今回お話を伺ったのはファシリテーションを軸に持つグラフィックレコーダーとして活躍する上園海(カミゾノマリン)さん。これまで多数のグラレコ実績を持つ新卒フリーランスとして活躍する彼女。
自らを「フリーランスになっちゃった系」と語る彼女のグラフィックレコーディングに出会うまでの経緯、そして好きを仕事にすることについて語っていただきました。
グラレコに絵的センスはいらなかった?
ーまずは簡単な略歴を教えてください
沖縄県出身の新卒1年目です。昨年大学を卒業してグラフィックレコーディング(以下グラレコ)というファシリテーションの一種の手法を活用してフリーランスとして働いています。大学ではマーケティングや経営を勉強していたこともあってマーケティング系のイベントでよく書かせていただいています。
ーグラレコについて詳しく教えていただけますか。
グラレコとは、今しているこういう対話だったり議論をリアルタイムで可視化していくっていう手法の一つです。でも、こういうものっていうカッチリした定義はなくて。その場を促進するための手助けになるようにグラフィックや文字、イラストを使います。議事録ではないんですが、その場でどのような議論が行われたのかという共有や足跡を残すことができるのが特徴です。
ーグラレコというと絵的センスも問われるのかなと思いますが、絵が得意だったんですか?
グラレコをしているとよく絵が得意だから始めたって思われるんですけど、そういう幼少期は実は絵を書くというものは全然やってこなかったです。今思えばそれが逆によかったのかなと思います。
私はピクトグラムがすごい好きなんです。ピクトグラムって非常口のマークとかが代表的ですが、あれは瞬時に分かれば良いというものですよね。
グラレコも綺麗な絵を書くことが目的ではなくて、伝えられる絵を書くことが目的なんです。その場のためになるかが良いグラレコかどうかの判断軸になってくるので、全然絵はかけなくても大丈夫でした。実はどうやったら楽して書けるかなっていうのをいつも考えてやっています。
そもそも大学に進学する予定はなかった
ーグラレコとの出会いまでも教えていただけますか。
グラレコとの出会いを話すにおいて先に話しておきたいことが2つあります。
1つは小学校6年生の時に両親が離婚したことです。これは結構大きな人生のターニングポイントになっています。兄弟3人を母が1人で育ててくれていたので、子供ながらに早く稼げるようにならないとという気持ちがありました。それもあってすぐにスキルを身につけられそうな沖縄の商業高校に進みました。
高校では生徒商業研究部という部活動に所属していて企業とコラボして商品開発したりしていました。それがすごい楽しかったんです。この時にマーケティングが面白いなと思ったのが今の自分に繋がっています。
もう1つは高校1年生の時に病気にかかったことです。
ーどんな病気だったんですか。
免疫が高すぎて、自分の体を攻撃しちゃう、SLE(全身性エリテマトーデス)という病気です。今は症状が安定していて、2ヶ月に一回採血をして主治医さんと一緒に病気とうまく付き合っています。この病気が理由で体育の授業に参加できなくなったりして、自分に出来ないことがある・周りの友達とスタートラインが違うことについて考えはじめました。
また、この病気をきっかけに自分の将来やキャリアについて考えた時に、難病者の就職支援をするNPOを作りたいなぁと思ったんです。でもそれにはもう少し知識と人脈、時間が必要だと思い、大学進学を決めました。
ー病気がきっかけで高卒で働くのではなく大学へ進むことを選んだんですね。
はい。大学へ進学すれば、病気持ちという自分のマイナスをゼロにするには何か自分にしかない強みを身につけることができると考えました。
それからは毎日バイト漬けの日々で、100万円貯金して大学に進みました。
苦に感じることなく続けられたのがグラレコだった
ーということはグラレコとの出会いは大学生になってからですか?
はい。大学では何となくこういうことしたい、自分で何か出来る人になりたいと思っていたので、色んな課外活動に参加していました。グラレコとは約2年間関わった学生ベンチャーでの経験から学び始めたファシリテーションで出会いました。
ファシリテーション講座を沖縄で運営していた時に、半年間のプログラムで毎週行なっていたので、振り返りのためにグラレコを導入しました。受講生が欠席した際に、実際にグラレコが活用されている様子にとても嬉しくなりました。もともと聴覚障がいを持つ学生のために一緒に横で授業を受けてノートをとっていた経験があったので、話をまとめたり要約するスキルは持っていて、特に勉強や練習したりすることはなく出来ました。
ーそこからグラレコにのめりこんだんですね。
そうです。グラレコはやっていてすごく楽しいということを私が慕っている方に話したところ彼女がやっているワークショップでもやってよとお声がけいただいたんです。
そこでやってみたら、すごく好評でポジティブなフィードバックをいただくことができました。私のやったことに対してこんなに喜んでいただけたというのがそれからグラレコをもっとやりたいと思うきっかけになりました。
苦に感じることなくつづけられて、誰かに喜んでもらえて、原価もペンと紙だけだしと思って続けていたら、何回かお仕事で書かせてもらえるようになりました。そんな頃に就職活動を始める時期を迎えました。
ー就職活動はされていたんですか。
はい。自分の将来を考えた時に28歳くらいまでは東京で働いて、沖縄に何か貢献できる人になって沖縄に戻りたいなと思っていたので東京で就職活動していました。
そんな時にフリーランスでグラレコをされている方に出会いました。その方に「グラレコってフリーランスで生きていけるんですか」って聞いてみたら「なれるよ」って言われたんです。
ーそれでフリーランスになろうと?
当時の私にはグラレコだけで食べていけるのかが全く想像がつかなかったんです。でもグラレコが職業として成り立つのであればなりたい!と素直に思いました。
ちょうどそのタイミングで友達から沖縄で開催されるマーケティングイベントのスタッフをしないかと声をかけてもらいました。そこでグラレコを書かせていただき、その後そこのつながりからお仕事をいただけるようになりました。お仕事を引き受ける中で、税金等を払うために大学4年生時に開業届を提出して学生フリーランスになりました。自称「フリーランスになっちゃった系」はこれが理由です。
就活もグラレコの仕事と並行してやっていたところ上場企業から内定も頂けたんですが、やっぱりもう少しグラレコで挑戦してみたいと思い新卒フリーランスの道を選びました。
お金を払ってでもやりたいことは何なのか
ー内定を辞退してでもグラレコを選んだ理由はなんだったんですか。
自分の価値を認めてもらえたのがグラレコだったから、です。学生ベンチャーを2社経験して、自分の無力さをすごく感じて自分の武器が欲しいとずっと思ってました。なのでグラレコを極めて誰かの為になりたいと思ったんです。
自分がやりたいことと、自分ができること、そして社会や周囲の人に求められていることの軸が重なったのがグラレコだったのでできるところまでチャレンジしてみようと思えました。
ー実際フリーランスとして働き始めてどうですか。
フリーランスなのでやっぱり収入は毎月かなり上下します。学生フリーランス時代は平均20万位稼いでいましたが、今は月によって25万〜80万位です。大きなイベントの有無で収入は毎月変動しますが、生活していく分には困らずある程度自己投資できる位はいただけています。
ー好きを仕事に出来ている人はまだまだ同世代でも少ない中で新卒でそれはすごいですね。
確かに最近、高卒の社会人5年目の友人や大卒で社会人2年目の友人からこれからのキャリアに悩んでいるという話をよくされます。そういう話を聞いた時に思ったのは、何かチャンスがあったときにすぐ飛びつくって、制約条件があって意外と出来ないんだなということです。
相談してくれた友人の場合、やりたいことはいっぱいあるけどやっぱり会社への恩もあるからすぐには辞められないと言ってました。きちんと上司に気持ちを伝えたら理解してくれると私は思うんですが、本当はどこかに飛び立ちたいけど、いろんなことを考えたらなかなか次に進めてない子はたくさんいるんだと思います。
ーそんな友人にどんな声をかけているんですか。
まずは情報収集してみたら?と伝えています。迷っているならとりあえず動きだしてみるのがいいと思います。私だってはじめからグラレコに出会えた訳ではなくていろんな場に顔を出していろんな人と繋がった結果好きでやりたいことに出会えました。
あとは、自分がお金を払ってでもやりたいことは何か考えてみるのもいいと思います。お金を払ってでもやりたいことは自分の好きなことだから続くし、実際にお金を払って学べばスキルになっていくので。お金をかけてやっている趣味があるならまずはそれをもっと深めていけばいいと思います。
ー最後にこれからの目標やチャレンジしたいことがあれば教えてください!
グラレコが映える要素で使われているのがもったいないなと思っているのでグラレコの使い方についてもっときちんと考えて、使い方の提案をしていきたいし依頼をいただいた際には一緒に考えていきたいなと思っています。グラレコがあることで、その場がどうよくなったかとかファリシテーターが求めているものを探求していきたいです。またグラフィッカーがファシリテーターに求めているものも言語化していきたいです。あわよくば、本に全部まとめて出版できたらな〜なんて思っています。
ー2020年中に形になるかもですね!楽しみにしています。
<取材:西村創一朗、撮影:山崎貴大、執筆:松本佳恋、デザイン:矢野拓実>