様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第246回目となる今回は、株式会社Beyond Cafe CEO 伊藤朗誠さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
「日本の教育界を変えたい」そう語る伊藤さん。伊藤さんがそう決断するまでのエピソードや半生について詳しくお伺いしました。
「言葉は魔法だ」恩師の一言で人生が変わる
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
株式会社Beyond Cafeの伊藤朗誠と申します。
「日本のキャリア教育をアップデートし、全ての若者が働くを通じて人生に夢中になれるキッカケを創出する」をビジョンに掲げ、主に大学生向けにキャリア教育支援を展開しています。現在、ユーザー登録数は累計6万人、約200社の企業様に利用いただいています。
元々は、実店舗を保有する「BEYOND CAFE」を運営していました。大学生向けに無料で使えるフリースペースを運営し、社会人や経営者の方と学生が自由に交流できる場を提供していたんです。
現在は新型コロナウイルスの影響で対面の場に足を運びにくいため、実店舗でオープンしていたオフラインの場からオンラインの場に切り替えました。オンラインに切り替えたことで日本全国、海外の大学からの利用者も増え、サービスの幅が広がりましたね。
また、「教育」については小学校時代の経験をきっかけにいろいろと考えるようになり、以前から興味を持っていた分野です。小学校以降も様々な経験や人との出会いがあり、現在のビジョンにたどり着きました。
ーここからは過去に遡って伊藤さんの人生をお伺いしたいと思います。小学生の頃はどのような子どもだったのでしょうか。また、当時印象的だったエピソードを教えていただけますか?
小さい頃からとにかく背が高く、小学6年生で170cmを超えていました。身長が大きかったことと1人っ子だったことから兄貴分な性格で、同じマンションに住んでいた子たちを連れて、よく遊びに出かけていましたね。
印象的な出来事としては、父との思い出が記憶に残っています。
小学生だったある日の早朝、父に「社会科見学に行くぞ」と連れ出されたのは「西成」。西成はホームレスの方が多いことでもよく知られているのですが、その日も朝から食料配給で長蛇の列ができていました。その様子を見ていた僕に、父がいきなり「悪いことしたらここに捨てるからな!」と言ってきたんです……!驚きました(笑)。
父はとても厳しい人で僕のことを褒めることがなかったので、小学生の頃は褒めてほしい気持ちが大きく、承認欲求が強かったですね。
また、小学生の時の恩師との出会いも僕のその後の人生に大きく影響しました。
身長が大きかったこともあり、当時の僕は喧嘩に強かったんです。あの頃は幼かったこともあり、僕にちょっかいを出してくる子に対して暴力で解決しようとして先生に怒られたことがありました。ですが、僕はちょっかいを出してくる人が悪いと思っていたので、僕だけを叱る先生の指導に強い違和感を感じていました。
そんな時、僕の話をしっかり聞いて向き合ってくれる一人の先生と出会ったんです。その先生が僕に「言葉は魔法だ」「言葉があるから人は分かり合える。あなたの『暴力』という問題を私は言葉で解決してみせる」と伝えてくれて……。先生の言葉を受けてからの僕は喧嘩をしなくなり、その分余ったエネルギーをバスケットボールの練習に向けることができました。
ー恩師や厳格なお父様と過ごされてきた小学生時代を経て、中学生時代は部活に熱中されようですが、部活動の中で印象的なことはありますか?
中学校では、高身長を活かしてひたすらバスケットボールに打ち込んでいましたね!
学校生活のほとんどをバスケットボールに捧げていたため、地区選抜メンバーに選ばれるまでにはなることができました。しかし、身長の高さだけでは勝てない現実にぶち当たったんです。通っていた中学校の部活内では高身長を活かして戦うことができたのですが、地区選抜ともなると周りの技術レベルが圧倒的に高く……。これまで僕のいた世界がいかに狭かったのか、思い知らされましたね。
ーバスケットボールをとても頑張っていたのですね。スポーツ以外でも頑張っていたことはありますか?
バスケットボールと並行しながら、僕なりに勉強も頑張っていましたね……!父に褒められたい気持ちは引き続き強く、小学校の時は勉強で1番を取りたいと思っていました。猛勉強の末中学校を受験し、大学付属の中高一貫校に進学したんです。
入試の時にいい成績をとることができたため、入学時の成績から順位を下げたくないと思っていました。現状をキープするために勉強も頑張っていましたね。
また、バスケットボールに関しては身長だけでは勝てない環境に身を置いたことで、改めて身長以外の武器を身につけるにはどうしたらいいのか、試行錯誤しながら探しました。結果的に、バスケットボールは大学まで続けていましたね。
「ゴールをわからずして目標を達成できる?」僕のルーツになた考えとの出会い
ー高校でもバスケットボールを続けていらっしゃったそうですが、大学進学はどのような受験勉強をされていのでしょうか?
高校時代は、全10クラスの中で唯一の特進クラスに在籍していました。しかし、同じクラスには頭のいい人が多いため、部活に夢中になっていた僕はいつの間にかクラスの中で下位の成績になっていたんです。
部活を引退し、いざ受験勉強に集中しようと思った直後のセンター試験の過去問では、200点中82点の成績。この結果に衝撃を受けた僕は、本腰を入れて受験勉強をスタートするために予備校へ通うことにしました。
そして、この予備校である先生と出会ったことが、僕の人生のターニングポイントになったんです。
ーどんな出来事があったんですか?
ある日の授業前、予備校の先生が「なぜ大学へ行きたいのか、なぜこれから英語の授業を受けるのかこの紙に書いて」と、僕たち生徒に白い紙を配布したんです。そして、こう言われました。
「何も書かれへんやつは、想いがない。そんなやつは大学に受からへん。俺が担当した生徒の進学率が下がるだけやから、俺の授業受けるの辞めてくれ」と……。
とても驚きました(笑)。生徒の中には先生の発言に反感を抱き、授業を辞退する人もちらほらいたほど。
一方、僕は先生にそこまで言われたことで逆に悔しくなり、自分自身の過去を振り返りながら、渡された白い紙を一心不乱に埋めていきました。
ーどのようなことを書かれたのでしょうか?
父が自営業だったこともあり、幼い頃から起業や経営に漠然とした興味を持っていました。僕もいつか起業にチャレンジしてみたいと思っていることや小学校の先生との出会いをきっかけに「教育」分野に興味関心があることを綴りました。
すると、僕が提出した紙を読んだ先生から「君の志望大学に合格するためにはどうしたらいいと思う?」と問われ、僕は正直に「英単語を覚えて……」と、その時考えていた対策を一つひとつ答えました。すると、先生から「志望大学の入試過去問題集は解いたことがあるのか?ゴールをわからずして目標が達成できると思うか?」と言われたのです。
今思えば当たり前のことなのですが、当時の僕には先生の言葉が真正面から突き刺さり、物凄く腑に落ちました。この瞬間からエンジンがかかり、一気に10年分の入試過去問題集を解きました。
すると、だんだん勉強がRPGゲームのように思えてきて、すごく楽しくなってきたんです。RPGゲームは自分のレベルを上げることで敵を倒すことができるのですが、同じように勉強もやればやるほど知識が豊富になり、それまで解けなかった問題がどんどん解けるようになっていくんですよね。
勉強を楽しめるようになったことで主体的に勉強に取り組むことができ、自立にも繋がったと感じています。センター試験の過去問を初めて解いた時には82点だった僕が、最終的には191点を取ることができました。
ー82点からの191点!物凄い飛躍ですね!そしてその先生との素敵な出会いは、おそらく伊藤さんの中でも一生の出会いになったと思うのですが、目標としていた志望大学への合格は達成されたんですか?
いえ、実は志望大学には届かなかったんです。この経験は僕にとって大きな挫折でした……。
ですが、予備校の先生のおかげで「新しいことに取り組むときは、最初に人生のゴールを考える」ことを学ぶことができたので、「ゴールを達成する手段は一つではなく、志望大学へ行くことができなくても別の選択肢から同じゴールを目指せる」と思い、気持ちを切り替えることができました。
予備校の先生との出会いが、志望校に落ちてしまっても前向きになれたきっかけだったので、先生には本当に感謝しています。
また、僕たちが提供するBEYOND CAFEのブランドコンセプトは「Meet Yourself 〜意義に出会い、本当のあなたに出逢う。 〜」です。これも「なぜ働くのか」というゴール設定なしに仕事をするのはそもそもナンセンス、という僕のマインドが影響しており、過去の経験が活きています。
大学生にして、厳しい営業マンの道へ。熱量に溢れたキャリア変遷とは
ー大学受験期はご自身の大きな転換期にもなったと思うのですが、受験を乗り越えて入学した大学での生活はいかがでしたか?
必死の受験を経て大学へ入学したものの、学業というよりはサークルやインターンに勤しんだ毎日でした。
1年生の頃は、いわゆる「大学生らしい遊び」を満喫しました。ですが、次第に「このままではあかん」と考えるように。何の能力も持たない僕が世の中でどこまでチャレンジできるのか試してみたい、と思ったんです。
ー具体的には、どのようなことに挑戦されたんですか?
2年生の夏休みに、タイ・マレーシア・シンガポールを1人で縦断しました。しかし、1人旅初日に乗った飛行機で『地球の歩き方』という旅行本を忘れてしまい、早々に冒険の地図をなくすという失態を犯しました(笑)。
手持ちで唯一の冒険の地図を失い、英語も受験勉強で学んだ程度だったため不安でしたが、なんとか自分が納得できるところまでやり切ることができました。
現地ではお金を稼ぐことに挑戦したいと思っていたため、白い無地のTシャツを購入し筆ペンで購入者のお名前を漢字で書くパフォーマンスに挑戦してみることに。すると、想像以上に評判がよかったんです!この時の成功経験は、僕にとって大きな自信に繋がりましたね。
帰国後は、経営者の方へ直接会いに行き、様々なお話を伺いました。そこで「社会では営業力が大事」とフィードバックをいただいたんです。「なるほど」と思った僕はTwitterを開きいろいろ調べていたところ、『学生営業組織』というなんだか怪しいアカウントを見つけまして(笑)。ここから僕の人生史における次章が始まりました。
ーここからが新しい章の始まりとは、具体的にどんな活動をされたんですか?
大学在学中からKDDI社のauひかりネット回線の営業をしました。個人宅へお伺いし「ネット回線のご契約はいかがですか?」と営業するのですが、お客様に何度も怒られて、この時は本当に辛かったですね。
そして、1人の同僚との出会いが僕の仕事のスタイルに大きく影響を及ぼします。
その日もあるマンションのお宅を1件ずつ訪問していたのですが、ふと下の階を見ると、マンションの敷地内を歩く住人のお母さんが。その姿を見つけたその子が、「お母さ〜ん!!」と叫びながら上から下へ階段を駆け下りていったんですよ。そしてなんとその場で受注。それまで見たこともない営業スタイルを目の当たりにして、本当に衝撃的でした。
僕は「なりたい人を思い描きその人になりきって演技をすれば、次第に自分にもその人のマインドセットが根付いてくる」という「俳優理論」が存在すると思っています。当時、僕も彼になりきって営業したことでどんどんと営業成績が伸び、最短でリーダーに昇格、そして組織として関西で一番、日本で一番の成績を残すことができました。
ー大学生でこんな経験ができるんですね!この営業経験から学んだことはありましたか?
「やりきることの大切さ」ですね。かなり辛い仕事でしたので、正直途中で辞める人も多かったんです。その状況で心折れずに2年間やりきったことが自信に繋がりました。
僕は、人が変わるためには「教師」「教材」「教室」の3要素が大切だと思っています。
「教師」は能力を引き揚げるメンターのような存在、「教材」は自分が解く問題、そして「教室」はそこにいる仲間を指します。この3つが揃うことで自分が成長できると感じていました。
当時の職場には成長できる要素が揃っていたと感じています。教えてくれる先輩方の存在、そして営業を通して成績を残すという難問があり、一緒に働く仲間がいる。だからこそ、僕はこの経験を経て能力を向上させることができたと思っています。
ー本当にすごく貴重な経験をされたんですね。その後、就活ではどのような方向性で就職したいというのは決まっていたんですか?
これまでの先生方との出会いから得た経験、そして経営者になる夢も諦めていませんでしたので、「教育」と「IT」を軸に就活を進めました。
当時は、ちょうど社会的に教育分野におけるIT化が進み始めようとしていたタイミングでもあったんですよね。そして、社員数50名ほどのITベンチャー企業に入社を決めました。
ー入社後の社会人生活はいかがでしたか?
学生時代に培った営業経験はあったものの、その頃とは扱う商材も働く環境も異なっていため、最初は苦戦しましたね。
同期の中で「1番最初に受注したい」「結果を残したい」と思っていたのですがそれも叶いませんでした。これがものすごく悔しかったのを覚えています。結果的に悔しさがバネとなり、「絶対に成果を出すんだ」と奮起して土日も関係なく働いていました。
当時実践していたことは、僕の営業トークを録音し、夜な夜な文字起こしして課題となる点がないか上司にフィードバックを求めていました。すると、行動が実を結び、その後は順調に成績を伸ばすことができました。
また、内定式で代表に伝えた宣言も入社後の僕の行動を支えていたかもしれません。新入社員から代表へ挨拶をさせていただくタイミングで、「僕社長になります」と代表に伝えたんです。大きいことを口にすることで、僕自身のマインドセットとなり、「自ら言い出したにもかかわらず結果を出していないのはみっともない」と思ったことが原動力になりましたね。
ー言葉にすることで、その言葉に自分が背中を押されるということはありますよね。しかし努力の方法やその熱量が本当にすごいと思います!その後、実際に起業することとなったと思うのですが、どういったきっかけがあったのでしょうか?
新卒2年目で会社を退職し、友人3人と営業代行の会社を起業しました。まずは設立した会社で売り上げを立て、軌道に乗ってきたら自分たちが実現したいことをやろう、という目的で最初の会社を設立したのですが、実際には非常に厳しいものがありました。そんなとき思いついたのが「BEYOND CAFE」だったんです。やはり教育分野に関わりたい気持ちは、僕の中にずっとあったんですよね。
「日本の教育を変えたい」と思い起業した僕も、最初は少し大きいことを言いすぎたかな、と思ったこともありました。ですが、当時の気持ちに迷いはありません。新卒の内定式で口にした「僕社長になります」ではないですが、言ったからには実現したい、そう思っています。
これからも掲げるビジョンを実現するために行動していきたいと思います。
ー伊藤さんの話はエネルギーに溢れていて本当に素敵でした!今日は貴重なお話ありがとうございました!
執筆:ゆず(Twitter)
インタビュー:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
デザイン:五十嵐有沙(Twitter)