学生起業を経て、株式会社 RASHISA代表・岡本翔は「虐待問題」に挑む!

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。

第59回目のゲストは、大学在学中に起業家になり、人材ビジネスを経て事業を譲渡後、自らの経験を元に虐待問題に向き合い「株式会社 RASHISA」を立ち上げた岡本翔(おかもと・しょう)さんです。

ご自身のこれまでの半生と、事業譲渡するまでのストーリー、今後のビジョンに関して語っていただきました!

NBAプレイヤーを夢見た少年は、「起業家」という新たな夢を手に入れた

 

ー起業家である岡本さん、最初から起業しよう!と決めていたのですか?

高校3年生までの僕はバスケットボールに夢中で、もともとNBAプレイヤーになるんだ!と本気で目指していたんですよ。先日、不幸な事故で亡くなってしまったNBAのスター選手・コービー・ブライアントに憧れて目標にしていました。

小学校2年生でバスケットボールを始めたときは、高学年の先輩たちみたく上手にプレーができずにいじめられ、見返そうという気持ちでがむしゃらに頑張りました。その後、小学校6年の時に夏の県大会でベスト4になり、広島県の優秀選手に選ばれました!

中学入学後もバスケ中心の生活で、1年からレギュラーを勝ち取り、全国大会・県選抜ジュニアオールスターを目指していたのですが落選しました。そこで人生はじめての挫折を味わいました。

高校はバスケットボールの推薦で、毎年県大会にて好成績を収める強豪校へ。そこでも厳しい練習に耐え抜き、2年生になってからベンチ入り・レギュラーを掴み取るようになりました。しかし全国の壁ははるかに高く、結局3年生でバスケ選手への夢は諦めました。

ーNBAを諦めてしまったのはなぜ?

千葉遠征の一環で、ウインターカップというバスケの全国大会を観戦したんです。そこで全国の強豪校同士の試合を見たとき、レベルの違いを目の当たりにしました。また、顧問の先生からも「NBA選手になるのは難しいのでは」と言われてしまったこともあって、夢を自ら諦めてしまったんです。

結果的にバスケットの道を諦めたからこそ、今の起業家の道があるので自分の決断は間違っていなかったと思いますが、でももう少し選手として頑張っていても良かったのかなとも思いますね!

ー夢を失い、その後の目標はどう見つけたのでしょうか

夏のインターハイ予選が終わり、受験勉強が始まったのですが目標もないですし、何も手につかなかったですね。

当時僕は寮生活で、近所のツタヤによく通っており、その日もふらっと立ち寄っていました。そこでたまたま立ち読みした本が、高橋歩さんの『毎日が冒険』という本でした。

読んで、この生き方・この人生を目指そう!と思ったんです。

そこから、起業家を目指してビジネス書や自己啓発的本などを読み漁り、まずは起業家になるべくスキルを手に入れようと大学へ進学しました。

ー高校生ですでに起業家を目指していたんですね。大学ではどのような生活を?

大学1年生の頃、ネットワークビジネスに関することも本で読んで学んでいたのですが、

たまたまSNSで繋がった方に「ビジネスを教えてあげるよ!」と言われまんまとネットワークビジネスの勧誘にハマってしまいました(笑)

当時の貯金から20万円も初期投資に使ってしまったんです…結局1〜2ヶ月で「自分に向いていないな」と思って、9割ほど返金してもらって辞めました。

その後は、ヒッチハイクで日本一周をしたり、海外にバックパッカーとして旅したりしました!旅に出た理由は、ある社会人の方にお会いした時に「起業したいのは分かったけど、起業は手段でしかない。君が起業したいのは何が目的なの?」と言われ、その目的を探すためにしていました。

大学2年になった時、「人の人生を豊かにする仕事がしたい。教育の分野で起業がしたい」と奮起し、通っていた大学の近くに塾を立ち上げようとしたり、様々なインターンシップに参加したり活動をするようになりました!

ー教育の分野にしよう、と思い立った転機は?

日本一周のヒッチハイク旅やバックパッカーをしている時ですね。僕のSNSを見た友人が「おかしょーのSNS見て、俺も人生が楽しくなったよ」と言ってくれたんです。この一言がきっかけで、自分は人の人生を豊かに、楽しくしていきたい!と思ったんです。

 

大学を中退し、起業家としてのスタートは順風満帆に思えたが…?

ー岡本さんにとって、はじめての起業はどうでしたか?

大学3年時に起業をしてみて、最初は予想より上手く行ったと思います!

会社設立1期目は、九州の大学生の就職支援と東京の企業の採用支援を実施しました。特に、福岡でマッチングイベントを開催して、企業の母集団形成に役立ててもらっていました。

ただ2期目になって状況がガラッと変わりました。福岡から東京に上京し、新しい事業を始めようと思っていたけれど、それが上手く行かず数百万ほどの赤字に…。

新しい土地に行ったこと・新しいことへの挑戦が上手く行きませんでした。

ーその時は、どのような事業を目指していたのですか?

当時はIT×教育の分野で挑戦しようと思っていました。地方にいる学生のスキルアップ向けに、社会人のノウハウや情報を発信していくような教育ビジネスで、その社会人がいる会社を就職先としてマッチングさせるような仕組みです。ですが資金調達も上手くいかず赤字になり、1週間ほど就職活動をしました。会社も清算しようとまで思っていましたね。

その際、とある企業の人事の方に「おかしょーなら、もう少し頑張れるんじゃない? おかしょーに期待している人もいると思うよ」と言ってもらって、そこからまた何でもやってみようという意欲が湧いてきました。

就職活動を辞め、アルバイトをしながら業務委託で働いたり、空き時間は自分の挑戦に対する仮説検証をするみたいな日々を送っていました。期待してくれる人がいるなら頑張ろうと、資金づくりと起業の準備をしていました。

ーその後、再び事業をスタート!1回目の反省をどう活かしましたか?

これまでは自分のやりたいことを目的としたビジネスを目指していたけれど、今後は市場にフィットしたマーケットインなビジネスを目指し、社会から求められているサービスを立ち上げると決めました。

就活生の悩みや情報をひろいあげ、「就活相談をしたいけど相手がいない。人材会社は怪しいと感じてしまう」という声から就活生とキャリアアドバイザーが気軽に会えるサービスを生み出しました。

人材会社にいる知り合いに片っ端からアプローチして、人材会社のキャリアアドバイザーと大学生をマッチさせるような仕組みとサービスを作りました。それが「キャリアアドバイザードットコム」でした。

ーその事業をやってみて、いかがでしたか?

やってみて、キャリアアドバイザー側・学生側のニーズにフィットしたビジネスをやれている手応えを感じていましたね。福岡でやっていた事業は、口コミや知り合いがサービスに登録してくれていたけど、「キャリアアドバイザードットコム」は僕が知らない方もサービスに登録してくれるようになっていました。それは、福岡にいた時には感じなかった手応えでした。

また、このサービス経由で内定が決まった知らせを受けた時も、めちゃくちゃ嬉しかったですね!

ーそこから、事業譲渡したのはナゼ?

とある方との対話がキッカケで事業を譲渡して本来挑戦したかったことに踏み切ったんです。

そもそも、彼には出資依頼をしてお会いしました。結果的に今の株式会社RASHISAに出資してくれている株主の方なのですが、毎回ミーティングの度に僕の目的や事業内容、やりたいことに関して聞いてくれました。

3回目くらいのミーティングで、「おかしょーくんは、本当は何がやりたいの?」と聞かれた際に、「実は…」と僕はあることを打ち明けようと思ったんです。それが僕の生い立ちと家族のことでした。

実は、僕は虐待を受けていたんです。きょうだいも似たような境遇です。そのような原体験から「虐待問題」には関心があったのですが、一歩踏み出せずにいました。本当は虐待されてしまった人のために何かをしてみたいという思いはずっと胸の中にありました。

でも僕は20代で事業を一度失敗しているし、まずはお金と社会的信用を得て、事業の創り方を知った上で30代で虐待問題に向き合おうと思っていました。

そのことを出資者である彼にお伝えしたら「ぜったい、今やった方が良いよ。」と言ってくださり、応援(出資も)してくれることになって。そこから僕の虐待問題への取り組みをはじめました。そのため、キャリアアドバイザードットコムを事業譲渡しました。

 

虐待サバイバーとして、「虐待を未然に防ぎたい」と事業を開始!

photo:吉野かぁこ

ーこういった家庭内のドメスティックな社会課題を解決するのって難しいですよね。

やはり難しいと感じています。でもいつかは、虐待を未然に防ぐ何かしらの事をやりたいと思います。ただ、今はまだ準備が必要なこともあるので、虐待が原因で苦しんでいる方に伴走している事業をしています。

ー具体的にはどんな事業を?

株式会社 RASHISAでは、虐待を受けたことがきっかけで何かしらの後遺症を抱えており、正社員として働くことが困難な方を対象に、ライティング教育事業と企業様のコンテンツマーケティング事業を行っています。

例えば、虐待がきっかけで対人恐怖症で人と話すのが出来なくなってしまった方やメンタルが不安定で週5日働くことが難しい状態の方…正社員として働けない方を対象に、我々がライティング教育で文字をしっかり書くことが出来るようなスキル育成を行い、彼らの収入と、社会との接続の場を作ることをしています。

ー虐待を受けて育った方には、どのような課題があるのでしょうか

児童養護施設で育った子は“一般的な社会人”になりづらいのかなと思います。これは一例にしかすぎないですが、全国の高校から大学にいく進学率は一般的には8〜9割と言われていますが、児童養護施設の場合は進学率が1〜2割ほど。8〜9割は進学せずに働き出す方が多いんです。ですが、そのうち40%ほどは3年以内に辞めているというデータもあります。

それは、やはり社会人としての適性が整っていない中で社会に飛び出すのが難しい、施設退所後のサポートがないことが原因だと思っています。

ー被虐待者になぜライティングの支援をしようと考えたのでしょう?

2019年の9月に虐待問題に向き合おうと決めてから、最初は“虐待サバイバー(虐待経験を乗り越え生き抜こうとしている方々)”に特化した人材紹介事業をはじめました。しかし人材紹介は難しいと気づきました。

なぜなら、被虐待者の方々は選考に上がる前に、何かしら正社員として働くには厳しい後遺症や困難を抱えていたからです。

となると仕事先を探すよりも、我々が仕事先になったほうが被虐待者のためにも良いのではと感じたんです。

その上でどんな仕事内容ならマッチするのか…を考えた時にライティング事業とコンテンツマーケティング事業にたどり着きました。この事業は2020年の4月からはじめたばかりですが、現在10名ほどの虐待サバイバーの方と4社ほどの企業様の伴走をさせてもらっています。

ー事業をやっていて、手応えは感じますか?

はい!感じています。

先日、制作したものを納品したクライアントさんから「いい記事ですね」と満足いただけるフィードバックをいただき、すごく嬉しい気持ちになりました!

事業としても立ち上げフェーズですし、新型コロナウイルスの影響もあって営業先もなかなか開拓しづらいですが、これから案件も増やしていきたいなと思っています。

現在、働き手の登録は20名いて、うち半分は被虐待者です。先日、働き手である対人恐怖症の被虐待者のユーザーさんから「すごく楽しいです」というコメントをいただいたことも励みになっています。今後はこの事業でしばらく進めていきたいなと思っています!

ー今後挑戦しようと考えていることはありますか?

我々の会社は、働き手である虐待サバイバー側に認知してほしい姿と、クライアントである企業側に認知してほしい姿が異なるのが難しい部分です。

案件をいただく上で、コンテンツマーケティングをやっている会社として認知してほしいので、2つの目的でオンラインサロンを立ち上げました!2020年4月からスタートして現在会員は10名ほどです。

1つ目の目的は、コンテンツマーケティングをする上でマーケターの方々の力が我々にはどうしても必要なので、我々のビジョンに共感してくれるマーケターの方とお会いできるような場を作りたいと思って開催しています。2つ目は、リード獲得です。

そこで、月1回コンテンツマーケティング×WEBのウェビナーやユーザーさん同士の交流会(オンライン飲み)を実施しようと思っています!

 

転んでもまた立ち上がる、岡本さんの生きるパワーの源とは?

ー25年の人生で数々の浮き沈みをしてきたと思うのですが、立ち上がる力はどこから湧いてくるのでしょう?

これは結果論ですが、「目的」と「仲間」ですね。

会社を清算しようとした時は、とある方が背中を押してくれました。業務委託として1人で働いた時は辛かったことも多かったですが、事業をやるという目的があったのでがんばれたし楽しかった。そして今はパートナーで居てくれる方と仕事も楽しく出来ているし、難しい虐待問題にも向き合う目的を持って日々乗り越えようと頑張っています。虐待を未然に防ぎたいという強い目的意識があるから頑張れます!

ー怖気づく方も多い中、色々なことに挑戦しようと思う意志の強さはどこから?

大学生の時に旅をした経験が大きかったですね。新しい事、新しい世界に足を踏み入れるワクワク感をそこで味わいました。

また、少し表現が難しいのですが、虐待というまだまだ課題が山積みのことに立ち向かうそのものが、僕はすごく楽しいんです。難しい状況や課題に立ち向かえるそのものが面白いと思います。そういった楽しさ・ワクワクから来る感情が僕の原動力になっています。

ー虐待問題に立ち向かう中で、難しいと感じることは?

まず、自分の経験についてお伝えすると、対人恐怖症のユーザーさんに向き合うときは難しいなと思うこともあります。電話でお話する時はちゃんとお話が出来る方なのですが、どこかで見えない生きづらさ・辛い問題を抱えているかもしれない。

でもそれは僕には100%分かってあげられない問題で、そういった部分にどこまで踏み込んで良いのかが分からない時はあります。そのため、言葉選び・間・話すスピードはすごく考えます。自分に持っていない個性を持つ方との接し方は注意して考えています。

ー虐待サバイバーのために、チャレンジしたいことや長期的なビジョンはありますか?

やはり、虐待を未然に防ぐことですね。相談件数は、児童養護施設に届いていないだけで、見つかっていない虐待はまだたくさん潜んでいます。我々は虐待の相談件数を減らしたいと考え、3年後には取り組みたいと考えている具体的なアプローチ方法が2つあります。

まずはお母さんに対するアプローチ。

実は虐待の6割ほどが実の母親からというデータがあります。これは母親を取り巻く貧困問題や孤独感・閉塞感など様々な問題が原因とも言えます。こうした虐待に至ってしまう社会課題の解決も取り組みたいです。

もう一つは、赤ちゃんが虐待を受けることを防ぎたいと思います。まだ具体的にコレ!と決まっている訳ではないのですが、いつかは取り組みたいなと思っています。

ー今の事業で、今後乗り越えたいと思う壁は?

虐待の、社会からの捉えられ方はまだまだ良くないイメージがこびりついていると思います。例えば、クライアントさんやユーザーさんに事業内容についてお伝えすると、「それって大丈夫なの?」とネガティブに捉えられてします。

これをいかに「そんなことないよ」と伝えても、分かってもらえるかは難しい。

虐待をおもしろおかしく扱いたいとかでは決してなく、虐待という問題に向き合っていく事業をやる上で真剣に、見せ方やネガティブイメージを乗り越えていきたいと思っています。この壁はいつかぜったいに乗り越えたいです!

ーおかしょーさんの、当事者としての強い思いを聞けました。ありがとうございました!

 

取材:西村創一朗
写真:岡本さん提供
デザイン:渡辺梓
文:Moe