自分を信じる!テテマーチ取締役兼ブランドプロデューサー・三島悠太が思う決断の大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第855回目となる今回は、テテマーチ株式会社取締役兼ブランドプロデューサーの三島悠太(みしま・ゆうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

父親から影響を受けた学生時代を過ごし、刺激を求めてテテマーチ株式会社に入社した三島さん。取締役になるまでにさまざまな意思決定を経験しました。三島さんが大事にしている「決断の大切さ」について深掘りします。

企業のブランド支援に取り組む日々

ーまずはじめに、自己紹介をお願いいたします。

テテマーチ株式会社でSNSマーケティングや、企業のコーポレートブランディング支援をしています。現在は取締役をしつつブランドプロデューサーとして、企業の戦略設計やブランディング設計に携わっています。プライベートでは昨年の9月に第一子がうまれ、父親になりました。

ー具体的にどのようなお仕事をされているのか教えていただいてもよろしいですか。

SNSのマーケティング支援全般を幅広くやっています。企業のSNSアカウントの運用の手伝いや、ユーザーとコミュニケーションとるときのプランニング・コンテンツ制作をやらせていただいて8年目の会社です。

約1年半前にはブランドプロデュース事業を立ち上げました。具体的にはご相談いただいた企業がどのようなブランドでありたいかをワークショップしたり、SNSの口コミやお客様の声を反映させながら、ブランドコミュニケーションを活性化する支援です。

情報やものがあふれる今の時代では、ターゲットのユーザーに見つけてもらい、理解・共感して好きになってもらわなければなりません。企業が感じる課題をブランディングに落とすところに気付けていない企業はまだまだ多いので、ブランドプロデューサーとしてブランドが生き残るための支援をしています。

ー29歳で会社の取締役を務めていますが、現在の働き方に関してどのように考えていますか。

気付いたら今の立場や領域をやらせてもらっている感覚です。僕は仕事が好きで、働く時間や量を気にしないで夢中にやってきたタイプなので、仕事に漬け込む働き方をした結果が今に結びついていると思います。

一方で全部やりたくなってしまうタイプなので、メンバーを信頼して一緒に作っていかないといけないなと感じています。

父親の影響を受けた学生時代

ー幼少期はどのように過ごされたのでしょうか。

父親からは活発な男の子だったと聞いています。社交性があり、知らない人でもすぐ友達になる子どもだったそうです。6歳のときに親が離婚し、僕は父親っ子だったので父親についていく決断をしました。

父親は「失敗から学べ」と考える人だったので、自由な生き方をさせてくれました。今前向きな性格なのは好きなことをやらせてもらい、実現するために自分で考えて行動しなさいと言われ続けたのが関係していると思います。父親には本当に感謝しています。

ー15歳で転機があったと伺っております。

父親が経営者をやっていましたが、ビジネスに失敗してしまいました。今までの自由な生き方から一変、制限のある生活に変わってしまいます。小学校からサッカーをやっていてチームにも入団していましたが、高校に行けずにサッカーができなくなってしまう不安がありました。

最終的にはサッカーのスポーツ推薦で高校に入学できましたが、家庭の状況で部活の継続が難しくなり、アルバイトに明け暮れる生活を送ることになります。

当時は悔しい気持ちもありましたが、無事高校生活を乗り越えられたので自信がつきました。生活に苦しむこともなく最低限の暮らしを送れたのは、ひとつのプロジェクトが完遂できた感覚でした。

ー大学時代はどのように過ごされたのでしょうか。

大学は産業能率大学に決めました。オープンキャンパスに行ったときに在校生のプレゼンが上手でハキハキしていて、他の大学よりも圧倒的にキラキラしていると感じました。

産業能率大学の授業は話を聞くだけではなく、グループディスカッションやプレゼンテーションのカリキュラムが多かったので、自分にぴったりな大学でした。授業やサークル活動、課外活動に積極的に取り組みリーダーになる機会が多かったです。どのように周りを巻き込んでいくか、プロジェクトを前進させるか考える大学生活でした