人との出会いと直感を武器に挑戦し続ける!女性起業家・釜谷あすりの掲げる「若者の主張」とは

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第47回のゲストは、「ジパング協会」代表理事の釜谷あすり(かまたにあすり)さんです。

学生時代にお父様のお仕事の関係でドバイに移住したのをキッカケに自身の価値観の変化を感じ、常に新しいことに挑戦し続けてきた釜谷あすりさんが、どのようなキャリアを歩み独立をし、選挙に出馬するまでに至ったのか…赤裸々に語っていただきました!

挑戦し続けた幼少期〜学生時代。14歳の少女は、ドバイの砂漠で世界の広さを知った。

ー早速お話伺いたいのですが、まず「あすり」という名前が印象的ですね。

よく、芸名ですか?と聞かれますが本名なんです!名前の由来は”アスリート”から来ています。
「何事も恐れずに、チャレンジ精神旺盛に生きてほしい」という親の思いが詰まっている大好きな名前です。私自身、名前負けしないように、小さなころからスポーツはもちろん、様々なことに挑戦して来ました。

ー幼少期には芸能活動にも挑戦されたとのことですが、応募のキッカケはご両親?

どちらかというと、自分の意思でした!
最初は習い事感覚で初めていたものですが、次第にメディア等に出ることが面白いと感じ、色々な大人の方に囲まれて、学校では得られない経験に魅力を感じていました。

ー芸能活動をやってみて、いかがでしたか?

小さなころから自分が頑張ったことが写真や映像などの形になっていくことを見て学び、「世の中に出るって面白いな」と感じていました!
そこから、ダンスやフィギュアスケートなど、自分で自分を表現することが好きになりました。
特にダンスの活動は、今後も生涯を通して続けていきたいと考えています。

ーもう1つの転機、ドバイへの移住はどんな生活だったのでしょうか?

当時は父の仕事の関係でドバイに移住したのですが、ドバイは今でも第二の祖国として大切な場所です。ドバイは都市と砂漠が隣り合わせであったり、活気ある町ときれいな海があって…日本とは人も文化も違いますし、何もかも新鮮で面白かったです。特に面白かったのが砂漠です。父と耐久レースをした時は現地の新聞にも掲載されました(笑)

ーそこでご自身の価値観が大きく変わったと?

はい!当時、主に悩んでいたのは、友人関係・将来のこと・勉強の事などでした。漠然とした「自分はどうなるんだろう」という不安や悩みに押しつぶされていたんです。
そんな中、ドバイに来て何もない広大な砂漠にぽつんと立ってみると、何もない世界がひろがっていて、もしかしたらこのまま死ぬかもしれない…とさえ感じるんです。世界はこんなにも広く、自分はなんてちっぽけなことで悩んでいたんだろう…となにかが降りてきたんです。14歳、ドバイの砂漠での出来事は、言葉では言い表せられない経験でした。