スマホ一台で保護猫活動「猫の推し活」を広める黛純太の経営ビジョン

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第701回目となる今回は、黛純太さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

株式会社noconoteで、保護猫団体の自立支援を目的とした譲渡会の企画運営や保護猫団体への事業支援を行っている黛純太さん。今回は、今の事業につながっている幼少期の頃のエピソードや大切にしているマインドまでお聞きしました。

高校3年間のトレーニングで培った継続力と信念

ー自己紹介をお願いします

半年程前に株式会社noconoteを立ち上げた、黛純太です。現在27歳です。

新卒の会社で広告の営業をした後、まちづくり系の会社に転職しました。社会人5年目で独立し、起業に至りました。

ー今の事業につながる黛さんの価値観の形成をお伺いしたいです。幼少期はどのようなお子さんでしたか?

明るい性格とよく言ってもらえますが、もともとは教室の隅で本を読んだり、昆虫を観察したりしているような大人しい小学生でした。

しかし、小学校6年生で応援団長に任命されたことをきっかけに、人前に出て話せるようになりました。

ーその後の学生生活で印象に残った出来事はありましたか?

高校3年間、ほぼ毎日朝にトレーニングを続けていたことが大きな原体験です。

トレーニングを継続することで、周りからの接し方が変わり、校内全体や所属していたハンドボール部でも努力が認められるようになり、県大会で選抜選手に選ばれました。

「継続は結果も出るし、仲間も増える」。継続は結果への十分条件ではありませんが、必要条件であると思っています。

ートレーニングを通して、今の自分につながっている考え方はありますか?

他人の目は気にしなくてもいい考え方です。「自分の中の直感や正当性を信じる大切さ」を教えてもらいました。

人から「これでいいんだよ」って言ってもらえる機会は少ないと思いますが、「自分でやりたいことや信念を決めていいマインド」はその頃養われました。

「広告で猫を助けたい」わがままでいるための責任と強さ

ー大学時代はどうでしたか?

大学時代では、合気道を始めて世界大会に出場したり、インターンをしたり、ボランティアをしたりとやりたいことを全て実現しました。大学4年間を通して、「わがままでいることの責任や、自由でいるための強さの必要性」を感じましたね。

私達は何かをやるとき、同時に何かをやらない選択をしています。

しかし、私はやりたいことの両立を図りながら、むしろ相乗効果を目指していました。何をどういうポイントで頑張れば、異なる環境に共通点を見つけて、刺激しあえるかを考えていました。

ー就活時代はどうでしたか?

広告系の会社のOB訪問をしていた際、「黛君がなんでがうちに入社したいかはわかったけど、何のために来るの?」と問いかけられたことが、今の立ち位置につながっています。

その帰りの電車で「あ、好きな広告で猫助けよう」とふと思ったんです。この考えは今も持ち続けています。

ー就活生時代から思っていたことをどのようにして会社で形にしたのか、起業のプロセスをお聞きしたいです。

コロナ禍になった社会人4年目で、保護猫の譲渡会がオンラインになり、保護猫やIT系のツールに詳しい私にお仕事が回ってきたことがきっかけです。

さまざまな保護猫活動のお仕事をさせていただく中で、経営目処が経って独立を決めました。

ー保護猫業界に関わるに当たって感じる課題はありますか?

保護猫団体同士のつながりが薄い上に、お互い同じような課題を抱えていて、課題解決が進んでいない点です。就活時代に、将来保護猫に関わりたいなら、保護猫団体の声を聞く必要があると考えて、一件一件ヒヤリングしていた時から感じていました。

その頃に、「自分はどこかに所属するのではなく複数の団体に同じ価値を提供して、全体の底上げをしよう」と思いました。