プロサッカー選手・齊藤隆成に聞くデュアルキャリアという選択肢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第607回目となる今回は、サッカーチーム「FC大阪」に所属するとともに、スキンケアブランド『Re young J』を展開する齊藤隆成さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ー自己紹介をお願いいたします。

齊藤隆成と申します。現在J3の下にあたる「JFL」というカテゴリに所属するFC大阪でサッカーをしながら、2021年の8月に自社の化粧品ブランド『Re young J』を立ち上げて活動しております。よろしくお願いいたします。

ー齊藤さんを物語る上で、「サッカー」「化粧品ブランド」という2つの尖ったワードがありますが、最初にサッカーについて少しお伺いできたらと思います。

今はシーズンオフに入っています(2021年12月現在)。新シーズンの立ち上げが1月中旬から始まり、3月からリーグがスタートして、12月の頭に最終節があります。最近1シーズンが終わったところです。

今年は17チーム中7位でした。

今年JFLからJ3に昇格するという目標があったのですが、3節を残して目標だった昇格の可能性が消えてしまいました。それまでは4,5位だったのですが、最後の2試合で2敗してしまい、7位まで順位が下がってしまいました。順位としては昨年より1つ上がっただけでした。

ー齊藤さんご自身は今のチームにどれくらいの期間、所属されてるのですか?

2年半所属しています。昨年に比べて良い選手が入ってきたにも関わらず、全然順位が上がらなかったので、非常に残念に思っています。

ポジションはサイドバックで、日本代表でいえば長友佑都選手のポジションになります。

デュアルキャリアになるまでの転機の連続

ー齊藤さんがプロサッカー選手としてプレーしながら、デュアルキャリアを形成するに至った理由をお聞きしたいと思います。

小学3年生のときにサッカーを始めて、中学1年生からプロの世界を意識し始めました。なぜか自信があり「プロになるのが当たり前」だと思っていたのです。中学3年生のときは世代別の日本代表に選ばれていたので、そのころから同世代の日本のトップの位置にいました。

高校生から入った京都サンガのユースチームは育成環境が整っていて、怪我をしてもしっかりとしたリハビリを受けられました。さらに、よりプロに近い環境で練習に臨めていたのはありがたかったです。

高校3年生の5月ごろから1年間ほど骨折でプレーできない状況になり、トップチームに昇格することが絶望的になりました。しかし、トップチームの監督が怪我の状態でもポテンシャルを認めてくれたのです。無事にトップチームに上がることができ、小学校からの夢だったプロサッカー選手になることができました。

ー実際にプロ選手になったときには、どんな目標を持っていましたか?

キャリアを始めたときは「日本代表に選ばれて活躍したい」という強い想いがありましたが、ほかの同年代でトップを取ってきた選手を見て、プロ1年目で挫折を味わいました。

今までやってきた自信もあったので「絶対やってやろう」という想いがより強くなりました。練習後に個人で練習を積み重ねたおかげで、徐々に出場機会も増えていって、2-3年目で少し活躍できたと思います。

ー覚えている中で当時一番印象的だったできごとはありますか?

プロ5年目のときに、Jリーグで初ゴールを決めることができたことが一番の思い出です。
頭が真っ白になって、喜び方もカッコ悪かったと思います。

ー我を忘れるくらい喜ぶことができたんですね。次の転機は24歳でのできごとですね。

24歳で、チームから「来年は契約しない」と告げられました。最後の年はあまり試合にも出場できず、活躍もできていなかったので、覚悟はしていたのですが、悔しさもありつつ「今後どうしたらいいのか」と考えました。

当時はすぐにあきらめることができたと思います。最後の年はサッカー選手がよくかかることで知られる「オーバートレーニング症候群」という病気になっていました。練習に行くことも難しく、軽いうつ状態になっていたので、ここが限界だと感じました。

その後はJリーグのキャリアサポートという機関でセカンドキャリアの相談を始めて、就職活動をがんばりました。

ーJリーグがキャリアサポートもしてくれるのですね。

サラリーマンとして就職して、最初は非常に新鮮で毎日が楽しかった記憶があります。結局3ヵ月しかサラリーマンをしていませんが、その3ヵ月でも営業にたくさん行くことができました。

サッカー選手をやっていたときのほうが自分の中では熱く、やりがいを感じていたのでギャップがありました。

ーサラリーマンとサッカー選手で違いがあったのですね。

営業のむずかしさを体感しました。自分自身は人と話すことが得意だと思っていましたが、相手の立場で話すことがどれだけ大変かを実感しました。商品についていろいろ説明をしても、相手は聞く気がないことが多かったです。

現役復帰とデュアルキャリア

ー仕事のむずかしさを感じたのですね。3ヵ月でサラリーマンを終えて、次のステップに進んだきっかけはなんでしょうか。

高校時代の先輩と食事に行った際に「まだサッカーできたんちゃう?」と言われたことがきっかけです。その場でプロ3年目のレンタル移籍のときにつながっていたFC大阪のGMに電話をし、すぐに会社を辞めて、もう一度プレーすることを決意しました。

半年サッカーから離れて「やっぱり自分はサッカーが好きなんだ」と再確認できました。

ー18歳でプロになったときと、25歳でプロに戻ったときの違いはありますか?

18歳でプロになったときは周りとの技術の差を痛感しました。今は客観的に自分のどこが足りないのかを冷静に分析できるようになったので、もう一度基礎から取り組んで、自分の足りないところを練習して補おうとしています。

昔は自分の好きなプレーをどんどんやっていましたが、プロの世界では通用しませんでした。「なにが一番重要か」と考えたときに、基礎の部分をもっとレベルアップしないといけないと感じました。

ー心の余裕にも違いがあったのですね。そして、27歳のときにビジネスを始められたのですよね。

一緒に会社を立ち上げた幼馴染が「ビジネスをやりたい」と言っていた僕に対して「口だけやん」と言ってきました。それで火がついて、行動を起こすようになりました。

最初は商品を作る製造メーカーに100件ほど電話をしました。それで、自分たちがつくりたい商品にマッチした会社と打ち合わせに進みました。20社ほどと直接会って話をしました。

ー100件も電話したのですね。製造メーカーにした決め手はなんでしょうか?

「ビジネスを始めるからには、最低でも100件は電話しなければならない」と思っていたので、あまり苦ではありませんでした。

今の会社に決めたのは、営業の方が熱心に取り組んでくれたからです。僕らの立場で話をしてくれて、仕事が早かったです。