様々なキャリアを持つ人たちが集まり、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うU-29 Career Lounge。
今回のゲストは、NEXTユニコーン企業として注目されているスタートアップ、freeeの今岡柾(まさき)さんです。
新卒採用がはじまる前に新卒0期生としてfreeeへ入社し、現在は新規事業開発の責任者として活躍されている今岡さん。なぜ、新卒でベンチャーだったのか? エリート達がぞろぞろと集まる環境の中で、いかにして責任者ポジションを勝ち取ったのか?
その背景にある想い、そしてキャリア戦略を聞きました。
“えげつない金持ち”に囲まれて気づいたこと
ー最初に、簡単なプロフィールとfreeeに入社するまでの経歴をお願いします。
1991年生まれで、今年28歳になります。中高はずっとサッカーをやってまして、部長でした。東京都でベスト8くらいまで行ったんですよ。でもそこで燃え尽きて、大学は第一志望に行くことができませんでした(笑)。
ー第一志望はどこだったんですか。
慶応です。浪人することも考えたんですけど、人と違う大学を選んで、人と違う大学生活を送るのもよいなと思って、最終的には首都大学東京に行くことを決めました。
人と違うポジションを取るというのは、僕の中に一貫している姿勢かもしれません。大学在籍中に海外留学をする機会があったのですが、そこでもあえてアメリカやカナダではなく、タイを選びました。東南アジアはこれから成長していくだろうし、なによりタイに留学に行く人って少ないだろうなと思って。
ーチュラロンコーン大学っていう、タイの東大っていわれているところですよね?
そうですね。「タイ ナンバーワン ユニバーシティー」ってググって、1番上に出てきたところにアプライしたら、なぜか通って(笑)。大学を1年休学して行きました。
―タイに留学した経験は、今岡さんにとって大きかった?
そうですね。月並みかもしれませんが、「貧富の格差」の大きさを思い知りました。タイは日本より貧しい国です。でも一方で、タイにいる本当の富裕層が、ほんとえげつなかったんですよ。
チュラロンコーン大学って、さっきも言った通りタイで1番いい大学なので、トップ大企業の息子や軍関係者の息子、「ベンツ、自分で10台で持っています」みたいなのがごろごろいる。大学に運転手さん付きの超高級車で通学していたり。
―それはえげつないですね。
そういう貧富の格差を体験したことで、「機会の不平等をなくしていきたい」と思うようになりました。これは今も人生のテーマとして持っています。僕はこの日本で生まれて、何の不自由もなく暮らしてる。これは本当に恵まれていることなんだなって、タイで実感しました。その幸運を社会に還元したいと思うようになったんです。
オフィス選びからはじまった、福岡支社時代
―大学卒業後には、新卒0期生としてfreeeに入社されています。きっかけは何だったのでしょうか?
もともとは大学院に行こうかとも考えていたんですよ。「機会の不平等」をなくすために、行政系の大学院に入って、もう少し公共政策について自分で勉強してみたいなと思っていました。ビジネスの道に進むのも良いかなと思うようになったきっかけは、freeeのCEO佐々木の話を聞いたことですね。
IVS(Infinity Ventures Summit)というスタートアップのカンファレンスがあります。僕、そこで学生スタッフをやっていたんですよ。そこでたまたま佐々木の講演を聞いた。佐々木はそこで「ビジネスで社会を動かす」という話をしていて、そうか、公共政策だけじゃなく、ビジネスの観点からも社会を動かすことができるんだなと気がついたんです。
ありがたいことにインターンをしてみないかという話を頂いたので、そこから大学行かずに週5でインターンをはじめました。あれよあれよと、新卒で入らないかという話を受けて、じゃぁせっかくなのでということで入社。ですから、面接を受けたことも、合同説明会に参加したことすらもないんです。
ーなるほど。とはいえfreee以外にも、起業などさまざまな選択肢があったかと思います。なぜ最終的にfreeeを選んだのか、ぜひ聞きたいですね。
ありがちですけど、「人・事業・市場環境」の3つで選びました。
人でいうと、freeeはやっぱりGoogleの人が立ち上げた会社なので、役員もGoogleの出身の人が多くて優秀な人が揃っている。話す人、話す人が、みんなすごく面白い、ユニークな人ばかりだったことが大きかったですね。あと、外資系のフラットな組織ですし、人事評価もすごくクリアになっています。頑張ればそれだけ評価されることも魅力に感じました。
事業という面では、自分の持っているテーマと事業内容が一致したことが大きかった。freeeの事業って、非常に公共性が高いんです。中小企業のクラウド化によって日本の経済を活性化したいというビジョンが明確にある。それが、先ほど話した「機会の不平等をなくしたい」という自分の思いと合致したんです。
3つめの市場環境というのは、成長する産業や市場かどうかということです。そういう伸びしろのある環境に自分を置くことによって、結果的に自分の市場価値が上がっていくだろうと考えた。こういった要素から考えて、freeeに行くのが正解だろうなと判断しました。
ーなるほど。実際に入社した当時のfreeeは、どのような雰囲気だったのでしょうか
今でこそ700名規模の会社になっていますが、僕が入社した当時のfreeeはまだ30人ぐらい。すごくカオスな状況でした。どのくらいカオスかっていうと、支社立ち上げを僕に任せるくらいカオスだった。
2016年の9月ごろですかね。「ちょっと福岡に行ってみる?」みたいな感じで上司にいわれて「じゃぁ行ってきます」ってことで福岡に行きました。
ーゼロからの立ち上げですか?
はい、もう完全にゼロから1人で。自分でオフィスを選ぶとことからはじめました。天神駅の近くのコワーキングですね。
ーすごいですね。それは入社何年目の頃ですか?
2015年4月に新卒入社しているので、入社1年半の頃、社会人2年目ですね。2年目にコレをやらせるって、結構カオスですよね(笑)。
最初の10ヶ月間は完全に1人、そこから人を採用して、3、4人。立ち上げから1年が経ったころに、もう僕いなくていいかなみたいな感じで東京に戻ってきました。
―すごい経験を積んでいますね。東京に戻られてからは、どのような業務を担当されているんでしょうか?
今は新規事業開発兼PdM(プロダクトマネージャー)を担当しています。「freee」は会計ソフトなので、ソフトを使ってくださっているユーザーさんが資金繰りに困った時に金融サービスを提供して、彼らのビジネスを良くしていくみたいな事業です。融資とかファクタリングとかっていわれる領域ですね。
コンフォートゾーンを抜け出せ
ー大学や留学先の選び方、新卒からのスタートアップ入社など、今岡さんは一貫して人とは違う道を選んできています。これはとても勇気がいることだと思いますが、そういった性格は昔からなのでしょうか?
そうですね。結構、個人的な理由なんですけど、僕には4つ上の兄がいまして。彼は財務省の官僚やったりと、見栄えがいいキャリアを歩んでいるわけですよ。そこで僕が彼と同じような道を歩むのは、ちょっと面白くないなと思ったことが影響しているかもしれません。
ー人と違う道を選んで後悔したことってなかったですか? 「やっぱ慶応行っておけばよかったなあ」、みたいな。
学歴コンプレックスはありますけど、学歴に負けないユニークな人生を自分で作ってきたつもりです。
ある特定の分野、例えばロジカルシンキングだったり、コミュケーション力だったり、それこそ学歴だったり、そういったところで人と戦おうとしても、自分より優秀な、絶対勝てない人って5万人、100万人といますよね。
でも多分タイに行った経験があって、タイ人の友達がたくさんいる人とか、僕は今NPOの理事などもやってるんですけど、そういう本職以外の活動経験を持っている人とか。そういう要素を掛け合わせてみると、同じような人ってなかなかいない。あえて人とは違う選択して、「埋もれないようにしよう」と常に考えていましたね。
ーご自身をとても客観視されているんですね。そういった視点は、どうすれば得ることができるのでしょうか?
やはり、自分で自分のことをよく知れるタイミングって、外に行ったときなんですよ。タイへ留学行ったときもそうですし、福岡支社に行ったときもそうでした。東京から離れてみて、はじめて自分をよく知ることができた。自分を相対化して見る習慣が身についたかなと思います。
ーコンフォートゾーンを出ることを通じて内省化するのが大事なんですかね。
そうですね。コンフォートゾーンを出るっていうのはおっしゃる通りだと思います。「福岡に行け」って言ってきた上司は、まさにそれを僕に課してきたわけですよ。「お前は今、コンフォートゾーンにいるぞ」って。
彼はGoogleのセールスでトップになって、マネージャーをやった後にfreeeに来た非常に優秀な人。そういうことを言ってくれる人が社内にいるのはすごくありがたかったなと感じています。
スタープレイヤーたちと戦うための「ジョーカー」
ー今はもうfreeeで5年目ですよね。3年目から5年目は、キャリアやライフステージについて考え出す時期かと思います。転職などを考えたことはありましたか。
ありましたね。5年目がはじまったくらいの時ですかね。30人規模の頃に新卒0期生として入社してから、500~600人規模になるまで、僕にはそれなりに成果を出してきたという自負がありました。でも、役職的になかなか上に行けなかったんです。
会社の規模が拡大していくとともに、30、40代の超優秀な人たちが外から入ってくる。IT業界のトッププレイヤーみたいな人たちが、僕の上にマネージャーとして入ってくるんです。正直、彼らには勝てません。もちろん、僕自身はすごい刺激になるし成長させてもらってるんですけど、いざ自分のキャリアを改めて振り返ってみると、本当にこれでいいのかなって。たとえば転職するにしても、「人を率いた経験はありますか」といわれたら、自分にはそれがないんですよ。
―伸びているベンチャーゆえのジレンマですね。
そうですね。なので、自分の裁量が持てる、もう少し小さいスタートアップに行こうかなと考えたりしていました。でも結果的には、違う事業部に異動させてもらって、本当にド新規の事業開発を任せてもらえるようになったので、今はリーダーシップを持って仕事が出来ています。
ー外部から優秀なスタープレイヤーたちが集まっている中、「ぜひ今岡くんに任せたい」と思ってもらえた理由は何だったんですか。
「金融事業部に行って事業開発やりたいです」というふうに明確にポジションを言ったことも大きかったのではないでしょうか。
もちろん、言い方は悪いですけど、普段から根回しみたいなことはしていました。金融系をやりたいという思いはずっとあったので、金融事業部の人に積極的に話を聞きに行ったりはしていましたし、誰がどういう悩みを抱えていて、どういう事業があるのかなど、普段から好奇心に従っていろんな人に話を聞きに行っていた。その結果として、説得力のある交渉ができたのかなと思っています。
ーなるほど。最後に今後の展望、今後のキャリアのイメージみたいなものがあればお聞かせください。
どうしましょうかね。将来的にはアジアに行きたいと思っています。転職や起業など、方法は色々と考えられますが、「機会の不平等をなくす」というテーマのもとに、アジアでテクノロジーを使ってやっていきたいですね。
30歳手前ぐらいまでに東南アジアに拠点を構えて、30代後半ぐらいから社会的インパクトを打ち出すために動いていきたい。今はそこに向けて、準備していきたいなと思っています。