一度も飲んだことがなかったコーヒーで起業。三輪浩朔が店舗を通じて目指す世界

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第592回目となる今回は、株式会社アカイノロシ取締役の三輪 浩朔(みわ こうさく)さんです。

タイのアカ族が栽培するコーヒー豆を直接輸入・販売し、直営店「Laughter」を運営する三輪さん。実はアカ族のコーヒーを飲むまで、一滴もコーヒーを飲んだことがなかったそうです。どのようにしてアカ族のコーヒー豆と出会い、起業をするに至ったのか。また、どのような想いを持ちながらお店を運営されているのか。三輪さんのこれまでの人生を紐解きました。

外の世界に触れた経験がその後の人生の後押しになった

ーはじめに、簡単な自己紹介をお願いします。

株式会社アカイノロシ(以下、アカイノロシ)取締役の三輪 浩朔と申します。2018年10月、大学卒業間際にアカイノロシという会社を立ち上げました。アカイノロシの「アカ」というのは、アカ族というタイ北部に住んでいる少数民族のことです。タイのアカ族が生産するコーヒーを、直接農園に足を運んで日本に輸入・販売をおこなっています。また「ノロシ」は、コーヒーが山で生産されていることから、アカ族のコーヒーを起点に様々なノロシをあげていこうという意味が込められています。これまでイベントやポップアップの出店を重ね、コーヒー豆を直接販売できる場所として、2020年10月15日に京都の西陣で直営店「Laughter」をオープンしました。

ー会社を経営されながら実店舗も持たれているのですね。コーヒーは元々お好きだったのですか?

実は、アカ族が生産するコーヒーを飲むまで一度も飲んだことがなかったんです。

ー一度も飲んだことがなかったのにコーヒーで起業されたことに驚きました。アカ族のコーヒーとの出会いも気になるので、ここからは三輪さんの過去を遡りながら伺っていきます。三輪さんにとって人生で最初のターニングポイントは高校一年生のときだそうですね。

はい。実はクラスの仲間や先生に恵まれた中学校生活がとても楽しくて、高校生活とのギャップを感じていたんです。高校進学時に、僕の出身中学からはあまり進学しない高校に行きたい気持ちが芽生え、電車と徒歩で合計1時間かかる高校へ進学しました。ただ、その高校の同級生とのノリが合わないと感じてしまって。具体的な何かがあったわけではないのですが、思春期の多感な時期で自分と周りの高校生の価値観が合わなかったんでしょうね。学校自体がおもしろくないと感じ、次第に通学時間の長さも苦痛になって。この生活が3年も続くのかと落ち込んでいました。

ー周りとの微妙なズレや違和感があったのですね。なかなか言語化しづらいものだと思います。中学生までの三輪さんはどういった人だと周りから言われていましたか?

人前に出るのが好きで、学級委員長をするような明るくクラスを引っ張る存在でしたね。みんなと楽しく過ごしていた分、高校はさらに楽しくなるんだろうなと勝手に想像していたのでギャップに苦しんでしまいました。

ーそうだったのですね。そういった状況のなかで、高校二年生にご自身の転機となるようなポジティブな出来事があったそうですが、詳しく教えてください。

高校二年生になる前の春休みに、クラスの掲示板に「高校生外交官」と銘打った民間の交換留学プログラムの募集が貼られていたんです。二年生の夏に三週間、全国の高校生とアメリカを訪れ、現地の高校生との交流や観光などが無料でできる夢のプログラムでした。学校ではない外の世界を見れるチャンスだと思ったのがとても大きかったですね。応募してみたら、選考を通過してアメリカへ行けることになりました。

ー実際に渡米されていかがでしたか?

このプログラムに応募する多くは外交官を志していたり、すでに国際協力に興味のあったりする人たちで、40人の日本人高校生がチームを組んで渡米しました。全国から集まった同世代と様々な話ができ、高校生の段階で大学生のような繋がりをつくれた三週間だったと思います。

これまでは、愛知県の一つの高校という小さな枠が自分の世界でした。その世界がおもしろくないから人生真っ暗だと感じていたけど、実はそうではなかったんですよね。外に出てみれば、また違う世界があるということを教えてくれた出来事でしたね。

今いる環境が自分に合わなくて違うかもと悩んだときには、あまり無理しすぎずに違う居場所を見つけることも大事だと思います。それに全国の高校生や国籍の違う方々と話をするなかで、多様な人がいると割り切れたことはよかったです。

ーとてもいい経験だったのですね。この経験を通して、今にも繋がっているものはありますか?

今でも連絡をとったり、たまに会ったりする仲間がいますね。一緒に過ごしたのは事前準備を含めて約1ヶ月間でしたが、その時間以上にいろんな繋がりや多くのものを共有できた喜びがあると思います。それにこの経験は、その後の人生で選択をする際の後押しをする存在になっています。例えば、大学は実家を出て京都に行ってみようとか、在学中も大学内に留まらずにいろんな大学生がいるインカレサークルに入ってみようといった決断に結びつきましたね。

ー大学選択時やその後のキャリアに対してもいい意味で影響を与えたのですね。大学の学部選択にもアメリカの経験は活かされていますか?

そうですね。アメリカで国連総会の様子を見学したり、自由の女神などの様々なものを見せてもらったりして、海外には日本にない壮大なものがあるんだという国際感覚が磨かれた一方で、改めて日本という国も好きだという感情が芽生えたんです。帰国後は社会のニュースに興味をもちはじめ、政策学部がある大学に進学しました。そこでは、地域でフィールドワークをしながら現場に入っていけたので、アメリカのときに現地で感じたリアルな体感をする凄さや、自分の目で見て確かめて感じる部分の大切さを深めることができました。

アカ族のコーヒーに魅せられて起業を決意

ー高校時代に多様な学びを経て、大学では政策学部でフィールドワークをされていたそうですが、ここで今につながる大きな転機が21歳のときにあったそうですね。

大学三回生のときに、ある地域にフィールドワークで入り、企業にお世話になりながら一緒にまちづくりに携わっていたんです。その企業にタイ人のアカ族の方が出稼ぎという形で働いていました。実はそれが、アカ族との出会いのきっかけです。

ー大学の活動で偶然、アカ族の方と出会われたのですね。

はい。そのときにアカ族は少数民族で、今も伝統的な暮らしを紡いでいることを知りました。それに、コーヒー豆をつくっている理由も教えてもらったんです。

タイの北部はゴールデン・トライアングルという、世界的に有名な麻薬密造地帯だったという歴史があります。ミャンマーやラオスの国境沿い付近ですね。現在では、法律の規制が厳しくなったことと、国策で麻薬栽培からコーヒーやマカダミアナッツに作物転換をする動きがあったのでなくなってきていますが。そういった歴史の側面を持っているのがタイコーヒーなんです。僕も含め、お世話になっている企業の社長も次第に興味が湧いてきました。そこで、誰か一人を連れて現地に行きたいと連絡があり、当時ゼミで同じチームだった、現在は共同代表の矢野がタイ北部へ行くことになりました。

彼が現地の農園やコーヒー栽培の様子を観察し、現地の人々と交流してくれて。なかでも、コーヒー豆を現地で栽培し、その実をかじって食べたり、コーヒーチェリーの状態からフライパンで自ら焙煎して、その豆で淹れたコーヒーを大自然とともに味わったりしたことが印象的だったそうです。

ーそういった背景から、アカ族のコーヒーに興味を持ち始めたのですね。

そうですね。その頃同じタイミングで、大学のピッチコンテストがありました。所属していたゼミの先生が、過去に出資などの起業家支援をされている方で。タイコーヒーの展望がおもしろくなってきたので、事業プランをつくって参加してみてはどうかというアドバイスをもらって出場したんです。

準備段階にコーヒーのことを調べたり、具体的な数字に落としていったりするなかで、さらにタイコーヒーに惹きつけられましたね。ちょうど進路を決めなければいけない時期だったので、自分は何者になるんだろうと漠然とした悩みもあって。もやもやしていた時期に、タイのコーヒー豆で事業を起こすことに魅力を感じました。それは矢野も同じ想いだったみたいで、コーヒーで起業することを決意しましたね。でも、僕はそれまでコーヒーを飲んだことが一度もなかったんです。

ーそれまでコーヒーを飲んだことがないのに、起業を志そうと思われたのは本当に驚きでした。

そうですよね。だから実際に、矢野がタイからコーヒー豆を持ち帰って淹れたコーヒーが人生初めてのコーヒーでした。でも元々お酒の飲み比べのように、自分の中で軸をつくっていく感じが好きだったんです。だから、どんどんコーヒーの世界に浸るようになっていきました。自分がいいなと思ったら突き詰めたいタイプなので、とにかくちゃんと勉強して飲み比べができるようになりたい一心でしたね。そこからは、実際に取り扱う農園さんを精査するために現地のカフェに行き、美味しいと思ったコーヒー豆のラベルに書かれている農園情報を頼りに突撃訪問をするようになりました。

ー今扱われているコーヒー豆は、現地で見つけた農園さんですか?

はい。現在はチャーリーさんという農園主の豆を扱っております。チャーリーさんとの出会いも、現地で美味しいといわれているカフェで飲んだコーヒーに感動したのが始まりです。ラベルに記載されている農園主の名前とエリアを頼りに北部を訪ね歩き、奇跡的にチャーリーさんに出会うことができました。それから何度かタイに渡り、取り扱えるようになったのを契機に2018年10月に起業しました。

ーそのようなストーリーがあったのですね。すごくいい出会いの積み重ねだと感じました。

そうですね。仲間との出会いはもちろん、ゼミでお世話になった先生は立ち上げから現在も伴走していただいております。ゼミの中で様々なものを吸収させてもらいましたね。

店舗を持たないモデルから、覚悟を決めて店舗をオープン

ータイコーヒーで起業したのち、大学も卒業されて様々な経験をされてきたと思いますが、最初はどのような形で進まれたのでしょうか?

まずは、焙煎する前の豆(生豆)の状態でビジネスをスタートしました。元々コーヒー業界にはいろんな方々がいて、様々な販売方法をおこなっています。生豆の状態で販売するということは卸になるので、スケールしやすいメリットがありました。最初はコーヒー豆の輸入量を増やしてインパクトを出そうという試みだったのですが、あまりうまくいかなくて。次はどうしようかと考えたときに、お客様に直接販売してみようと思いついたんです。そうなると、焙煎前の生豆ではなく、焙煎してすぐに飲んでもらえる形で販売する方法に変えていきました。

僕たちは店舗を持たない形でビジネスをおこなっていたので、例えば、講演会やイベントの合間にコーヒーを淹れさせていただいたり、自分たちの講演会の休憩時間でドリンクを自社のコーヒーにしたりと工夫を重ねました。また、ポップアップや百貨店での期間限定出店などもおこないましたね。店舗を持たないスタイルだと移動は少し大変ですが、固定費がかからないのが魅力的でした。

ーその当時は、この先も店舗を持たずにやっていこうと思っていましたか?

いえ、ぼんやりと店舗があってもいいのかもしれないとは思っていましたね。物件探しもしていましたが、やはり初期費用がかかりすぎる(規模感にもよるが、最低でも400〜500万)ので、半年から一年ほどはイベント出店形式で事業を続けていました。ところが新型コロナウイルスでイベントがなくなってしまい、これまでの事業形態がすべて崩壊したんです。店舗がないということは、自分たちに出店の裁量権がないということですよね。固定費がかからないことに対しての弱みが全て明るみになりました。

それに百貨店でのポップアップ出店だと、コーヒーを飲みに来てくれるのは百貨店のお客様です。すなわち、僕たちのコーヒーのファンを集客するビジネスモデルではないわけです。百貨店が集客をしていて、その中から偶然僕たちを見つけてくれた人が飲んでくれているわけなんです。ある程度ビジネスが軌道に乗り始めたら、自立すべきだと思ったのも実店舗をつくる大きな要因になりました。

ーコロナがきっかけで、逆に気づいた部分があったということですね。

そうですね。コロナで予想していた売上が飛んでしまい、何か手を打たないとダメだという状況に追い込まれた分、逆に自分たちで店舗をつくる状況になったのかもしれません。毎月の固定費がかかってでも、アカイノロシという名前で集客するために進むべき道だとクリアになったのはありますね。

ー店舗をオープンされてから順調に進んでいますか?

