「年を重ねるごとに幸せになる」起業家・プロデューサー 古井敬人が常に見据える人生観

今回は、株式会社VISを創業し、代表取締役を務める古井敬人さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、ご自身のビジョンが定まるきっかけのひとつとなったひいおばあちゃんからの言葉などについて伺います。

 

「ぼーっとする大会」日本初開催をプロデュース

–経営されている会社について教えてください。

株式会社VISの代表取締役を務めています。同社では、主に事業やイベントのプロデュースを行なっています。過去のイベント事例には、「TOKYOぼーっとする大会2023」があります。忙しなく過ぎる現代時間の中にぼーっとする時間を作り出し、生き方・働き方を見直す機会にすることが(イベントの)目的です。90分間ただぼーっとするだけの大会に参加者64チーム(100人)が集まり、芸術点(オーディエンス投票)+技術点(心拍数)で優勝者を選定しました。

2014年に韓国で始まった本大会は、これまで韓国内で16回、国際大会としても6回開催されていて、2023年に日本で初めて開催される際の総合プロデュースを担いました。

–「ぼーっとする大会」について詳しく教えてください。

「TOKYOぼーっとする大会2023」を開催する前は、とてもユニークな大会があることに驚きました。実際に開催してみると、想像をはるかに超える影響力で、多くの協賛企業やメディアを巻き込んだ形になりました。

その背景には、余白を作り、自分を取り戻したいと願う現代人のニーズ・願いがあったのだと感じています。こんなにも時代に後押しされるコンテンツは、これまでにあまりみたことがありません。

現在第2回大会の開催準備も進めており、日本に暮らす現代人にとってのひとつのシンボルを築くところまで発展させていきたいと考えています。例えば、このイベントの規模や影響力がさらに増していって、「ボーッとする日」という祝日が生まれてもいいと思うんです。

身近な日常の中で余白や自分に還れる瞬間を意識できるように、キャラクターグッズなども制作していきたいですね。

–事業を通して実現したいことは、どのようなことですか。

「楽しい大人を増やしていきたい」と思っています。というのも、私は子どもの頃に楽しそうに生きる大人に出会うことができませんでした。働くことにネガティブで、「楽しいのは学生のうちだ」という言葉をつぶやく大人が多かったんです。「本来、経験と成長に伴って、幸せになっていくものでは?」と疑問に思い、今では自分の人生で実現したいことが『年を重ねるごとに幸せになる人生を歩める人を増やす』となっています。

–ご自身にとって「楽しい瞬間」とは、どのようなシーンですか。

私にとって「楽しい」で連想されるのは夢や目標が叶った瞬間であり、夢を叶えられる瞬間が増えれば多くの人が幸せになり、その本人の周りにも好影響が及ぶと思っています。

私自身と弊社の役割はそれを実現することであり、そのためには夢を叶えようとする人にとってのプロデューサーが必要です。プロデューサーの仕事は、その人の魅力を社会と接続すること。本人の代わりにマーケティングをはじめとした推進・実現に必要なところを担う役目がいることで、夢は叶いやすくなります。

これらはプロデュースのノウハウ、プロデューサーの在り方を教えてくれた方から学んだことであり、その方はこのようにも話していました。

「プロデュースとは、『愛』『理解』『接続』からできている。まずは、自分が対象を一番愛すること。ただ、愛するだけなら恋人・パートナーでいい。次に、対象を一番理解すること。ただ、これも詳しければいいのであれば評論家でいい。最後に、愛し、理解した対象を接続までできるとそれがプロデュースであり、できる人をプロデューサーと呼ぶんだ」(プロデューサー:川原卓巳の言葉)

 

「今が一番楽しい」ひいおばあちゃんの一言に感銘

–子どもの頃のご自身のことで覚えていることはありますか。

子どもの頃は野球に打ち込み、チームではキャプテンを務めていました。中学校の時に出会った先生が“実写版GTO”という感じの方で、在り方や人への接し方に感銘を受け、その頃の自分にとっては唯一の憧れた大人でした。

高校でも野球に打ち込むために強豪校に進学し、4番バッターと副キャプテンを務めました。大学から野球推薦の声をかけていただいたのですが、中学校の頃に憧れた先生のようになりたいと思い、教師を目指すことを決意し、その先生が通った大学を受験することにしました。

–大学時代はどのような学生でしたか。

大学入学後は、大学3年生までは全力で遊んで過ごしていました。恩師の影響もあり多様な経験をすることで自分にとってのかっこよさが形成され、磨かれると思っていました。

その一方で、大学1年生の頃からイベント運営も行なっていました。先ほど触れた中学校時代の先生が「自分が学生の頃にはイベントをよくやっていた。その頃に身についたことは今の学級運営に活きている」と話していたことを覚えていて、自分もその背中を追うようにしてイベント運営を始めました。

–在学中は、将来のことについてどのように考えていましたか。

在学中もその先生と会うことがあったのですが、あるとき教育現場のリアルな話を聞いて、今の日本の教育現場の閉鎖的な部分を知り、初めて違和感を覚えました。それから自分で考え直した結果、教員の道に進むことを断念。

大学3年生の時点で独立を決意しました。いろいろと考えましたが、ひいおばあちゃんの言葉が後押しになりました。

–それは、どのような言葉でしたか。

これまで実家ではひいおばあちゃんと同居していました。「優しくて、人の心配ばかりしていて、すごい人だな」と思っていました。独立を目指しはじめてしんどいことが続いた頃、ひいおばあちゃんにゆっくり話を聞く機会があったので、聞いてみました。「(これまでの人生の中で)いつがいちばん楽しかった?」と。

年を重ね、体は思うように動かすことができなくなってきているにもかかわらず、ひいおばあちゃんは「今が一番楽しい」と即答しました。驚いて理由を聞くと、「周りに家族がいて、自分を心配してくれる人がいるから」とのことでした。その姿と言葉に感銘を受け、自分を突き動かす原動力にもなりました。

–起業してみて大変だったこと、葛藤したことはありますか。

大学在学中に株式会社VISを創業したのですが、全体的に見ると(起業する学生は)マイノリティでした。周りはそのままでも自分は変わっていって、身の回りにいた人たちと合わなくなり、孤独を感じるようになった頃はしんどかったですね。

今はその時期を乗り越え、2社目の創業も準備しています。そちらではプロダクション業、企業と学生のマッチング、事業プロデュースを行う予定です。1社目の経営を通して学んだことを活かし、より本格的に「人の価値の最大化」に挑戦します。

 

その時にしかできないことを全力でやる

–今後の展望、目標はありますか。

経営する会社はエンタメの領域で活動していて、多くの人に「ワクワク」を届けることが目的です。そのワクワクの要素には必ず、人の想いが詰まっています。その誰かの強い想いを実現させ、世の中に接続させていく。そして、人の魅力を伝えていき、楽しく生きる大人を作ることを積極的に行なっていこうと考えています。

自分のキャリアの観点で言うと、私が最終的にやりたい事は「教育」です。大学生時代には先生を目指していて、当時免許も取得していますが、今の教育現場に入っても子供たちに夢を見せることはできないと感じ、独立という道に進みました。

家庭も学校も選べない中で一生懸命に生きてる子どもたちにとって、憧れとなる存在になることが僕自身最大の目標です。

–日頃から心がけていることはありますか。

まずは、「その年、その時期にしかできないことを全力でやることを大事にして、未来に目を向けながら後悔のないように生きていこうと心がけています。

また、逆算をせず、人生に上限を設けず、常に目の前のことと変化を楽しむ姿勢も大事にしています。自分の直感を頼りにして、成長する自分とともに変化する楽しいと感じるポイントにも気を配りながら、その時の自分が「楽しい」と感じることをアンテナとして生き続けていければと思っています。

 

取材・執筆=山崎 貴大