メディシェアJAPAN代表・吾妻勇吹が語るこれからの医療業界に必要なこととは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第828回目となる今回は、メディシェアJAPAN代表・吾妻 勇吹(あづま・いぶき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

理学療法士として働き、現在はフリーランスで活動している吾妻さん。働く中で感じたことや、これからの医療業界に必要なことを話していただきました。

 理学療法士に強い憧れを抱いた中学時代

ー自己紹介をお願いします。

吾妻 勇吹(あづま・いぶき)です。大阪の医療専門学校を卒業後、理学療法士として6年間勤務しました。その後フリーランスとして独立し、挑戦しようとしている医療従事者が集まるオンラインサロン・メディシェアJAPANを立ち上げ、代表を務めています。

ー情報交換ができるオンラインサロンを立ち上げるきっかけを教えていただけますか。

まず初めは、理学療法士が病院の垣根を超えて情報交換ができる場所を作りたいと思い「近畿アウトプット会」という症例検討会の団体を作りました。そこで感じたことは「こんなに真摯に患者さんに向き合う理学療法士にもっと価値をつけたい。」です。理学療法士の活躍できる場所を増やしたいという想いが出てきました。

そんな時、看護師さんや薬剤師さんのコミュニティの代表者と対談することがあり、そこで「隣の畑も知らない」ことを知りました。もっとメディカルな知識をシェアするだけでそれぞれの業界の社会的価値が高まり、より患者さんにいい医療を提供できるようにと考え、近畿アウトプット会からメディカルをシェアするメディシェアへ名前を変えたのです。

このようにして理学療法士の団体から医療従事者の社会的価値を高めるオンラインサロンへ変革していきました。

ーここからは少し遡ってこれまでの経緯を伺います。理学療法士を中学生の時から志していたそうですね。

中学2年生で理学療法士になろうと決めましたバスケットボールで怪我をしてしまい、リハビリテーションに通うことになりました。そのとき理学療法士が寄り添ってくれて、競技に復帰する希望を見せてくれたのです。

お世話になった理学療法士が本当にかっこよくて憧れました。

ー高校に進学しても夢は変わらなかったのですか。

母が看護師で「力仕事は男性看護師がいると助かる」と聞いていたこともあり「男性看護師もありかな」と思ったことも一時期ありました。

高校生の時に入院し、自分でトイレにも行けない状態で男性看護師にお世話になったことで看護師の道も一瞬頭をよぎりましたが、結局理学療法士になりたい気持ちは変わりませんでした。

ー家族の影響もあったのですね。

母、そして祖母も看護師で「理学療法士になりたい」と話した時は喜んでくれました。母は救急救命士か警察になってほしかったそうですが(笑)。

働く中で理想と現実のギャップに悩む

ー理学療法士を目指して免許を取得し、実際働いた時にギャップはありましたか。

理学療法士に憧れてこの世界に入りましたが、憧れる先輩もいればそうでもない先輩もいて、ギャップがありました。給料やキャリアに関しても、就職してから感じる部分が多く不安でした。

ーはじめは病院に就職されたのでしょうか。

はじめて就職をした病院で2年、その後転職した病院で4年、計6年間勤めました。理学療法士になるまでは勉強が嫌いでしたが、困っている患者様のために勉強し、リハビリテーションで結果が出た瞬間は達成感がありました。

その過程で、これからの医療に必要なものは何か、今後のキャリアにもより目を向けるようにもなったのです。

患者様の悩みを追求していくと「病気にならないようにできたのに…」や「痛くならないためにこうしておいたら…」 といったことを思うようになって。

そこから徐々に予防分野に興味が湧き、予防分野で活躍されている人たちに会いに行くようになりました。そのときスポーツや地域の予防教室を開催されている方に声をかけていただき転職をしました。

ー自分のやりたいことを見つけられたのですね。やりたいことができている感覚はありましたか。

やりたいことができる環境になりました。患者様の経験から学術活動を年間2〜4本させてもらったり、看護学校で非常勤講師をさせてもらったりと、理学療法士としてのキャリアを積み上げることが楽しいと感じておりました。

一方で、周りと同じことに「本当にこのままで良いのか」とも感じていて、感情が二極化していた時期でした。

ー今後のキャリアに悩まれていたのですね。当時の吾妻さんはどのような行動を起こして解決しようとしていたのでしょうか。

寂しがり屋だったこともあり、人に会いに行くことで自己肯定感を高めていました。出会った人たちが、さまざまな視点から話してくださったことで点と点がつながる感覚がありました。

ー悩んでいたのはコロナの影響も大きかったのでしょうか。

病院で普通に働いているにも関わらず何もできない自分に劣等感を感じていたことも要因だと思います。

コロナがやってきたときに、自分が元気をもらってばかりだったことに気がつきました。理学療法士だけでなく、飲食店の経営者ともつながりがあったのですが、その人たちがSNSで愚痴をこぼしていたことは今でも頭に残っています。

ー何かしたいという思いがありながら、何もできていない現実に苦しんでいたのですね。

理学療法士としてリハビリテーションを提供し、人の役に立っている感覚が病院の中ではあっても外では何もできない自分がいて、小さい世界で生きていることに苦しんでいました。

ーそこから這い上がる時に支えになったことはありますか。

学生の困っている声が原動力となり、「僕にできることをしよう」とオンラインサロンを立ち上げることができ、少しずつ気持ちも回復していきました。

ー医療従事者が楽しくいられる環境を作りたいという気持ちだったのですね。

朝の申し送りの時間にスタッフ間で情報を共有するのですが、ほとんどの看護師が腰にベルトを巻いていることに気がつきました。

夜勤の看護師が大量のお菓子を持って夜勤室へ移動していたり、医師に睡眠薬をもらいにいったりしている姿も目にして、医療従事者が幸せに働けていないのではないかと感じました。

ほかにも、介護士が利用者にタオルを投げるところを見てしまいます。僕はその時衝動的に怒ってしまいましたが、あの介護士はタオルを投げつけて介護士になれたわけではないはずです。働く環境の問題があったのかもしれないと僕も考えを改めました。

そして、医療従事者が幸せでないとよりよい医療や介護を提供できないのではないかと思ったのです。