析することができます。長くなるので割愛しますが、これについては今文章を書いているところなので、どこか別の場所で紹介すると思います。

ーホストクラブは政治や外交を学ぶ場所ではない。関心のスイッチをどう入れる?

テレビで名前は広まったので、自分自身に関心を持ってもらうのが一つ。もう一つは、面白く伝えることです。例えば、第一次世界大戦。きっかけはロシアとオーストリアの思惑の衝突でしたが、互いに味方を増やすため利害関係に基づき同盟を巡らせており、派閥対派閥の構図になっていました。自分の主張を守りたい思いがゆえに派閥を膨らませた結果悲惨な戦争に発展しました。国際関係は実生活の人間関係に応用できます。自分の主張を通したいときは自分一人よりも見方を作る性質があることがわかるため、問題の深刻化を防ぐには人間関係の構造を二極ではなく複雑にしておこうと行動の指針になります。

人間関係の悩みは誰でも抱えるので、国際関係をわかりやすく理屈っぽくない程度に伝えることを心がけています。海外の問題を身近な問題として少しずつ考えてもらえればと思います。

ー茶道とホストクラブ、茶道とセックスに共通点がある?

僕は売春に該当する行為はしていません。しかしながら、女性を理解し、そして少しでも満たされ幸せな気持ちにするために、セックスが重要なツールの1つなのは間違いありません(僕はヘテロセクシャルなので対象を仮に女性としていますが、どのような当事者であっても同じことが言えると思います。)。セックスほど、人を幸せにも不幸にもするものは存在しない。自分がモノにされている、消費されているような気持ちになれば、それはたとえパートナー間でも、性別を問わず自分の尊厳を危機に晒します。一方で、自分が本当の意味で大切にされている、リスペクトされていると感じてもらい、その人が自分自身をより好きになれるのもまたセックスの側面です。言葉で取り繕えないものを形として示すことができる。ありがたいことに今まで「料理もセックスも職人」「セックスしているだけでフェミニストなのが伝わる」「こんなことをされたら誰でも好きになってしまう」(さすがに大げさですが)といった評価を頂きました。しかし実はそこに至るためにヒントを与えてくれたのは、以外にも茶道でした。

ここに、コーヒーマグがあるとします。あなたはそれを、目の前の人に振る舞おうとしています。この時、渡し方は3通り。1つは、持ち手を相手の右(利き手)に向けない。2つめは、利き手の方にマグの持ち手が向かうように最初から持ち、そのまま置く。3つめは、持ち手を適当な方向に向けて置いた後、テーブルの上で回して向きを直す。2つめと3つめ、相手への心遣いで言えば一緒ですが、2つめは気持ちが形として伝わりません。一方3つめは、あえて回すことで「自分はもてなされている」と相手に感じさせることができます。「抹茶が出された時茶碗を回す」というのを知っている方も多いと思いますが、実はこんな意味があります。茶道にはこのように、相手を大切にする気持ちを形にするための様々な工夫が詰まっています

ホストクラブも同様、お酒の配置からドリンクの作り方、灰皿の扱いに至るまで細かく作法が決まっており、それら全てにお客様をもてなす上での理由があります。これは全く茶道と一緒です。
ではセックスにおいては具体的にどんな行動になるか。たとえば「私今日肌ちょっと荒れてるんだよね…」という言葉が会話にあったとします。もしセックスの時その荒れた肌に、たくさんキスをされたら、きっと相手は嬉しいのではないでしょうか。なぜならそれが、肌の状態に関係なく相手を大切に思っているというメッセージになるからです。言葉以上に相手への肯定になります。他には、ふと相手の手足が流れの中で下敷きになりそうな時よけてあげる、「こんな反応をしたら引かれないかな?」と不安に思っていそうだったら手を握る、こういったことの積み重ねが重要です。もちろん一番は愛のあるセックスだとして、では2番目にいいセックスは何か?これは僕の考えですが、「礼のあるセックス」だと思います。あまり生々しい話をするのもあれなのでこれぐらいにしますが、とにかく、セックスはもっとも人間が無防備な状態になる瞬間の1つ。性別を問わず誰もが不安です。そしてその不安の正体は、反応や行動1つ1つで自身の内面が簡単に晒されてしまうことです。相手にもっと自分を必要とされたい、尽くされたい、支配したい、支配されたい、挑戦的な言動をしているが逆にその分跳ね返してかまってほしい、などなど。相手の性格を注意深く観察し、それを受け入れてゆく。その繰り返し。逆に何か困ったことがあった時にメッセージをもらえれば一緒に考えることもできます。

ー日本人の何を守りたいのか?

