『U-29 Career Conference』イベントレポート | 澤円、飯髙 悠太、三川夏代ー3人のビジネスマンのキャリア選択と価値観

ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ型メディア「U-29.com」が主催するイベント『U-29 Career Conference』がオンラインで開催されました。

 


変化の激しい現代、明確な正解と言えるものはなくなり、一人ひとりが「自分が納得できる」道を歩むことが大切になってきています。 今回の『U-29 Career Conference』では、様々な世代、様々な分野のトップランナーによるこれからの時代を生きていくうえで大切なこと、今に至るまでの経験や大切にしていた価値観などをお話いただきます。 自分なりの道を見つける為の、気づきや学び、新しい価値観に出会う時間を、ぜひお過ごしください。

ー代表・西村創一朗からのメッセージ


 

今回は、ユニークなキャリアを開拓してきた3名のゲストをお招きし、独自の仕事への姿勢と、その土台にある自分の人生との向き合い方についてトークを展開していただきました。

 

澤 円 株式会社圓窓 代表取締役
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手IT企業に転職。 ITコンサルタントやプリセールスエンジニアとしてキャリアを積んだのち、2006年にマネジメントに職掌転換。幅広いテクノロジー領域の啓蒙活動を行うのと並行して、サイバー犯罪対応チームの日本サテライト責任者を兼任。現在は、数多くのスタートアップの顧問やアドバイザを兼任し、グローバル人材育成に注力している。 琉球大学客員教授。

 

飯髙 悠太 株式会社ホットリンク 執行役員CMO
2014年4月株式会社ベーシックに入社。ferretを立ち上げ、創刊編集長に就任。2017年 株式会社ベーシックの執行役員に就任。2019年1月に株式会社ホットリンクに入社し、4月より執行役員CMOに就任。
これまでに複数のWebサービスやメディアの立ち上げ・東証1部上場企業を含め100社以上のコンサルティングを経験。著書に「僕らはSNSでモノを買う(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」。

 

三川 夏代 株式会社bosyu
複業でデジマ支援,事業開発 広告代理店にて8年間、SNSを中心としたデジタルマーケティング戦略や企画を立案・実行。同時にWebメディア「kakeru」の編集長も経験。
現在は株式会社bosyuで週3正社員をしながら複業でブランディング戦略や新規事業サポートなども務める。 NHKニュース番組「シブゴジ!」やフジテレビ「ノンストップ!」出演、Twitter Japan「#はじめてのTwitter動画広告」のモデレーターも務める。

 

強みを活かせなくても、得られるものがあればいい

ーまずはじめに、それぞれのファーストキャリアの選択についてお聞きしたいです。

澤円さん(以下、澤):私は現在、50代です。就活していた頃なんて、まだインターネットが普及していませんでした。1990年代はバブルが弾ける前だったので、就活は楽勝。面接に行けば受かる、というレベルでした。なんの考えもなしに就活に臨んで、生命保険会社の内定をもらいます。でも、何かが違うな、と。それは就職ではなく「就社」だと感じたんです。

 

 

結局、大学4年の12月というぎりぎりの時期に内定を断りました。そして、「何かになりたい」「”職”に就きたい」という思いと、マイノリティ戦略で理系の就職先を大慌てで探します。文系の大学生だったのでコンピューターの知識もなかったのですが、SEを志し、第一生命の子会社で情報システムを扱う会社に就職しました。

 

ー当時はSEとしてご活躍されていたのでしょうか?

:ポンコツエンジニアでしたよ。適性診断を受けても、ことごとく向いていないと言われるくらい。それでも、得られるものがあればいいんです。私は、キャリアの上で、必ずしも自分の強みを活かす選択をしなくてもいい、ということを証明しています。苦労はするかもしれませんが、それが後々の仕事につながっていくんです。

 

ーその後、インターネットの普及が始まったんですね?

:就職したのが1993年、そして、1995年にWindows95が発売されました。それまで誰もインターネットに触れてきていませんでしたし、コンピューターを個人が持つなんて想像もされていませんでした。時代が、リセットされたんです。全人類がインターネット初心者になりました。時代が新しくなる、というのは、すなわちチャンスが溢れているということ。社内ではポンコツエンジニアでも、社会的に見ればSEは最先端の職業だったんです。

 

ー時代の変わり目というのは、今にも通ずる部分があると思います。

 

 

:そうですね、今まさに、時代の潮目がきているでしょう。誰も体験したことない時代が始まります。キャリアを変えたいという人には、ちょうどいいタイミングなのではないでしょうか。リセットというのは、誰かが決めるんじゃなくて、自分が決めるものです。

 

辛い経験があって、1件のアポのありがたさが分かる

ー飯髙さんといえば、マーケティングという印象が強いかと思いますが、最初は営業職だったそうですね。

飯髙悠太さん(以下、飯髙):澤さんの就活のタイミングと違って、僕の就活時はリーマンショックと重なっていました。それでも、大学時代にはよく海外に行っていたので、その話をするととてもウケが良く、内定は複数いただいていましたね。

 

 

ずっとサッカーをやっていて、大学時代も遊んでいて、将来像はふわっとしか描けていなかったものの、漠然と「ITを仕事にしたい」とは思っていたんです。だけど結局、IT関連の会社の内定を断り、秋採用で人材紹介会社に就職しました。

 

ーそれはどうしてでしょうか?

飯髙:一番辛い選択をしよう、と思ったんです。「そこに1年、身を置いたらどうなるんだろう?」と考えていました。スタート地点は遅れてしまうかもしれませんが、「1日200件のテレアポ、100件の飛び込み」を経験した後の方が、仕事を知っているだろうという判断でした。

実際に、「駅前で名刺100枚配るまで、帰ってくるな!」と言われるような環境下で仕事をすることになり…。結局は半年でIT業界に転職します。

 

ー敢えてしんどい道を選ばれて、得たものはなんでしたか?

飯髙:200件のテレアポで1件のアポにつながればいい、というような世界に身を置いたことで、ひとつのリード、1件のアポのありがたみを今でも感じています。現在はネットを利用して、自動的にリードが獲得できますよね。そうなっているのには、誰かが作用しているはずなんです。そこへの感謝の気持ちは変わりません。それを忘れないように、メンバーにも大事さを伝えています。

 

 

また、非効率的な営業活動を重ねて、実際に仕事をとれた経験から、結局人なんだなということも感じています。BtoBマーケは基本的に分業制ですが、クライアント様から見たら一部を担う人が全体として捉えられているかもしれないと意識しています。

 

自分の裁量で時間を使いたい

ー三川さんは、新卒からITの道に進まれたんですね。

三川夏代さん(以下、三川):広告代理店へ憧れがありました。関西の大学に通っていたのですが、そのときに謎解きゲームを提供する会社でアルバイトをしていたんです。業務内容は、謎作り(笑)そこで、自分が携わったゲームで、スーツを着た大人が大はしゃぎしている光景に心を奪われました。場所があり、空間を演出すると、人は物語に入れる…「これ、面白いじゃん!」って。そうして広告業界を志すようになったんです。

私が就活をしていたのは、FacebookやTwitterが台頭し出した時期でした。まだ企業アカウントという存在すらありませんでしたが、なんとなく「SNSを利用して、新しいビジネスが生まれるのでは?」というワクワク感のようなものがあって、チャンスに見えていたんです。ここで面白いことが仕掛けられれば、世界の創造主になれるかもしれないぞ、と。

 

ー澤さんはネット時代、そして三川さんはSNS時代の幕開けとファーストキャリアの選択が重なっていたんですね。その中で、どうやって会社を選びましたか?

 

 

三川:株式会社オプトの面接を受けたときに、人事の方が、私の履歴書を面白がって声を掛けてくださったんです。きちんと対話してくださったのが、印象的でした。そこで、「実は、ソーシャルメディアの部署を新設するんだ。社内選抜ではなく、いろんなところから特化した人材を集めるから、そこで一から一緒に考えてくれないか?」と聞かされたんです。面白いことが学べそう、という期待から就職を決めました。

 

ー心惹かれて就職したオプトで8年間勤務し、最近、株式会社bosyuに転職されましたよね。キャリアチェンジにはどういった背景があるのでしょうか?

三川:ネットの世界の中のコミュニケーションって、相手の顔が分からない場合も多いですよね。それでも、会話を通して、企業を好きになってもらうことがあります。この仕組みが、とても興味深いなと感じました。会話を通じて信頼関係が築かれるということを、ちゃんと研究したいと思うようになったんです。

現在、bosyuでは週3会社員という働き方を実施しています。仕事以外の大事なものと向き合う時間をしっかり確保したかったのがキャリアチェンジの要因です。

 

ーそうやってできた時間を、ご自身の興味関心分野に注いでいるんですね。

三川:「kareru」というメディアの編集長をやっていたのですが、そこでは「一次情報をとりに行く」ことを大事にしていました。5年ほど前、高校生たちのSNSやネットの使い方が注目を浴びだしましたが、大人では理解できない行動も多かったんです。自撮りや加工フィルターなど、自分たちの文化にはないものでした。だからこそ、ちゃんと当人たちと向き合って、分かり合おうとしました。そのために、メディアを立ち上げたんです。

 

 

一次情報をとりに行くって、とても面白いことで、おろそかにすべきではないもの。いくらネット上で情報収集をしていても、一次情報の発生源はいつでもリアルにあります。人に会って会話をする時間を持たないと、だめになっていくような感覚すらありました。

仕事上、パソコンが手放せなかったのですが、なんだかそれが馬鹿らしくなったんです。バランスを変えて、もっと人と向き合う時間を作りたい。そうして、自分の脚で人と会って、興味があることを深掘りしたい。bosyuはとてもフレキシブルな会社で、週3以外の時間は、自分で裁量権を持って活用しています。

 

:そもそも、副業を「許可する」という感覚が不思議ですよね。会社って、概念であり、仕組なのに、そこからどうやって許可するという動詞が発生するのか…。組織には、ある程度の規則は必要ですが、違和感があります。

シリコンバレーのミートアップに参加したことがあるんです。そこで、プロダクトやサービスの話をすると、「面白いね。あなたは週何時間、そのプロジェクトにコミットしているの?」と聞かれました。そこでは、日本と前提が違うんです。所属の話は出ません。副業という感覚すらないんです。有限な時間を、どのように割り当てるか、それがそこの人々にとっては働くということなんでしょう。

 

 

飯髙:「正社員」という考え方が、とても日本的だなと思います。そもそも雇用者に正も非もないじゃないですか。働く人を所有物と見なす文化が根強いんですよね。

 

外の世界が広がることで、見えるものが変わる

ー澤さんは、マイクロソフト社に転職されていますが、どういったきっかけがあったのでしょうか?

:第一生命の子会社なので、仕事は確保されていたんですよね。つまり、外部との関りは必要ない。そう判断されて、名刺が持てないことも普通だったんです。私が配属された部署は、外販を伴っていたので、たまたま名刺も用意され、外部イベントへの参加も許されていました。

 

 

そして、イベントなどに参加して外の世界に触れると、絶望するんです。外の世界を知った上で、また社内に戻ると、あまりの内向的な会社の体質に嫌気が差しました。

会社として、離職者を出さないために内向きにさせようというカルチャーを持っているところは多いように感じます。私と同じ50代は、今、社内で部長や課長に昇進している年齢層ですが、あまりに社外との交流がなく、20代、30代の頃のマインドセットと変わらないまま年を重ねているケースもままあります。

優秀な人がそんな会社を選ぶでしょうか?会社が盤石であれば選択肢としてあり得るかもしれませんが、トヨタでさえ終身雇用を諦めているような時代です。会社は流動的であるべきだと考えています。

 

ーマイクロソフトと聞けば、誰もが知っているような大企業ですが、当時はどのような会社でしたか?

:たまたま転職エージェントの目に留まって、入社できたんですよね。その頃は外資系IT企業なんて、スタートアップの匂いがぷんぷんしていました(笑)マイクロソフト社も、ベンチャー企業のようなものでした。

ファーストキャリアでSEを選んだことも、その後マイクロソフト社に転職したことも、全て「Connecting The Dots(点と点がつながっていく)」だと感じられます。成功ばかりじゃなく、寧ろ転んだことが多かったのですが、それもあって「楽しい、面白い」と思える今がありますから。

 

キャリアを三次元的に考えると、可能性が拡大

ーキャリアの選択の先に、今の皆さんがいらっしゃるんですもんね。転んだ経験、失敗も、今につながっている、と。

:みんな、キャリアを直線的な右肩上がりにしよう、と考えすぎなんです。縦軸が地位、横軸が年齢のグラフで、ひたすら右上に伸びようとしている。キャリアチェンジに失敗して、その直線が折れてしまったら、成長率にギャップがでるから避けたい…と。

 

 

キャリアは、二次元ではなく、三次元で捉えましょう。やった職種、経験の分だけ点が打たれて、それがつながって球体になる。そうやってできた容積が、自分のキャリアなんです。

そして、打った点の位置によっては、自分のキャリアの球体が他の人と重なることもあるでしょう。そこで新しいコラボレーションが生まれます。線で捉えるより、面、そして球で見る方が楽しみが拡大しますよね。

 

 

三川:ロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーが提唱した、「最近接発達領域」という考え方に惹かれています。人間には、自分ひとりでできる領域と、その外側に、他者の力を借りればできる領域がある、という考え方です。誰かの助けを得なければできない、と思えていたことが、誰かの助けがあればできること、に変わると、可能性が広がります。

そうすると、困難なことがあっても、それは困難ではなくなるんです。寧ろ、それが目の前にあると、私はめちゃくちゃテンションがあがりますね。分からなことなど、大人になるにつれてだんだん減っていくじゃないですか。どう捉えればいいんだろう、誰の手を借りたら乗り越えられるんだろう、と考えるとワクワクします。

 

 

飯髙:僕はずっとサッカーをしてきたので、90分のゲームで考えがちなんですけど、1試合の中で成功だと思われるプレーなんてほんの数回しかないんですよね。これから働く40年の中でも、楽しいと思える瞬間は創出していかないといけないと思うんです。でも、その手前には失敗があります。それを分析するからこそ、ポジティブな行動につながっていく。失敗はそうやって捉えればいいと思います。

 

ースポーツとして捉える。皆さん、捉え方を変えることによって、ネガティブな事象をポジティブに受け取っているんですね。

:スポーツをしていると、我慢と鍛錬の違いがよく分かりますよね。鍛錬はすべきだけど、我慢はすべきじゃないって思うんです。例えば、部活の先輩に殴られるのを耐えるのは、ただの我慢。同じ痛みでも、走り込みによる身体的負担は鍛錬です。

スポーツだと違いがはっきりしているのに、これが仕事となると非常に分かりづらい。鍛錬だと思って続けていたら、ただの我慢で、結果として鬱になるということも。自分が踏ん張ることを必要とするときは、「これは鍛錬か?それともただの我慢か?」と見極めるようにした方がいいと思います。

 

ー無理していることに気付かないと、取り返しのつかない状態になりかねません。

:コカ・コーラ社の元CEOであるブライアン・ダイソン氏が「人生は5つのボールをジャグリングしているようなものだ」と表わしていました。5つのボールというのは、家族、友人、健康、自分のこころ、そして仕事です。このうち、仕事だけがゴムボールで、それ以外はガラス玉なんです。つまり、仕事は落としてもまた取り戻せるけれど、それ以外は落とすと壊れて、元には戻りません。

 

 

仕事は替えが利くもの。もしなにかを手放さなければならないとしたら、真っ先に仕事を落とします。ぶっちゃけ、自分が楽しめる範囲で仕事をすればいいんです。自分で選び、楽しみ、嫌になったら投げ出す。そのくらいの気軽さが、日本人には必要ではないでしょうか。

 

目の前の人を幸せにすることが、次の幸せに連鎖する

ー皆さんのキャリア観が浮き彫りになりましたが、人生の中で大事にしていることはありますか?

:”Being”ですね。「ありたい自分であること、あり続けること」。自分の人生を生きよう、と。その先に、最大多数の最大幸福を実現したいと考えています。

 

 

三川:キャリアにおいては、Beingではなく、Doingで考えている人が多そうですよね。働く自分はどうありたいかで考えると、クリアーになるかもしれません。

 

飯髙:どうありたいか、を常に考えることを僕も大事にしています。人生は選択の連続で、自分がなにをやりたいか決めていくだけです。他人のキャリアの話を聞いたり、アドバイスをもらったりすると、そっちに引っ張られるケースは多い。でも、参考程度に留めるべきだと思います。自分がどうしたいのか、将来にどう活きるのか、は常に仕事でもプライベートでも考え続けています。

澤さんが最大多数の最大幸福を、と言われましたが、僕もそれは叶えたいです。そのために、まずは手前にいる人たちをどれだけ幸せにできるかだと思うんです。

 

:半径5メートル以内にいる人を幸せにする行動って、実は結構な影響になりますよね。そもそも自分は動くから、必然的に半径5メートルという範囲も連動するじゃないですか。

 

飯髙:そうですね。僕、タクシーに乗ったときに必ず「まだ勤務時間続くと思いますが、頑張ってください」とお礼と一緒に運転手さんに伝えているんです。そうしたら、もし、次の乗客が酔っ払いだったとしても、運転手さんが僕の言葉を思い出して寛大でいてくれるかもしれないって。

 

 

もし、その言葉がなくて、運転手さんのイライラが募ったとします。そうすると、休憩中に訪れた店で、店員さんに嫌な態度をとってしまうかも…そんなふうに負の連鎖が起きるかもしれない。労いの言葉がどれだけ効くかは分かりませんが、幸せな方向へ好転させる行動は常にとっていきたいですね。

 

三川:幸せにできるって、素晴らしいことであると同時に、誰にでもできることなのが素敵です。例えば、新人の頃って、周りに迷惑を掛けがちで萎縮しちゃうじゃないですか。それで自分の存在理由を疑うことも…。

でも、「どれだけ幸せにできているか」で評価できれば、いろんな側面で自分が活きていることに気付けると思うんです。「同期に励ましの言葉を掛けた」とか「お礼をしっかり伝えられた」とか。一見、当たり前の行動に思えますが、「幸せにつながっている」と思うと、自分の可能性が一気に拡がったように感じますよね。

 

ーできることがある、と実感することは、自信になりますね。

:社会人1年目の心得として、仕事ができる人は、「機嫌よく挨拶」と「視る」ことができると言われています。「機嫌よく挨拶」すると、まずネガティブな反応が返ってくることはないですし、可愛がられる。可愛がられると情報が入ってきやすくなって、早く成長するんです。超コスパがいいんですよね。「視る」とは、周りをよく観察することです。観察した上で、相手になにをしたら喜んでもらえるのかを考えて行動すればいい。

 

飯髙:「視る」といえば、新人の頃に習慣化していたことがありました。社会人になって数年間は、その日に仕事で関わった3人の人の良いところを3つ、必ず毎日書き出していたんです。人間って、どうしても嫌なことが目についてしまいがちですよね。僕がそういう人間でした。でも、意図的に良いところを探しておくことで、もし嫌なことをされても「でも、この人にはこんな良い側面もあるしな」って寛大になれます。

適材適所だと思って、駄目だと決めつけるのではなく、別の活かし方を探るようになりました。この視点を継続したことで、人の良いところを探そうという姿勢が身に付きましたね。

 

ーそれは真似したい行動です。他に、皆さんの後輩にあたる世代にアドバイスはありますか?

:当たり前、常識、固定概念…そういうところに自分を押し込める必要はないよ、と伝えたいです。納得できないことは選ばなくてもいい。それは反抗ではなく、選択をしているだけです。

 

飯髙:固定概念って、結局は誰かが先に作ったもの、でしかないですもんね。

 

:最初からあるから、それに順応しちゃうけど、数年経てばなんでも古くて使い物にならなくなっているはず。それを置きっぱなしにしているほうが問題です。捨ててもいいし、解剖してもいい。それがあることに違和感をもって、何かしらアクションをとることをおすすめします。

 

三川:先ほど飯髙さんが、「自分がなにをやりたいか決めていく」と仰っていましたよね。若い世代は、影響力のある人にSNSを通じてたくさん触れていて、意見に左右され、不安がっているように見えます。インフルエンサーなどの言葉は、あくまで参考に捉えて欲しいです。ただ先に生きてきた大人の意見に過ぎません。

 

 

ここから新時代が始まろうとしていますし、それを担うのがいまの10代、20代。自分たちに誇りをもって、堂々と自分の感性で生きてほしいですね。

 

ー皆さんがご自身の体験を積み重ねてきたからこそのお話を聞くことができました!本日はありがとうございました。

 

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イベントモデレーター:西村創一朗(Twitter)/西舘聖哉(ブログ)
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter