出会いから生まれる道。失敗してでも行動に移す。片寄裕介のお芋に夢中な人生

地域の中でもっと自由に関わっていきたい

ー大学を卒業されてからは、就職をされたんですか?

リハビリ専門病院で、3年間作業療法士として働いていました。理学療法士は、どちらかというと身体機能向上などの身体にフォーカスした機能訓練が中心で、作業療法士はその先の日常生活のことや、精神面にもフォーカスを当てて関わる職種です。

「心が動けば、身体が動く」「その人らしさを大切にする」そんな作業療法士の理念がかっこいいなと思い、この仕事を選びました。

病院という環境で働いていくうちに、患者さんとの関わりでやりがいは感じられるものの、限られた環境で提供できることの狭さやもどかしさも感じていました。

病院ではなく、退院した先にその方たちが住む地域の中で、もっと自由に関わっていきたいなと思いはじめました。

ーそこからお芋屋さんに繋がるきっかけを教えてください。

病院に勤め始めたころに、30歳になったら地域の人が集まるコミュニティを作りたいと思うようになりました。

自宅があって職場があれば生活はできると思うのですが、プラスアルファで居場所があると人生に彩りが出る。人生に必ず必要な場所ではないけれど、気持ちの面で支えになるような場所で人と関わっていきたいなと思いました。

コミュニティカフェの構想をするなかでコロナ渦になり、急にいろいろな店が休業になって、家賃などの固定費がかかるとリスクが高いと感じました。

カフェですが、畑やフリースペースを絶対に作りたいと思っていて。ハンドメイドのワークショップやヨガの教室など、自由に使ってもらえる場所を作りたいという夢はたくさんありましたが、初期投資とランニングコストに対して数字が合っていないことに気がついたんです。

一度夢を諦めた瞬間がありました。そんなタイミングで都内へ行ったとき、たまたまキッチンカーを見つけて、キッチンカーという選択肢もあることに気づいたんです。

そこから考え直したときに、キッチンカーは初期投資が安く、ランニングコストも安い。それと30歳まではまだ仕事も続けたいと思っていたので、病院も続けながら営業日を自分で選べることも魅力的でした。

キッチンカーは移動ができるので、人との出会いも広がるなと感じました。起業は30歳を目標にしていましたが、今からでもできるなと思い、1週間後にはキッチンカーを買いました。この時点では、何屋になるかは決めていませんでしたね(笑)。

ひとり旅をしているころからホームページを自分で作っていたので、ホームページをつくり、ロゴも考えて。何も決まっていないのに、どんどん進めていきました。

職場の先輩にも何を作るか相談して、「チーズハットクは?」「 バインミーサンドイッチは?」など候補はあったのですが、シンプルに自分が好きだった焼き芋屋さんになることを選びました。

お芋は昔から愛される流行り廃りのないもの

ーキッチンカーをやり始めて、気づいたことはありますか?

キッチンカーで良かったなと思います。キッチンカーだからこそいろいろな出会いがあって、人との距離も近かったり、場所も移動したりできるので出会いも広がりやすい。まだお店を持たなくてもいいな、お芋でよかったなと思いますね。

お芋にした動機はふんわりしていましたが、もし売れ残っても自分が食べたいと思えるものにしたいという理由が大きくて。もうひとつは、コミュニティの場として考えたときに、世代を幅広くしたかったので、昔から愛される、文化に近い流行り廃りのないものと思うとお芋だなと考えました。

お芋は皆んなに馴染みがあって、愛されている。お芋って本当にすごいなと思いますね。

ーお芋屋さんを始めて、苦い経験もされたそうですね?

最初は、キッチンカーがやりたいが先だったので、正直に言うとそんなに味にこだわらなくていい、大事なのは「人」なんだと思っていました。

確かにそういう要素も間違いではないと思うのですが、お芋屋さんをやってみて、市場から仕入れていたお芋が全然美味しくなかったときがありました。

僕も当時はあまり知識がなかったので、市場から仕入れて自分がこれだと思うやり方で焼けば、美味しいものを提供できると思っていました。

オープンしてすぐのころにお客さまから予約が入って、焼き上げていくもののカチカチで、美味しくなってこないんです。でもそれを予約時間が来てしまったので、納得がいかないまま、妥協して渡したことがあったんです。そのときにものすごく後悔しました。

自分が自信を持って渡せないと、その先にいいものは生まれてこないなと思って。その後から、お芋を市場から仕入れるのを一切やめて、農家を回り始めました。

100件以上回ったのですが、そのときの行動力はヒッチハイクの経験が生きているなと感じました。

焼き芋って結局焼くことしかできないので、素材が大事です。焼き芋屋さんの仕事って、芋を選ぶことがまず1番の仕事なんだなと思っています。

その上で焼き方を工夫して、自分の中でデータを積み重ねていく。焼き芋って焼き方がロジックとして確立されていないように思います。愛情や想いはもちろんですが、お芋も科学です。だから失敗もしながら、経験を積み重ねていっています。

ーそこから独立しようと思ったきっかけを教えてください。

勢いで焼き芋屋さんをオープンしてから、3ヶ月で独立しました。すごくうまくいっているわけでもないのに、思考が固まる前の若いうちにチャレンジしたいなと思ったんです。

病院と両方するのも大変でした。どっちを選ぶかといわれたら、苦労や失敗を覚悟してでも後悔しないようやり抜きたいなと思い、病院を辞めました。

今までサラリーマンやアルバイトで、与えられた仕事をやってお金をもらうことしかしてこなかったのですが、初めていただいた1日2,000円の売上が、これまでの月給以上に価値を感じて。初めて自分で作り出せた対価だと思い、とてもうれしかったのを覚えています。

サラリーマン時代は、稼ぐのは悪いことのように思っていましたが、独立して2年ほど経つ今は考え方が変わってきました。

やりたいことをして、お客さんに価値を提供していくには、当然長く続けていく必要がある。続けていくには、利益を出すことも大切に思っています。それは、これからもより良い価値を提供できるようにするためです。

最初のコンセプトを大事にしながらやっていますが、もう1つ土台を作っていこうと始めたのが『oimo&coco.』です。『cocot』は、僕がいつまでもお店に立ち、お客さんと楽しく話しながらのんびりとやっていきたいんです。

しかし、40〜50代になってもキッチンカーでやっていくの? 家族は養えるの?と思ったときに、もっと様々な選択肢をもったほうが良いなと考えました。自分自身がお店に立ち続けたいけど、仲間たちと事業を成長させていく体験をしてみたいと思うようになったんです。

そこで今『oimo&coco.』で卸売を広げたり、フランチャイズ事業・通販事業の展開を始めています。ここ数ヶ月でメンバーと共に仕事をするようになり、難しさも感じながら、やりがいと楽しさも感じています。

大好きなお芋でしっかりとした土台をつくった上で、30歳になったときにサードプレイス作りの夢が叶えられたら最高です。

ーステキなお話をありがとうございました!片寄裕介さんのこれからのご活躍も応援しております!

取材:和田晶雄(Twitter
執筆:後藤ちあき(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter