環境は自分で変えられる。小学校教員の小澤佳奈が見つけた、教員以外の選択肢とは

自分の想いだけでは相手を変えられないと痛感する

ー教員の道へ進むという決断をしてからは、どのように動きましたか?

大学を卒業してすぐ、東京都の公立小学校教員になりました。ただ、理想と現実にギャップがあって……。私は3年生の担任だったのですが、自分ではどうにもできない課題にぶつかりました。

ーそれはどのような課題でしょうか。

それぞれの家庭で培ってきた言葉や価値観があり、その一人ひとりにあわせて教育をすることはとても難しいということを痛感して……。

たとえば、担当したクラスに外国籍の子がいて、他の学年にも外国籍の子が増加していたのですが、なかなかフォローしきれませんでした。

自分の想いだけでは相手は変えられない。学校教育だけではどうしようもできない現実が待っていることを、すごく痛感しました。

社会に開かれた教育機関を創るため、一歩踏み出す

ー学校教育だけではどうしようもできない現実を知った後、どのように過ごされたのかお聞かせください。

小学校の先生は、とにかく忙しい。朝早くから夜遅くまで働いて、土日も休む暇なく過ぎていく。それを歯車のように繰り返している中で、自分の中での選択肢や、子どもたちに与えられるものは増えるのかな?という疑問があったので、小学校教員として3年間働いた後に、思い切って環境を変えることにしました。

ーどのように動いたのでしょうか。

異業種の方々が集まり、リーダーシップや教養を学ぶ塾に通い始めました。すると、人生には教員以外にも数えきれないくらいの選択肢があると知り、その選択肢を子どもたちにも伝えていきたいと思ったのです。

そして、もし自分が勇気をもって新しい道へ進めば、新しい教育の形を生み出せるんじゃないかと思い、異業種交流会で出会った方が個人経営されている学習塾でボランティアを始めました。その塾の経営に携わることも考えたのですが、仕事の展開が大きく変わり、教員のまま海外へ進出することになりました。

ーどのような流れで海外へ行くことになったのでしょうか。

公立小学校の教員時代、外国籍の子をフォローしきれなかった経験から、同じように悩んでいる子を援助するためのプラットフォームを作りたいという想いが芽生え始めました。

ただ、私自身、外国籍の子と同じように母国ではないアウェイな環境を経験していないため、真に寄り添えるのだろうか……と悩みました。海外移住も留学経験もない私にとって、教員という立場のままアウェイを体感できる手段は「日本人学校の教員」だと思ったので、4月から上海日本人学校で教員になります。

ー今後の展望について教えてください。

中国へ移ってから2年間で現地教育を学ぶだけでなく、在外教育施設を見て回ることでより学びを深めたいと思っています。また帰国後は、在日外国人にむけた教育機関やプラットフォームを作っていくことが夢です。

ー最後に、この記事を読んでいる方へ向けてメッセージをお願いします。

普通の教員だった私が決断して実際に行動に移せたのは、周りの環境があったからです。それは特別なことではなくて、環境は自分で選べます。夢中になれる環境を自ら選んで、その環境の中で様々なことを学んで、選択肢を増やして、自分の人生をぜひ歩んでいってください。

私もまだまだこれから。もっといろんな環境で学んで、社会に還元できるものを増やしていきたいと思っているので、一緒に未来を切り開いていきましょう!

ー自分が本気になれば他者を変えられる。環境は自分で変えられるなど、常に自分起点で考えられている小澤さんが新たに作る環境がとても楽しみです。本日はありがとうございました。小澤さんの今後のご活躍を心よりお祈りしています。

取材:あすか(Twitter
執筆:もりはる(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter