たくさんの人に会い知ることは人生の糧になる。ホステル経営・藤岡ちえりの人生観とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第912回目となる今回は、藤岡ちえりさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。大阪の住吉区でホステル経営をしている藤岡さん。幼少期の出来事やホステル経営に至るまでの経緯、今後の展望についてお話を伺ってきました。

強くならなければいけないと思った幼少期

ーはじめに自己紹介をお願いします。

藤岡ちえりと申します。現在25歳でBonfire Hostel Osakaを経営しています。ホステルの経営は2022年の9月に始まりました。

ーホステル経営では日々どのようなことをおこなっているのですか?

ゲストハウスの掃除や予約サイトの作成、お客様への対応をおこなっています。私は経営者としてまだまだ未熟ですが、基本的な作業はすべて一人でおこなっています。

ー幼少期に大きな転機があったとお聞きしました。なにがあったのでしょうか?

7歳のときに、母が病気でなくなりました。当時は病気について詳しくわからず、一緒にいた人が突然いなくなるということが理解できませんでした。

私が一人でいるときに、親戚のおばあちゃんが優しく声をかけてくれたり、友達のお母さんがお弁当を作ってくれたりしたことがあります。そのときにたくさんの人の支えがあって自分がいると自覚しました。母を亡くした悲しみと同時に人の暖かさを知りました。

ーその後は、どのような幼少期を過ごされましたか?

母の死がきっかけで「強くならなければいけない」と思うようになりました。周りに心配はかけられないという思いがあり、天真爛漫にはしゃいでいたと思います。

幼少期からリーダータイプで、中学高校とバレー部に所属しているときはキャプテンや副キャプテンをしていました。

ーどうして強くならなければいけないと思ったのですか?

人前で泣いている姿や悲しんでいる姿を見せたくないと思ったのです。当時は女の子は弱く、男の子は強いという感覚を持っていました。私は強くなりたかったので、男の子たちとよくサッカーをして過ごしていました。

ー短期大学卒業後は飲食店に就職したとお聞きしました。飲食店に就職したきっかけはなんでしょうか?

たくさんの人に料理を食べてもらい、幸せになってもらうことは人生において必要不可欠なことだと思います。必ずご飯を食べる人間にとって、食べることは最も簡単に幸せになれる方法だと思っていて。

悲しい思いをしている子供たちも、ご飯を食べているときは悲しいことを忘れられると思いました。そのような空間で仕事がしたくて、短期大学でフードコーディネーターという食系の道に進み、卒業後に飲食店に就職しました。

ー飲食店に就職後、休みがあまり取れずしんどかったとお聞きしました。何があったのでしょうか?

繁忙期になると、朝9時から夜23時までの勤務が続くこともあり、休日がとても少なかったのです。体調を崩すこともあり、このままではいけないと思うようになりました。貴重な連休で初めて一人旅で広島に行き、ゲストハウスに出会い興味を持ちました。

「楽しい時間を共有できる」そんなゲストハウスに惹かれた

ーゲストハウスに興味を持ったのはなぜですか?

他のゲストの方たちと一緒に、カレーを食べながら会話をしたんです。飲食店は提供だけになりがちですが、ゲストハウスは会話ができて翌朝も人に会えると思いました。そのときに飲食店よりゲストハウスのほうが、自分のやりたかったことに近いと思ったのです。

人は必ずどこかでつらい思いや悲しい思いをしています。それを共有し、楽しい時間を過ごせるゲストハウスはとてもよいなと思いました。

ーその後はゲストハウスとどのような関わりがありましたか?

休日に友達と高知県のゲストハウスに宿泊して。ドミトリーの相部屋でゲストハウスに興味がある男性2人と話をしていくなかで、ゲストハウスをやりたいと思うようになりました。

ーどのようなお話をしたのですか?

日本人は他人と交流することを好まないというお話をしました。学校や会社の枠組では仲良くなるのに、枠の外に行くと敬遠してしまいます。しかし、ゲストハウスでは敬遠しないと思うんです。このような空間は多くないので、とても貴重だと思いました。