自身に耳を傾けて、自分を信じて人生を選択!藤井瑛里奈が新卒フリーランスとして生きる理由

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第172回のゲストとして、フリーランスデザイナーであり、カメラマンでもある藤井瑛里奈さんをお呼びしました。

幼少期からスポーツに触れ、スポーツトレーナーの道を志すものの、22歳の時大きな転機を迎え、そこからなんと新卒でフリーランスのデザイナー・カメラマンに!なぜその道を選ぶこととなったのか、新卒でフリーランスとして働くことに対してメリット・デメリットなど気になることを伺っていきました。

自分の原体験がきっかけとなり「スポーツトレーナー」を目指すように

ー「スポーツトレーナー」ってあまり聞き慣れない言葉なのですが、その職業に憧れて、その道を志していたということなのですが、その理由が気になります!

両親がずっとスポーツをやっていたということもあり、私も物心つく前からスポーツに触れていました。そのおかげで小さい時からスポーツが大好きになり、水泳をやったり小学校二年生ではバレーボールを始め、大学二年生まで続けていました!その中で「スポーツトレーナー」というものに憧れが生まれていったんですよね。

ーそうだったんですね!何か「スポーツトレーナー」を目指すきっかけになったことがあったんですか?

「スポーツトレーナー」と一言で言っても様々あるんですけど、私の場合は小中学校くらいの成長期の子たちのトレーナーをやりたいと思っていました。というのも私自身スポーツをしていく中で、小さい頃に怪我をしてその時にトレーナーの知識が浅いために、リハビリが適切にできなくて大人になってから不調が出てきて、いい選手でもパフォーマンスが発揮できなくなるという人を数多く見きました。それがものすごくもったいないと思い、知識をつけたスポーツトレーナーになりそういった人々の助けになりたいと思ったんです。そのため大学時には、トレーナーとしてバイトで働いてもいました。

自分を表現できる自分になれた。今の自分を作ったアメリカ留学体験

ー大学三年生の時に留学に行かれたということなのですが、これはどういう経緯で決めたのですか?

実は、大学二年生の夏にずっと続けていたバレーボールを辞めたんです。小学校二年生からずっと続けていて、そろそろ違うことやってもいいかなと思ったんですよね。そこで行き着いたのが、夏休みを利用してアメリカ・サンディエゴに留学へ行くことでした。短期留学とはいえど、金額もそこそこかかるし正直そこがネックで迷ってた部分もあるのですが、バイト先のお客さんにそのことを打ち明けると「海外行きたいなら今やったほうがいいと思うよ!」と背中を押してもらって、それで行くことに決めました!その後、すぐに知り合いのエージェントに「海があるとこに留学に行きたい!」と相談したらアメリカのサンディエゴをすすめてくれて、無事留学できることになりました。

ー「留学するなら今しかない!」ということで留学を決めたわけですが、実際に行かれて向こうの生活はどうでしたか?

実は、この留学が初めての海外・飛行機だったんです!(笑)そして英語も全然喋れない状態だったので、それはそれは緊張していました(笑)飛行機のシートベルト外せない時も隣の人になんて言っていいかわからなかったですからね。でも、不安や緊張な気持ちがありつつもそれ以上にワクワクの気持ちの方が大きかったんです。現地では、語学学校に通っていたのですがお昼過ぎには授業が終わってしまうので、その後はひたすら遊んでましたよ!

実は私こう見えてめちゃめちゃ人見知りだったんです…!なので遊んでたとは言っても、最初は友達ももちろんいないのでとても不安な気持ちがありました。けれども、ここはアメリカサンディエゴ。そんな私もすぐに環境に飲み込まれ、友達を作ることができ楽しく過ごすことができました。

ーえええ!人見知りだったとは…意外でした(笑)ではそんな自分の弱点も克服できた留学になったかと思いますが、帰国して思ったことは何かありましたか?

そうですね…まずは単純に遊びすぎてお金たくさん使ったな…でした(笑)ただ、その仲間と遊ぶ時間が今の私を作ることに大きく繋がったと考えています。

留学ではもちろん語学を学んだのですが、それ以上に教えられたことがたくさんあってその中でもものすごく感じたのは「自分を表現していいんだ」ということでした。これまではどこか自分の中で人の目を気にして生きている節があって、それが自分にあまりいい影響を与えていないなと感じることがありました。それが留学を通して、多くの国籍の仲間と触れ合ったりアメリカの文化に触れることで、自分の意思を人に伝えられる自分になりました。これが留学の経験を得て、自分の中で一番大きな収穫となったと思います。実際に帰国したら、周りの子にすごい変わった!と言われたんですよね。人ってたった2ヶ月なのにこんなに変われるものなのか、と自分でも驚きました(笑)

「自分でやってみたら?」オリンピック選手からもらったその言葉で人生が拓ける

ー留学から帰ってきて大学三年生といえば、そろそろ就活を意識し始めることだと思うのですが、就活自体はしていたんですか?

一応やっていたという感じですね(笑)本当に留学の体験が自分の中で素晴らしいものになって、それからもっと色々な場所にいってみたいという気持ちが大きくなっていきました。ただ、そうなるとずっと憧れていた「スポーツトレーナー」では叶えられないような気がしてきて。しかし、当時の私はそれ以外にやりたいことがなかったんですよね。それでも、一旦5月に内定自体はもらうことができたのですが、あまり気乗りもせずのまま就活はそのまま終えることにしました。

ーなるほど!そうなると気になるのがどのタイミングで新卒フリーランスになることに決めたか、というところなのですが何かその後大きな転機があったのですか?

平昌オリンピックスノーボード 男子バンクドスラロームで金メダルをとった「成田緑夢」選手をご存知ですか?私自身成田選手の考え方がものすごく好きでTwitterをフォローしていて、ある日「一日秘書募集します」という投稿をしているのを見かけたんです。それをみて私思わずDMでやりたい!と送って、驚くことに成田選手から「お願いします!」と返信が来たんですよ(笑)

実際に「一日秘書」の日は、ただ運転するだけなんですけど、その間にいろいろ成田選手に自分の抱えている悩みを思いきって話して、多くの気づきを得ることができました。それが自分の中で非常に大きな転機となりました。当時、お客様には1時間で6600円もらっているのに、私のバイト代は時給1100円。「その残り5500円どこに行ってると思う?」と成田選手に聞かれたんです。それまで考えたこともなかったので、突然の質問に私も頭が?マークになったのですが、そこで残りがお店の取り分ということに気がつかされた後に続いて「自分でやってみたらもっと稼げるんじゃない?例えば自分でやれば、3300円1時間でやりますと言ったらお客様は割安でサービスを受けられて、自分の取り分も多くなるという仕組みを考えてみたことある?」とアドバイスをくれたんです。

この成田選手との一連の会話にものすごく心を動かされて。この時初めて「自分で事業をする」という新たな生き方の選択肢を自分の中で発見することができました。

ーオリンピック選手からアドバイスをもらえるなんて物凄い体験をしましたね!では、その言葉に突き動かされてフリーランスの道を開拓して行ったわけですね!

それが、すぐにはフリーランスには結びつかなかったんです。自分を価値にして生きることができるのでは、とそこから真剣に考え始めたのですがまだ当時自分の中では「フリーランス」という概念がなかったんですよね。なので、どうしても「企業」という二文字が頭をよぎってしまって。そこで、「起業だ!」という発想になったんです。でももちろん、起業の仕方もわからなければ、自分で何をしたいのかも明確ではない状況で…(笑)その時、じゃあ今の自分なりに何ができるかを考えて、行き着いた答えがいろいろな人に話を聞いてみよう!でした。

twitterで話しかけて、実際30〜40名ほどの様々な職種の方々とお会いすることができました。もうその頃は、スポーツトレーナーではない道に進むのもありだな頭の中ではぼんやりと将来を描いていました。

ーTwitterで募ってそれだけの人数の方々とお会いしたその行動力が本当に素晴らしいですね。実際に様々な人とお会いして何か自分の中で変化などはありましたか?

人と話すということは、自分自身のことをよく理解してそれを言語化できるようにならないといけないんですよね。なので、様々な人と会って多様な価値観に触れられたのはものすごく貴重な体験だったのですが、それと同じくらい自分のことを理解することができたのがとても自分の中で大きな収穫となりました。

自分を理解して見えてきたのが「自分の好きなこと」でした。写真を撮ることやデザイン作成がもともと好きで、それを自分の価値として仕事にしていくのはどうだろうかと考えるようになりました。そう言った自分を理解する経験があったこそ改めて自分の好きなことも認識することができたと思います。

ー自分のことを理解するって一見簡単なように見えてものすごく難しいことなんですよね。人との出会いの中でそれに気がつけたことはものすごく素晴らしい経験になったのではないかと思います。じゃあいよいよここで進路が決まったということなんですね!

ようやく自分の中で、進路が見えたという感じになりました。大学に提出する進路表を書くまで正直悩んでいました。その用紙にあった「あなたの進路はどこですか?」の項目で「個人事業主」に丸をつけたその時、自分の中で覚悟が生まれたのを今でも覚えています。とはいえ正直、新卒でフリーランスでやっていくのは不安もあったし気分的にはフリーターになったような気分でした(笑)でも、仕事は絶対どこかにあるし、もし仕事がなければマクドナルドのバイトをしようと思っていました(笑)

下田にズブズブにハマりフリーランスから会社設立へ

ー卒業後いよいよフリーランスとして働き始めて最初はどうでしたか?

最初はもちろん仕事がなかったので、業務委託で結婚式のエンドロールを作る仕事を勉強がてらやっていました。デザインなどのクリエイティブ作成は、全て独学です。その道のプロに聞きながら案件をこなしていく中で学んだり、本やネットを駆使して勉強をしていきました。スクールなどに通うというのは、性に合わないと思ったのであまり考えてませんでした(笑)

ただ、新型コロナウイルスの流行により状況は一変しました。業務委託でやっていた結婚式の映像作成も、結婚式の開催がなくなるとともに案件も消えていき、仕事がなくて本当に焦りました。あてにしていたマクドナルドのアルバイト採用さえ当時はなくなってしまったので、これはまずい…と。なので、第一次流行期でもあった2020年3月〜4月は、本当に無収入でした。

ーそれは本当に本当に大変でしたね…。コロナの影響で今年は激動の一年だったわけですね。現在仕事は徐々に戻りつつあるんですか?

現在は、静岡県下田市のLivingAnywhere Commonsの伊豆下田に拠点を置いています。とあるオンラインイベントがあってそれにサポーターとして参加したことで、静岡県・下田市にある建築会社の方と出会いました。その中で、「元々、空き家をクリエイターや表現者でリノベーションするイベントをやってみたいとは思っていた」ということを伝えたら、「いい場所があるから使ってみないか」と言われ、巨大な空き倉庫を紹介されました。元々空き家をリノベーションするみたいなことには興味があって、その話にものすごくワクワクしたんですよね!それがきっかけで、下田にお試しで2週間住んでみることになったのですが、それがいつの間にか現在まで伸びています(笑)

ー下田に生活の拠点を移されたのですね!すごい・・・!そこまでさせるほど魅力的な街だったということですよね!

そうですね。実際に下田に来て、人とのつながりの濃さを感じたり、自分ができることややりたいことを言うと、背中を押してくれたり協力してくれる人がとても多いと感じました。そういったところが下田の魅力かなと思っています。その中で、私に仕事を頼んでくれる方もいて、少しずつ任せてもらえることが広がっていきました。

11月に「株式会社しもズブ」を設立しました。ちなみに会社の名前の由来は、下田が好きすぎて虜になってしまう、ズブズブに好きになるというところから来ています。この会社は、下田市の抱えているお悩み解決していくこと、また下田を好きになってもらう人を増やすというのを目的に設立します。

ー名前から藤井さんの下田に対する愛ガンガン伝わってきますね(笑)そして何よりも楽しそうです!これからどんなことをやっていくのが目が離せませんね。この度は貴重なお話本当にありがとうございました!

取材者:あおきくみこ(Twitter/note
執筆・編集:後藤田眞季
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter
撮影;角田尭史(Twitter