様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第851回目となる今回は、理学療法としてデイサービスで勤務する傍ら、施設の責任者もされている倉本孝雄さんをゲストにお迎えし、これまでの人生についてや今後の展望について聞いていきます。
学生時代のケガをきっかけに、理学療法士として歩むことを決意した倉本さん。つらい経験を乗り越え、デイサービス施設の責任者として躍進している現在までの過程を語ってくださいました。
「ケガから人を救いたい」悩みながら突き進んだ学生時代
ーまずは自己紹介をお願いします。
大阪で理学療法士をしている、倉本孝雄と申します。普段は理学療法士としてデイサービスの施設で勤務中です。利用者様のリハビリをサポートをしながら、施設の責任者としてスタッフの働きやすい環境づくりに取り組みつつ、会社の発展にも携わっています。
ー理学療法士になろうと思ったきっかけは何だったのですか?
小・中・高と野球をしていたのですが、ヘッドスライディングが原因で肩の筋肉を断裂してしまい、腕が上がらなくなったときがありました。その時の治療法が理学療法だったのです。当時はアスリートの復帰にも興味があり、自分も人々をケガから救える仕事に関わりたいと思ったのがきっかけです。
ー理学療法士の道を選んで後悔はありませんか?
後悔はありません。理学療法は自分にとって手札の1つとなりました。知識を活かして仕事ができるのはよいことですし、様々な「気づき」を得られたのでとてもよかったと思っています。
ー理学療法を学ぶ上で悩むことはありましたか?
大学で資格を取得してすぐ、先輩方のリハビリ研修を見る機会があったのですが、そこで普段の先輩とのギャップにびっくりしました。表情のつくり方から発言まで、自分との能力差に愕然とし、とても悩んだのを覚えています。
ー技術の違いはわかるものなのですか?
はい。僕が患者さんに聞いていたのは、あくまで表面的な情報ばかりでした。先輩方の場合は、患者さんが本当に求めていることをコミュニケーションを通して深堀りしており、リハビリの精度がとても高かったのを覚えています。
自分の場合は患者さんにエゴを押しつけてばかりの時期もあったので、先輩方から勉強させていただきました(笑)。つまずくこともありましたが、自分の成長も感じられたので辛さがありつつも楽しさもありました。
「地元に貢献したい」という想いを胸に働いた一社目
ー社会人になりたての頃の意気込みや想いについて教えていただけますか?
当時は理学療法を通して、地域に恩返ししたいという想いがありました。例えば、地元の病院で働いたり、クリニックで働いたりなどです。しかし、より地域に根付いて貢献するには自分で独立して、患者さんに訪問サービスを提供するのがよいと考えていました。
ー最初は地元や地域に貢献したいと考えていたのですね。独立計画を視野に入れて業務していたのですか?
そうですね。職場の上司には、職場を3年で辞めて独立する旨を入社1年目の冬に伝えました。しかし当時は、独立するには何が必要かまったくわかっていませんでした。
まずは「人・物・金・情報」が重要だと思い、当時23、4歳の自分でもできるアクションとして、「たくさん人と会える環境を作ろう」と思いついたのです。そして、ある先輩と協力して医療・介護系の交流会を開催しました。
交流会をきっかけに運命的な出会いを果たし、転職を決意
ー交流会によって、今につながる出会いがあれば教えてください。
あるときに参加者の方から別の交流会に誘われました。そこで現在の職場の専務と出会ったのです。交流会をしていなかったら、当社で働いていませんし、今の自分もありません。
ー交流会を続けていたおかげで運が巡ってきたのですね。倉本さんにとって、専務のどのような点が心に響いたのですか。
専務が語る、会社への取り組みに共感したのが大きいです。まさしく自分のやりたいことを体現している会社だと、話していて感じました。
あるとき、専務が社長と話す機会を設けてくれたのですが、当時の自分にとって社長と会うことはなかなかない機会だったので、ワクワクしたのを覚えています。社長・専務とのお話しでは、会社のビジョンについて聞いたり自分のしたいことも伝えたりしました。そして、「この会社で働き、ビジョンに貢献したい」という想いを胸に当社に転職しました。