「”街を元気にしたい”と想う人が輝き続ける街」地域おこしに携わる谷山紀佳が願う理想の地域

今回は、米沢市役所 地域おこし協力隊 移住定住担当を務める谷山紀佳さんをお招きしました。

これまでのキャリア、地域に携わる仕事に興味を持った経緯について伺います。

 

移住相談を受ける仕事は、人生に携わる仕事

–現在の仕事内容を教えてください。

本業では米沢市役所 地域おこし協力隊 移住定住担当として働き、移住の現地ガイドとして相談に乗ったり情報発信をしたりしています。副業では、一般社団法人米沢みさわ小学校が展開する廃校を合宿所にするPJT、プラットヨネザワ株式会社が展開する観光DMO事業、米沢まちづくりラボでディレクターやライターとして働いています。

–米沢市の魅力を教えてください。

米沢市は東京から2時間の距離にあり、「食」の魅力が豊富にある地域です。「米沢牛」や「つや姫」の産地として有名で、どの定食屋に行っても白米が美味しくて感動します!また、上杉家の城下町としての歴史を持ち、戦国時代の名将・上杉謙信公をお祀りしている「上杉神社」があり、観光スポットとしても愛されています。

他にもさまざまな側面に魅力があり、それに気づいた方々が移住してきてくださるケースが増えています。

–仕事のやりがいを感じる瞬間はありますか。

自分が関わったことで、米沢に興味がある人と米沢の人たちとの、いい出会いが生まれると嬉しいですね!(移住の現地ガイドとして関わることで)移住検討者の方々が「米沢の方々との出会いが自分の人生に影響を与えてくれました」と喜んでくださったり、地域の事業者さんのファンに繋がることもありました。

米沢に関心があって来てくださる方も、米沢に住んでいて迎え入れてくださる方も、両方の方が喜んでくださると、とてもやりがいを感じます。

–過去に関わったなかにはどのような出会いがありましたか。

とある移住検討中の方が米沢に1週間滞在されることになり、アテンドを担当していました。事前にヒアリングを行うと「移住先で酪農や農業をしたい」とのことだったので、りんご農家の方の元へお連れして、りんご畑で話を伺う機会を作りました。

驚いたのですが、会話の中でりんごの木のオーナー制度があるという話になると、移住検討中の方がその場でオーナー権利を購入されたんです!その後も関係が続いているようで、自分が関わったことで両方にとって良い出会いが生まれた瞬間のひとつでした。

–仕事の上で心がけていることはありますか。

移住は慎重な検討が必要で、一度地域を訪れたからといってすぐに決断できるものではありません。仕事という観点でいうと、「移住者数の増加」という数字にすぐ表れるものではないということでもあります。過去には働く上での葛藤もありましたが、米沢のファンを増やすことを目標に据え、移住の仕事は人生相談の仕事だと捉え、それらを見失わないように取り組むように心がけています。

また、観光は楽しませてもらうものだとしたら、移住は主体的に地域を知ろうとするマインドで臨むものだと思っています。(移住検討者の方々に)主体的になっていただくためには現地ガイドとしても工夫が必要で、色々と試してきました。今行っていることの中で効果的なのは、移住検討中の方に自己紹介シートを作成していただくこと。

オリエンテーションの際に作成し、その後訪問する先でお渡しします。その方が主体的に関心、興味を持てる部分を引き出すツールになりますし、訪問先の方とのコミュニケーションのきっかけにもなります。

 

商店街イベントでの企画運営経験が転機に

–ご自身の子供時代のこと覚えておられることはありますか。

子供の頃は「めんどくさい」が口癖で、一生懸命になることが恥ずかしいと思っていました。中学3年生の時の担任の先生が「常に全力」を合言葉とする方で、その先生との出会いが自分の意識が変わるきっかけになりました。

今でも覚えているのは、当時合唱コンクールのまとめ役になった時のことです。クラスをうまくまとめられず葛藤していた時期がありました。先生の後押しや支えがあり、諦めずに向き合っていると「アツく頑張ることは恥ずかしいことじゃない」と気づくことができました。これまで人との衝突を避けてきた自分にとって、より幅広く人と関わることで活動内容にも広がりが生まれることを体感した経験にもなりました。

–進学先の大学や学部はどのように選びましたか。

子供の頃はディズニーが好きで、キャストになることが夢でした。その後、マクドナルドでのアルバイト経験などを経て、ホスピタリティを活かした仕事に就きたいと考え、ホテル経営や観光について学べる大学を探しました。

自己のキャリア構想に基づくプレゼンテーションと面接を通して受験するキャリア教育接続入試に応募し、経営学部 現代ビジネス学科に進学しました。

–地域に携わる仕事に就きたいと思ったきっかけを教えてください。

大学が拠点を置く自由が丘には、2日間で50万人来場する「女神まつり」という商店街のイベントがありました。大学の授業で、そのイベントの中で5人1組の学生が企画を考えるというものがありました。その授業に参加し、リーダーを務めた経験から地域を盛り上げる仕事に興味を持ち始めました。

–授業内容と当時経験したことを教えてください。

もともとは大学1年生の時に出場したビジコンで悔しい思いをして、当時のリーダーだった先輩を追いかけて参加した経緯でした。

出店スペースの確保から企業への協賛営業までの全てを学生だけで担うという…とてもサバイバルなもので、リーダーシップ、交渉スキル、企画力などが磨かれる機会でした。その中で、年齢や立場は違っても「自由が丘を盛り上げたい!」という想いを同じくする100人近い地域の方々にお世話になり、同じ目標に向けて協力し、関わる方々全員がハッピーになる状況が生まれた瞬間のことは今でも忘れられない記憶になっています。

この時、私の将来の方向性がある程度決まったような気がしました。

–どのような就活を行いましたか。

地域を盛り上げる仕事がしたいと考え、少しずつ選択肢を絞っていきました。ハード面よりもソフト面に携わりたいと思い、「コミュニケーション」「コミュニティ」「ブランディング」をキーワードに企業を調べ、就活を進めました。

入社が決まった後に参加していた内定者インターンの時期に、地域と携わる仕事への関心がより一層高まる転機がありました。

–その時のことを教えていただけますか。

インターン期間に福岡の団地再生プロジェクトの取材に同行したことがありました。同行する前は、「地方」というと過疎が進み、灰色なイメージの空気が漂い、寂しくなっていくだけだと思っていました。実際には、団地再生プロジェクトのチームの方々・地域の方・農家の方・行政の方々がみんな希望を持っていて、とても元気でカラフルに見えて…驚きました。「私もこの街の将来を見てみたい!」と思い、その後直談判の上、このプロジェクトのチームに入れていただきました。

この経験がなければ、私は今米沢にいないかもしれない、と思うほど転機となった経験でした。

 

街のために働く人たちが輝き続けられる街を作りたい

–移住の経緯を教えてください。

福岡での仕事はやりがいを感じてはいましたが、将来のことを考え、環境を変えて新しい挑戦をすることも考え始めました。それまでの間に地方の面白さを知ることができたこと、感動したことを伝えたがりの性格であったことを踏まえ、地方に携わり、人と地域の良い出会いを生み出す仕事をしていきたいと考えていました。

イベントの仕事で数回ご一緒した知り合いの方が米沢でまちづくりに携わっていて、当時偶然連絡があり、一度米沢に行ってみることになりました。

米沢を訪れてみると、大地からは美味しい物がとれて、朝はやっほー!と言いたくなる山があり、民間企業も市民の方々も街を盛り上げようと頑張っている姿を感じました。「これからまだまだ盛り上げていくぞ!」という未完成で夜明け前なムードにも興味が湧き、一緒に頑張りたいと思ったことが移住決断の後押しになりました。

–仕事に向けられた熱量の源泉は何ですか。

「大好きな人たちに幸せになってほしい」という気持ちですね。

米沢には、かっこいいものを作ってる人、美味しいものを作ってる人、地域のために汗をかいて頑張っている人がたくさんいるんです。その人たちが幸せでいてくれて、周りの人も幸せになり…最終的には街を元気にしたいと思う人たちが輝き続けられる街でありたいと思います。

–目標や展望を教えてください。

米沢で暮らしたい人や、米沢に住んでいなくても関わりたい人が増えるように尽力したいと考えています。今年度は、地域おこし協力隊として行政の立場から取り組んでいますが、地域おこし協力隊を卒業した来年度以降は、街を元気にする取り組みを民間事業者の立場でも参画できるようになりたいです。よりシビアに経営力が問われることになるため、私にできるか不安な気持ちもあるのですが、、周りの方々と協力しながら、今後力をつけていきたいです。

 

取材・執筆=山崎 貴大