自分の直感に従って進む。旅するように生きるAntevasin大塚満里菜の居場所

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第548回目となる今回は、自らを「Antevasin―旅をするように生きる人」と表し、旅した先々で自分自身を見つめてきた大塚満里菜さんをゲストにお迎えしました。

幼い頃からご家族の影響で国際的な視点を持ちながら育った大塚さん。学生時代のアイデンティティに対する苦悩を通じて、海外で活躍する日本のリーダーを目指し日本企業に就職しました。

彼女は現在、南フランスを拠点にくもん教室を併設したカフェの開設に向けて活動しています。今回は幼少期から今に至る経緯をお聞きしました。

海外の文化に触れて育った学生時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

大塚満里菜と申します。現在26歳で、幼少期から東京で育ち、24歳でドイツのベルリンに移住しました。

ベルリンではカフェを開く準備をしていましたが、コロナの影響で2年間実現せず、昨年10月に拠点を移して現在は南フランスにいます。

ーご家族のお仕事柄、国際色が豊かな環境で育ったとのことですが、幼少期から高校生までどのように過ごされましたか?

子供の頃は両親が海外を飛び回っていたため、家の中では頻繁に英語が飛び交っていたり外国の方が遊びに来ていたりと、異文化との接点が多い環境で育ちました。

中学・高校は日本の中でも海外の学生との交流が盛んな学校に通っていて、学校間の会議や交流会に多く出席しました。実は幼少期から日本人らしくない自分に違和感を抱いていたのですが、ある会議で中国語で挨拶をされたことがあって……。

いざ外国の方と間違えられると日本人であることに誇りを持っている自分に気づいて、思春期も相まって当時は悩んでいました。

ー海外の学生とも盛んに交流された背景には、ご両親の影響があったのでしょうか?

そうですね。日本人として海外で活躍して日本の素晴らしさを広められるリーダーになりたいと思っていましたし、それが私の責務だと当然のように思っていました。

そのためには対外的な活動には絶対参加しなければならないし、その道を歩まなければならないと焦ってしまったこともあります。

ありのままの自分を受け入れてもらえたことでの変化

ーその後の大学時代では、中高生時代に感じた焦りや悩みとは向き合えたのでしょうか。

進路を選ぶときもやはり国際的に活躍できる力を身に着けるべきだと思い、慶応大学の経済学部に進みました。

1、2年生では中高生時代にも増して授業や交流会などに参加していましたが、同時に今まで得意でなければならないと思っていた英語を思うように話せないことにショックを受けましたね。

海外で活躍したいと思っていたのに、英語が話せず学内での議論もできなかったことがコンプレックスとなってしまい……。「このままではいけない」と思い、大学2年生で思い切ってイギリスへ留学しました。

ー留学先ではどのような出会いがありましたか?

イギリスで出会った仲間や友人のおかげで、中学時代に感じていたアイデンティティへの違和感や、国際的に活躍しなければと思い込んでいたプレッシャーから解放されて、ありのままの自分に出会えました。

東京にいた頃は朝から晩まで予定を詰め込んで動き回ることが好きでしたが、イギリスではカフェに行ってゆっくりしたり、本を読んだり、公園であえて何もしなかったりして、初めて自分の持つ穏やかな側面に気が付くことができたのです。

今までは「キャリアウーマンでバリバリ働く姿」を目指さなければならないと思い込んでいましたが、ありのままの自分でも愛を持って周りの人に受け入れてもらえる。この経験は私にとって大きなものでした。

私の居場所は、常に私の心の中にある

ー留学を経て、その後の進路選択や就職先でのお話もお聞かせください。

就職活動中は、自己分析や本当に自分がやりたいことを探すのに多くの時間を費やしましたね。ある会社の方から自分史を書くことを提案され、幼少期から大学生までの棚卸しをしてみて改めて自分自身を見つめられました。

結局就職活動の1年間という短い時間では、本当にやりたいことは見つけられなかったです。一度幼少期からの目標に立ち返り、国際的な活躍ができる環境を求めて、三井物産株式会社に入社しました。

ー会社員生活は1年半だったとお聞きしましたが、周りと比べて比較的早い退職だったのではないでしょうか。

そうですね。新卒で配属された部署は新入社員の意見もしっかり聞いてくれる環境で、海外の会社とのやり取りもあり、求めていた国際的な働き方が手に入るように思えました。

ですが、会社の名前を背負って働いているので、この会社を通して海外駐在のチャンスを得られたとしても、結局日本のために働くという大目的は果たせないだろうと感じました。

日本社会の中で会社という大きな組織に属することへの窮屈さもあり、もっと自由に働きたい気持ちが膨らんでいったのです。

そこからは他部署や社外の人に会い、今までと異なる働き方や業界を調べて回りました。その後会社を辞め、オーダーメイドウェディングの会社にインターンとして1ヵ月半関わらせていただきました。

ー新しい業界への挑戦だったのですね!インターンを終えて、その会社へ入社したのでしょうか?

結局名の知れた企業を辞めて新しい業界へ入ってみても、真にやりたいことはそこには無く、再就職はしませんでした。今までは海外との接点がある場所で働くことを念頭に仕事を探していましたが、やっぱり「自分の足で外国の地へ行くべきだ」と思い立ちました。

半年間で日本国内の知人や友人を訪ねた後に、親戚の住むヨーロッパで2ヵ月かけて国を変えながら滞在しました。その2ヵ月の半分はイギリス留学時代の友人を訪ねてドイツで過ごしたのですが、24歳の誕生日に“ある思い”を抱いたのです。

ーある思い、ですか。

はい。私は「日本人の私」か「日本人らしくない私」を選ばなければならない、そんな私が過ごしやすい居場所を探さなければならないと思い込んでいました。

でも、「自分の居場所に国や国籍は関係ない、自分の心の中に常に居場所があるから私は大塚満里菜のまま生きればいい」と気づけたのです。