「やりたいことは今やれ」緊急避妊薬の無償化を目指す鶴田七瀬が、性教育と向き合うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第954回目となる今回のゲストは、「性暴力から子どもたちのココロを守る」ため、性教育をするひとのサポートを行う一般社団法人ソウレッジ代表の鶴田 七瀬(つるた ななせ)さんです。

日本で性教育を行うNPO法人でインターンをしたのち、性教育を積極的に行う30箇所以上の国へ訪問。帰国後に「性教育の最初の1歩を届ける」ことを目指し、ソウレッジを創業した鶴田さん。今のお仕事に至るまでのキャリアの変遷や、仕事観が醸成された経緯について伺いました。

見えないストレスから適応障害になり、大学を休学することに

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

一般社団法人ソウレッジ代表の、鶴田 七瀬です。ソウレッジでは性教育の教材開発をしたり、避妊薬の資金負担をする基金の運営をしたりしています。本日はよろしくお願いいたします。

ー今のお仕事に至った経緯や、キャリアの変遷について伺えればと思います。まず、学生時代のお話についてお聞かせください。

中学・高校時代は、吹奏楽をずっとやっていました。1つのことをやり続けるより、どんどん新しいことに挑戦したいタイプなので、中学では打楽器を、高校では弦楽器を担当。

大学では経営情報学部を専攻し、プログラミングや、経営・マネジメントを学びました。

ーその学部を選んだきっかけは?

高校のときにマーケティングの本を読んで「面白い」と思ったのが、経営に興味をもち始めた最初のきっかけです。お菓子屋さんを開きたいと思っていたので専門学校に行きたいという気持ちもありましたが、今思うと国立大学へ進んで良かったと思います。

ーそれはなぜでしょうか。

私は1つのことをずっとやり続けるような、職人気質ではないと思ったからです。いろんなことを学んで活かす仕事の方が向いていると思ったので、プログラミングや経営・マネジメントなど幅広く学べる学部を選びました。

ーサークル活動は何かしていましたか?

大学に入ってすぐに、文化祭実行委員会に入りました。とても大きな組織で、企画責任者を担当することに。ただ、そこのリーダーから嫌われてしまい、「お前が作る企画に価値なんてない」と言われたり、みんなの前で問い詰められたり、無視されたり……そんな日々が続きました。

また、メンバーが100人いて、企画書を紙で配るとなると、10ページ分あれば毎回1,000枚も印刷しなければいけなくて。みんなパソコンを持っているのに、なぜデータ化しないのか聞いても、「そういうものだから」と言われてしまう。

きつくあたられたり、自分の意見を聞いてもらえない環境に置かれて、気持ちが爆発してしまいました。

ー爆発したというのは?

希死念慮が芽生えて、「死んじゃった方が楽だな」「死んだら明日の企画会議に出なくてもいいんだ」と考えるようになったのです。

結果的にサークルは辞めたのですが、大学にいると、そこで頑張れなかった自分をどうしても思い出してしまい、大学へ行けなくなってしまいました。汗がたくさん出て体が震えることもあったので、今思うと適応障害だったのだと思います。

大学を辞めることも考えましたが、落ち込んでるときにする意思決定はあまり良くないと思ったので、休学することにしました。

海外の性教育事情を知り、 “羨望” と “落胆” どちらも感じる

ー休学中は何をされていたかお聞かせください。

高校のとき、ディズニーの働き方について書いてある本を読んで、ディズニーでの働き方や育成方法を現場で感じたいと思い、ディズニーで準社員として働くことにしました。

ー実際に働いてみてどうでしたか?

質問をすると必ず絶対理由とセットで回答してくれるなど、対応がすべて丁寧でした。大学時代は「なんでこうなんですか?」と聞いても、理由なく「今までこうやってきたから」と言われていたので、ディズニーの組織文化には驚きました。すべてのことに理由があり、きちんと説明してくれるので、納得感をもって働けましたね。

ディズニーで1年働いた後、大学のときから留学したいという想いがあったのでオーストラリアへ行き、住み込みのベビーシッターを仕事にしながら語学学校に通いました。

ーなぜオーストラリア?

姉が行っていて、安心感があったからです。初めての海外へ一人で行き、英語が話せない中で1年間生活しました。自分にとっては、殻を破る良い機会になりました。

ー日本に帰ってからはどのように過ごしたか教えてください。

留学にもう一度行こうと思っていたので、帰国する前にすでに「トビタテ!留学JAPAN」の申請をしていて。再度留学するまでの期間は、性教育の活動をしているNPOでインターンしました。

ーもともと性教育には興味があったのでしょうか。

自分が性被害を受けたり、人から性被害の相談を受けたりなど、身近なところで性の問題に触れる機会があったので、自然と関心ごとになっていたのかもしれません。でも今思うと、性の問題はありふれていて。みんな言わないだけで、悲しいけれどよくあることでもあると思うのです。

ー信用していない人や、男性には言いづらいかもしれないですよね。2回目に留学したときのお話について、お聞かせください。

デンマークを起点にしつつ、オランダやフィンランド、イギリスにある学校を30校ほど回り、性教育の勉強をしました。

訪問した国々では、幼いころから性教育をするのは当たり前。とても早い段階から、身体の大事な部分や赤ちゃんが生まれる仕組み、性被害にあった際の相談先などを教えていました。日常の中に性教育が溢れていて、意見交換も気兼ねなくできる環境でした。

一方で、当時の日本では性教育の話をすると、「え、何?下ネタ?」というような反応が多かったので、そこに感覚の差を感じました。

ーその他、留学時に印象的なことはありましたか?

イギリスでは避妊薬が無料になってから中絶件数が半減したという話がとても心に残っています。無料であれば気軽に避妊薬を飲めると思いますし、それ以外にも、貼るだけで避妊できるシールなど避妊方法がたくさんあるので、この国に生きる女性の方が自分の人生を自分で選んでいけると感じました。羨ましい気持ちと、日本はなぜこのような制度やサービスが無いのだろうというショックな気持ち、両方ありました。