信頼のベーシックインカムを作りたい ー そう話すのは、信頼の研究をしているというエール株式会社の北村勇気さん。
北村さんは、学生時代に茶道家として活躍したのち、株式会社ビズリーチとエール株式会社の創業期に参画。現在はオンラインコーチングサービス「YeLL」のマーケティングを担当されています。
茶道家として活躍する一方で、人間不信に陥っていたという学生時代。そこから「信頼」を取り戻すまで、どんなことがあったのか。また、どんな想いが北村さんを支えているのか。マーケティングのお話から苦労の乗り越え方まで、幅広くお話を伺いました。
茶道家×和空間デザインの仕事で稼ぐ学生時代
ー まず、学生時代からの略歴を教えてください。
学生時代は、青山学院大学に通いながら20歳から2~3年ほど茶道家として活動していました。物心がつく頃から、茶道と華道をずっとやっていたんです。それで、学生時代はいろんな人に茶道を教えたり、空間デザインに取り組んでいたりしていました。
大学を卒業したら茶道家として生きていこうと思っていたので、あまり就活というものを考えていませんでした。そんな中で、たまたまビズリーチの代表である南さんに会うタイミングがあって、2014年4月に新卒でビズリーチに入社することに。
ビズリーチにいたのは半年くらいで、その翌月からは、エール株式会社の前身となる会社に入社しました。その会社の立ち上げから携わり、それ以降は事業開発・マーケティングを中心に担当しています。
ー そもそも茶道にのめり込んだきっかけは何だったんですか?
大学で茶道部に入ったことですかね。茶道はもともと自分でやっていたので、大学で部活に入る気はなかったんです。だけど、たまたま茶道部に声をかけられて。とてもいい師匠に巡り会えたことからさらに茶道が楽しくなり、それからほぼ週7で茶道をやるようになりました。
茶道って、人によって解釈や語る歴史も違うし、昔やっていた流派と部活での流派も違っていたので、その違いを認識したからこそ、面白さと奥深さを感じられたんです。
ー 学生時代から茶道家として生計を立てていたそうですね。
学費を稼いでいた、という感じです。茶道教室みたいな形で、生徒さんに月謝をもらうというのが基本スタイルで、途中からは駄菓子屋さんとコラボして新しい商品を作ったり、百貨店の和に関する催事でフロア全体の空間デザインをやったりしていました。
ー どうやって茶道教室に生徒さんを集めたんですか?
最初は周りの友達に声をかけていったんですが、みんな学生でお金がなくて、1回のイベントで出せるのは2,000円くらいが精一杯。これじゃ難しいなと思ったので、和菓子さんとコラボしてワークショップなどを始めたんですよ。そうしたら私の知り合いじゃないところから、大人の人たちが来るようになって。
「日曜の朝に表参道で茶道やるのめっちゃいい!」といった感じの口コミで広がっていったんです。茶道はもともと日本の文化の1つですが、もはや日常とかけ離れているので、日本人であっても異文化のような感覚で捉える人が最近は特に多いんですね。多かったのは、20~30代の女性。主に社会人の方でした。多いときは20人くらいの生徒さんがいましたね。
ー 今でいうイベントマーケティングですね。だけど、学生が大人の方々に教えるっていうのは心理的なハードルも高いと思うし、ずっと通い続けてもらったり口コミで広げてもらったりするのは大変だと思うのですが。
もともと私自身、1対1〜3くらいの少人数で話して良い関係を築くことが得意だし、好きだったんです。茶道は少人数と接する場合が多いので、自然とみなさんと仲良くなれたんだと思います。逆に、大人数相手だと難しかったでしょうね。
ー 空間デザインのお仕事をするきっかけは何だったんでしょう?
「和空間」というものが小さい頃から大好きだったんですよね。秋田で日本建築を生業にする家に生まれたため、古い建物や空間をつくる現場をたくさん見て手伝ったりしていたんです。それが影響していると思います。
茶道では、和室の中に掛け軸お花など色々なものがあって一つの空間を成すんですけど、どうやったらもっと心地良い空間になるんだろう?ということを考えるのも好きでした。そうしたらあるとき、「そんなに好きだったら、畳の空間じゃなくてもできるんじゃない?うちのお店やってみない?」と言われたのがきっかけで、空間デザインのお仕事も始めることになったんです。
なりたい自分像を思い描き、ビズリーチへ入社
ー茶道教室や空間デザインのお仕事ですでに稼げていたと思うんですが、そんな中でビズリーチに就職された北村さん。そこまで方向性を変えたビズリーチの南さんとは、どのように出会ったんですか?
茶道以外にも、「働く目的について語り合う」というキャリア系の社団法人もやっていたんですよ。そのイベントでビズリーチの新卒採用の方と知り合って、後日、オフィスに遊びに行くことに。本当に遊びに行く感覚で、茶道帰りに着物で行ったんです(笑)だけど行ったら突然、代表の南さんと会うことになって、「茶道で食ってるやつ初めて見た。面白い!」と言われ、気がついたら採用されていました。
ー 茶道で生きて行くと考えていた中、その出会いで生きる道をピボットしたわけですね。なにか惹きつけるものがあったんでしょうか。
採用が決まってから、自分でいろいろと振り返りながら考えました。ビズリーチがいいなと思った理由は2つあって、ひとつは南さんの人柄です。人を惹きつける力がすごい。そんな力を持つ人は数多く存在すると思いますが、もうその力が圧倒的だったんですね。純粋に憧れました。そしてもうひとつは、茶道の家元の人間ではない自分が茶道をやり続けることに対して疑問を持っていたからです。
いわゆる家元のような昔から続く家の人たち、そしてその世界が好きで好きで仕方なくて芸を磨き続けるような方が、世界に対して発信できて広がっていくというほうがいい、と少し前から思っていたんです。自分より、広げる適任者がいるよなと。
だったらそういう人たちをサポートできる側の人間になったほうが、より茶道の世界を大きくできるんじゃないかな、と。アーティスト側ではなく、ビジネス側に回った方がいいかもしれない、と思ったのが大きな理由ですね。
他にも幅広くいくつかの企業から内定をもらっていたんですが、どこも新卒はまず地方営業から始まって、東京に戻るのが5~8年後だと聞いたんです。「茶道の世界を大きくしたい。でも、衰退するこの世界のことを考えると猶予も少ない」と思っている自分にとって、その期間は長すぎると感じたので、なりたい自分の姿を考えた結果、ビズリーチに入社を決めました。
ー そんな出会いがあったビズリーチを、入社半年で辞めた理由とは?
どんどん環境が変わってしまったからです。誘われたときは数十人規模の企業だったんですが、入社したタイミングでは200人、辞める頃には400人くらいにまで成長。もともと、事業を大きくするというところを経験しながら、自分でもできるようになりたいと思っていたんです。でも、この規模だと自分がそっち側に行くのは時間がかかりそうだなと思いました。
そんなときに、今の会社(エール株式会社)の創業社長から「一人で会社をやり始めているところだから一緒にやらないか」と誘われたんです。
ー 創業社長から誘われて、そちらへ移ったわけですね。なぜ北村さんに白羽の矢が立ったんでしょう?
私が19歳のときに初めてエールの創業社長に会って、一緒に社団法人を立ち上げ、組織を大きくするというプロセスを共にしていました。その信頼関係があり、そして彼と同じような信念があったからじゃないかな、と思っています。
強い想いがあったから踏ん張れたスタートアップ創業期
ー 北村さん自身、スタートアップに飛び込むのは大変じゃなかったですか?
しんどかったですね。最初は創業代表CEOとCTO、私の3人でやっていたんですが、私以外の2人は2016~2017年の間に辞めて、もういないんです。ほぼ総入れ替えですね。創業メンバーだと、私だけが残ったという状態でした。
ー そんな状況で、どうやって踏ん張っていったんですか?
ビズリーチをすぐに辞めてしまったことが、エールを続ける覚悟に繋がっていました。辞めたのはもちろん考えてのことですが、自分の弱さも大きかった。好きな道を見つけたからといって、すぐにその職場を去るという判断をしたのは、人間として未熟だったなと。
会社という枠の中で愚直にやり続けるという道もあったにも関わらず、そこで辞める決断をしたのは、会社の皆さんへの誠実さに欠けていましたね。思い返すと。ベンチャーが新卒を採用するなんて、リスクだし投資じゃないですか。それを裏切ってしまったことにとても申し訳ないと思うと共に、だからこそせめて違う場所でも死に物狂いで社会に貢献しないとな、と思っていました。
そうしないと自分を仲間に入れてくれたビズリーチの皆さんの目を見ることができない。辞めたけど、「こうして誰かのためになる事業を作り続けている」ということが、せめてもの恩返しになると考えていました。
また、その上でエールは「信頼が循環する社会を作りたい」という想いがあってやっていたことなので、「しんどいけど本当に尽き果てるまで続けたい」という気持ちがあって踏ん張れたんだと思います。
ー 人ではなくミッションにコミットしていたからこそ、辞めずに続けられたということですね。エールの創業から5年経った今、北村さんの役割はどのようなものでしょうか?
基本的には、マーケティングと法務の統括をしています。たとえば、サポーターって今はだいたい400人くらいが世界中にいて、来年2000人に増える予定なんです。その母集団形成、そして採用や教育スキームをつくるというのはもちろんのこと、彼ら彼女らが楽しく自己実現に繋がる形でやるためにはどうしたらいいか……といったことを考えています。「働く楽しさがつながる世界」とビジョンを定義していますが、そのためには「どんな人にでも信頼が担保される社会をつくる」というのが大事だと思っているんですよね。その信頼を提供するのが、サポーターなんです。
エール株式会社とは
大企業や急成長ベンチャー企業に、クラウドコーチングサービス「YeLL」を提供。膨大な性格/会話データを元にAIで算出した最適な相性のサポーターが、1対1の会話を通して社員の強みや価値観を引き出し自己理解と行動変容を生み出す。また、そのデータから組織への最適なフィードバックを実施。サポーター登録者は世界中で400名を越える国内最大手企業。 |
ー 海外だと一人ひとりに社外のメンターやコーチがつく、というのは当然の文化としてあると思うんですけど、日本には今まで全然なかった文化ですよね。
事業を始めた2015年頃は、たしかにそのような文化は全くなかったです。人事施策として最近よく行われている「1on1」も、2017年くらいから出始めました。コーチングやカウンセリングといった言葉も、数年前と比べたらたくさん聞くようになりましたよね。テクノロジーが発展するのと同時に、一対一の言語コミュニケーションや人間関係、そして幸福などの感情が大切だと言われるようになるのは嬉しい限りです。
「信頼を増やしたい」北村さんが大切にしている軸
ー お話を伺っていると、人に声をかけられて身構えることなくチャレンジした結果、いろいろなチャンスを引き寄せてこられたのかなと感じます。北村さんは行動されるとき、どんなことを大切にされているんでしょう?
私が根本的に大事にしているのが、「絶対的な信頼」です。信頼してくれる人がいる、頼る頼られるっている関係性が成立しているのが大事だなと思っています。
17歳のとき、関東圏の中高生が集まる学生団体の幹部をやっていました。だけどあるとき、他の幹部との意見のズレでクビになって一気に200人くらいの友達を失うことがあったんです。それがけっこう辛くて。大学生になってからも、「誰かに好かれたい」「信じて欲しい」と思いつつ、人間不信になってしまっている自分がいました。
ー その人間不信は今も続いているんですか?
いえ、21歳の時に転換期があったんです。大学でいつも自分を遊びに誘ってくれたり話しかけてくれたりする同級生がいたんですよ。その同級生と飲みに行ったときに過去の話をして、「正直、人のこと信頼してないんだ。お前のことも信頼していない」って言ったんですよ。
そうしたら、彼は「別にそう思われるのはどうでもいいんだけど、過去のことだし、俺は俺でお前のこと信頼してるからそれでいいんじゃない。友達でいようよ」と言ってくれて。それを聞いた瞬間、大号泣したのを覚えていますね。その時に初めて信頼されてるという実感があって、救われたんです。そこから、誰かのために何かやろう、好きなことをやろうと思えるようになりました。
自分は、たまたま運良く信頼してくれる人がいたから救われた。でも「運が悪くて信頼してくれる人がいないという人もたくさんいるだろうな」とも思ったんです。だから、私が感じたような信頼がもっと増えていったらいいなと、そう思っています。
ー そのご友人のように、(自分を)信頼してくれたと思ったから信頼できるものなのか、自ら主体的に信頼を人に振り向けられるようになったのか、どちらでしょう?
最初は信頼を受けなきゃ返せないっていう人間だったと思います。ただ、この数年で改めて思ったのは、「されたからする」ではなく、どんな状態でも「自分からする」というのが大事だなということ。
見返りなんて考えず、信頼したい人や応援したい人に対して自ら目を向けGIVEすることが大事だなと思っています。でもそれは、おそらく自分に余白がないと難しいんですよね。人の状態によって、受けられたり受けられなかったりする。最低限の担保が難しい。だからこそ、必要な人に最低限の信頼を届けられるインフラを作りたいです。
ー 信頼されたいなら自分から、ということですね。そういう経緯があって、今のエールの事業につながっているわけですね。
今いろんな企業の中で、コミュニケーション不全がたくさん起きていると思うんです。「1on1」という言葉をよく耳にしますけど、それが上手くいくのは相当難しいです。上司というのは、コミュニケーションの専門家ではありませんから。
マネジメントには、業務やチームの生産性をあげるものと、チームメンバーのフォローをするような人間的マネジメントの2つがあると思っていて。後者は、やったことがない人、得意でない人が多いんです。そこで、「人間的マネジメントは外部に任せ、上司の皆さんは生産性向上に力を注いでくださいね、そんなマネジメントの役割分担をしましょう」」というのがエールの思想としてあります。
我々がやっているのは、社員の方一人ひとりに対して、外部のメンターをつけるというサービスです。どんな人にでも絶対的な信頼を届ける、という体制をエール側で構成すること。それを事業としてやっています。
ーこれから北村さんがやっていきたいことはありますか?
「信頼のベーシックインカム」のような社会インフラ作り続けたいなと思っています。どんな人にでも信頼が担保されている状態を構築する、ということですね。エールもその手段のひとつであるし、他にも私は伝統文化アーティストコミュニティを運営しているのですが、それもまた手段のひとつ。また、他にも自分には研究者的な側面もあるので、論文を書き発表するというのも取り組み続けたいことのひとつです。
信頼って、きっともっと幸福感と楽しさを感じ、自分なりに新たな挑戦をしていくきっかけになると思うんです。そういう新たな挑戦が増えれば増えるほど、さらに世の中に良い考えやサービスがつくられ広がっていく。それがまた誰かの信頼に繋がる。それが幸福感や楽しさに繋がる。そんな循環を、生み出していきたいですね。
(取材:西村創一朗、写真:山崎貴大、文:山本恭子、デザイン:矢野拓実)