散歩のような人生を。事業開発・國井仁が新しい視点で世界を捉え直す人生観とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第843回目となる今回は、株式会社ワープスペース 事業開発の國井仁(くにい ひとし)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

東アフリカ諸国の滞在を機に経済発展のためのテクノロジーではなく、社会全体の役に立つ技術に関心を持った國井さん。新卒で宇宙スタートアップに7人目としてジョインし、世の中の貢献につながるために事業開発を行っています。人生のテーマは散歩だと話す國井さんから、目的地のない人生を歩みながら自分の世界を拡張する姿を紐解きます。

宇宙空間に通信ネットワークをつくる会社に新卒で入社

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社ワープスペースで事業開発を行っている國井仁と申します。宇宙における光通信ネットワークの開発に取り組む会社で、7人目のメンバーとして新卒で入社しました。営業を中心に採用やPR広報、新規の研究開発案件の調査などの業務に携わっております。

ー宇宙スタートアップに馴染みがない方もいらっしゃるかと思うので、事業内容を詳しく教えてください。

我々の会社では、宇宙空間で衛星を活用した光通信ネットワークを構築し、主に地球観測をしている衛星事業者をターゲットとする通信サービスの開発に取り組んでいます。地上でいうところのインターネットやネットワーク化された通信網と言えます。

宇宙と聞くと遠い存在だと感じるかもしれませんが、実は私たちの生活にも身近なものです。GoogleマップやポケモンGOのようなGPS衛星を使った位置情報サービス、天気予報にも宇宙からのデータなどが使われています。地球上の様々なインフラやサービスで宇宙が活用されています。昨今盛り上がりを見せている宇宙産業の中でも、地上から400km〜1,000kmの高度を低軌道で周回する小型衛星を活用した事業が注目を集めています。

ところが低軌道衛星は秒速8キロという超高速で飛んでおり、地上に設置されている地上局が衛星から見えている時間のみ通信してデータをおろすことができるため、衛星が地球を90分で1周するうち、地上と通信可能な時間は10分程度とかなり限られます。そのため、人工衛星がどれだけデータを取得しても、即応的に全てのデータを地上に降ろすことができていないのがボトルネックです。そこで我々は、そのボトルネックを解消するために、リアルタイムに大容量のデータ通信を可能にするサービスを提供しようとしています。

ーそのサービスは、どのようにして実現するのでしょうか?

顧客が運用している地球低軌道を周回する人工衛星から一度データを中継し、我々が代わりに地上の地上局に降ろします。具体的に言うと、顧客の人工衛星が飛んでいる軌道よりもさらに高い中軌道に、光通信機器を搭載した3基の中継衛星を飛ばします。その中継衛星にデータを一度転送してから地上にデータを降ろすことで、常に通信可能な状態を実現できます。

地球観測衛星のデータに即時にアクセスできるようになると、例えば災害対応などで大きな効力を発揮できると期待されています。また衛星データの利活用がさらに進むと、農林水産業から物流、保険、金融など地上のあらゆる産業と紐付けたアプリケーションの開発が進展するでしょう。私たちはその基幹インフラの構築を手がけています。

怪我での挫折を機に、自分の人生を深く考えるように

ーここからは、國井さんが今に至るまでの転機やきっかけをお伺いします。学生時代はバスケットボールに情熱を注いでいたそうですね。始めたきっかけを教えてください。

僕は3兄弟の末っ子で、上の2人が小学校からバスケットボールをしていたのでよく試合を観に行っていました。実際にプレーを始めたのは当時小学1年生のときで、下級生向けの大会メンバーが足りないから出てほしいと言われたのが始まりです。

そのときは、ディフェンスとオフェンスの切り替えに全くついて行けなくて(笑)。でもそこからバスケットボールの面白さにハマり、本格的に始めたのは小学2年生からですね。選手として大学2年生まで、13年間続けました。

ーバスケットボールが國井さんのアイデンティティだったのですね。18歳のときに、初めて自分の人生と深く向き合うようになったそうですが、何があったのですか?

一番力を入れていたのが高校時代だったのですが、3年生のときに前十字靭帯断裂と半月板を損傷し左膝を完全に壊してしまったんです。県内2位の強豪校に通っており、大学もバスケットボールで進学できたらと思っていたので困り果てました。

そのままリハビリをしながらプレーを続けましたが、結局手術が必要な大怪我なので夏のインターハイを区切りに引退し、手術後しばらくはベッドに横たわる日々を過ごしました。同級生はそれぞれの進路に向かって頑張っているなか、自分はただベッドにいなければならない時間が辛かったですね。

でも自分と向き合う時間ができたことで、短期スパンではなく長期的なスケールで自分の人生を考えるようになったと思います。これまでなんのためにバスケットボールをやってきたんだろうとか、これから先はどうやって生きていこうかを考えるようになりました。

ー國井さんにとってショックな出来事だったと思いますが、いい意味で視点が切り替わったのですね。ご自身の中で、今後のことを考えようと思えたタイミングを教えてください。

客観的に、現役最後の年に復帰不可能な怪我をしたら同情されると思いますが、僕はそれが許せなかったし、むしろ怪我したことを自慢できるものに変えてやろうと決心したんですね。だから自分が一番かっこいいと思う進路選択や意思決定をし続けることが、常に意思決定の基準になっていたと思います。

そう思うようになったきっかけがあって。正直なところ、現役の間ずっと頑張り続けられたわけではありません。辛いこともあったし、手を抜いたこともあります。ただ高校の顧問の先生には見透かされていたようで、練習中に呼ばれて一言「お前、かっこ悪いぞ」と言われたんです。それが無性に悔しくて、結果的にモチベーションにつながったように思います。結局怪我で高校バスケは終わってしまいましたが、遥かに長く続く自分の人生をどう使っていきたいか、自問自答を繰り返し人生に向き合い始めると同時に大学生になりました。