僕は他者をある程度は放置すればいいと考えてます。自分が理解もしておらず直接の利害もないのに関わるのは問題を複雑にします。日本の世間は他者を放っておけません。放任できない世間を変えたい。守りたいのは、個人の意思です。

例えば、この本ですね。(「同調圧力」を画面で紹介。)この作品は、 同調圧力に屈さず正義を貫いたジャーナリストと官僚3人が自身に起きたことについて語る本です。同調圧力が強いこの国では、官邸から無言電話がきたりすることもあります。圧力に負けず、自分の意見を主張し続けるのは、国で貴重な存在です。どのようにどのような課題が組織にあり、3人がどう対処したか、対処できた 3人の背景が書かれています。

同調圧力 (角川新書) | 望月 衣塑子, 前川 喜平, マーティン・ファクラー |本

世間を気にして生きると、人々の協力を促せます。集団として高いパフォーマンスが出せるのは事実です。一方で世間には実体がありません。責任はとらない。そして、世間は感情的です。日本以外の国では歴史的に、立場が上がると、自由が増える構造でした。ゆえに人は自由を求め高い地位に向かい競争するのが一般的な歴史の流れでした。しかし立場が上がっても、日本人は自由がありません。世間がいろいろ口出しをするからです。政治家や社長であっても、同じように相応の振る舞いを求められます。

東条英機であっても、世間を忖度した側面があるのは事実です。それゆえはっきりと戦争責任の原因を歴史は言及できず「開戦の空気が高まった」となってしまいます。結果、うやむやに物事が進んでしまう。世間が全ての意思決定をします。世間は文句を言うだけですが、世間は罰せられません

最近のニュースでは、俳優がコロナの影響を心配し主役を降りました。コロナにかかったら世間は健康管理不足であると叩く。かといってコロナが理由で自分の役と仕事を放棄しても世間は攻撃します。そしてどうすればいいのかを示さないのが世間です。しかし、世間を壊すことはできません。渡り合いの精神が日本社会に浸透し、世の中が柔らかくなればいいと思います。

人間は誰しもが自由から逃れたいという本能を少なからず持っています。なぜなら判断するにはエネルギーを消費するからです。誰しもが自分の決定が正しいという根拠が欲しい。しかし1つ1つの行動について考え抜き自信を持つのは大変。ゆえに、何か大きな存在を拠り所にし、それに従うことで安心感を得ようとするのです。それは恋人かもしれない。国によっては宗教かもしれない。日本人の場合はその拠り所が「世間」になってしまいます。だから周囲から認められることをすることと、自己肯定感が直結してしまっているのです。

しかし、誰もが実は自分の意見を持っている。心の中のどこかで正しくないと思っていることを続けると、少しずつ自己嫌悪が溜まってゆく上、周囲と同じことをするだけの中で自分の存在意義を見失うこともあります。恐れずあなたが正しいと思ったことをすることで、あなたはより自分を好きになれるでしょう。

ー楽さんの実現したいビジョンは?

平和に生きていられればと思います。人が争わないのは結構難しい。人間は自分の命以上に自分の存在意義が大事です。自分の存在意義が危ぶまれると人間は死に向かったり、自分の存在意義を確かめるために人を傷つけます。

夜職の一部もアイデンティティの危機に晒され続けています。具体的には、風俗嬢は、風俗嬢として周りはみてくれません。風俗嬢に両親から満足な愛情を受けていない人が傾向として多いのは事実です。しかしそれとはまた別に、友達がいて、学校に通い、部活をしてたといった部分もまたその人の個性なのですが、そこがぼやけてしまう。しかし、風俗嬢となった瞬間、風俗嬢としかみられません。「風俗嬢」という言葉を使う裏にはしばしば、同じ人間として見るのではなく「風俗嬢とそうでない私たち」と線を引くニュアンスがあったりします。人は自分をはっきりさせるためにアイデンティティを作ったり、他者の主語を大きくしたりする。宗教?人種?性別?学校?職業?国籍?こういった本能がある限り、人間には常にどこでも争いの火種がくすぶっています。

人間同士の平和は構築が難しい。僕は治安のよさを後世に残せればいい。しかし僕の生きる時代で、平和の仕組み化は無理です。国家を超える意思決定機関ができるにはまだ数百年必要。だとしたら、そこに繋がるレンガの 1 ピースを乗せられればいいと思います。

取材:西村創一朗(Twitter
執筆:津島菜摘(note/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