はい、目標とする数字を達成している状況ではあります。僕たちのお店、Laughterは住宅街にあるので、どちらかというと焙煎作業をおこなう工場のようなイメージでした。お客様が希望すれば店内でコーヒーを飲めるスタイルのように考えていましたが、オープン後は店内で飲んでくださる方が想像以上に多くいらっしゃいました。地域の方が年齢関係なくコーヒーを飲みに来て、Laughterというお店で過ごす時間に価値を感じてくれている点はうれしい誤算でしたね。

ーLaughterに来店する方を増やすというのは、いわゆるファンづくりのような一面だと思いますが、想像以上に店内で過ごす方々が多いというのは、きっとうまくいってるのだと感じました。

うまくいってるかどうかは今後の数字が示してくれると思いますが、でもずっと意識していることではあります。美味しいコーヒーを提供することはもちろん大事です。でも僕たちのお店の他にも、すでに美味しいコーヒーを提供してくれる店舗はたくさんあります。美味しいコーヒーを飲めるという土台の上に、なぜLaughterを選ぶのかという観点で考えなくてはいけません。それでいうと、一つは農園からのストーリーの温かさ、また西陣という土地や髭のおじさんのロゴマークから醸し出している温かみは意識していますね。それに、相方の矢野と「コーヒー屋さんと呼ばれないコーヒー屋を目指そう」といつも言っているんです。

ー「コーヒー屋さんと呼ばれないコーヒー屋」。おもしろいですね。

提供する手段の一つがコーヒーであって、そこから広がる世界観を伝えられるお店にしたいと意識してます。最近では、今ある既存のお花屋さんにコーヒースタンドスペースを設置する形で、「Laughter×CHIKIRIYA GARDEN」をオープンしました。今は特に、世界観を広げる場所や仲間を増やす感覚でお店づくりに関わっています。世界観を大事にしていて、でもやっぱりコーヒーが美味しいよねと言ってもらえる形が理想ですね。

ーコーヒーを突き詰めて勝負していくというよりは、「温かみ」という言葉に込められているような場所をつくっていく。結果的にその場所に、美味しいコーヒーもあるということですよね。

そうですね。美味しさに妥協しないのは大事にしつつ、自分たちがつくれる世界観はどういったものなのかは日々イメージを膨らませています。自分たちもワクワクしながら店舗の形をつくっていこうと意識していますね。

自分も店舗も世界観を広げ、人の心を動かせる存在になりたい

ー最後に、会社としての今後のビジョンと三輪さんご自身の在り方などを教えてください。

まず会社としては、今後のビジョンのイメージはいくつかありますが、あまり描きすぎないようにしています。5年後、10年後の将来を描いていたとしても、今回のコロナのようにみなさんが描いていた未来が大きく変わってしまう可能性があります。社会がどう変わっていくのかわからない状況下にいるので、僕たちは先ほどお話しした「世界観を広げていく」という大枠のビジョンを掲げながら、Laughterという一つの言語でみんなが集まれる世界をつくっていければと思います。それに向けて今は日々、短いスパンで見える先の未来を進みながら、会社としてやっていけることに取り組む感覚です。

個人的な在り方については様々な野望がありますが、やはり人の心を動かせられるような人になりたいですね。実はコロナ禍にBiSHというグループの音楽や言葉に勇気づけられたんです。僕も小さい頃から、自分の表現で相手が明るい気持ちになったり、心を揺れ動かすことができるような人に憧れていました。どんな手段でもいいと思うんです。僕の場合は日々お店に立って、お客様と会話をしていくのが一つの手段であり、その積み重ねだと思います。

人の心を動かせるというのは、アカイノロシやLaughterといった企業体でもそう在り続けたいですね。

取材:増田稜(Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter