『日本を世界の人のために生きる大国にしたい』難波 遥のこれまでの挑戦とこれからの野望とは。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第498回目のゲストは2021ミスユニバーシティ日本大会グランプリ・HANDS UP代表・2019ミスフェリスの難波 遥さんです。大学受験の失敗から、どんなことにも挑戦したいという思いでチャレンジしたミスコンテストでグランプリを獲得するなど、どんな女性ありたいかを常に考えている難波さん。そんな難波さんが大切にしている個人ビジョン「人のために生きる大国でありたい」が構築された過去、そのビジョンをもとに活動している今、そしてこれからについてお聞きしました。

失敗しても、選んだ道を正解にする


ー簡単に自己紹介をお願いします。

フェリス女学院大学 4年の難波 遥です。
現在は、SDGsとおしゃれを掛け合わせ、SDGsをまだ深く知らない若者向けにイベントを開催したり、SDGsにちなんだステッカーを販売したりしている団体「HANDS UP」の代表をしています。

これまでの大学生活ではモデルやMCをしつつ、ミスコンテスト(ミスコン)にも出場し、自分を見つめる時間を多くとってきました。また、NPOのWomen at Workに所属し、女性の社会進出や人権に関する活動に力を入れていました。


ーさまざまなミスコンに出られたということですが、具体的にはどういった大会に出られましたか。

これまで4つの大会に出場しました。
最初のミスコンは、湘南国際マラソンのアンバサダーを決めるミスコンで、その後に出場した大学のミスコンでは、グランプリを獲得しました。

大学のミスコンでグランプリを受賞したことで、次はもう少し大きな舞台で挑戦しようと思い、ベストオブミスに出場し、神奈川代表に選んでいただきました。そして、ミスユニバーシティ日本大会に神奈川県代表として出場し、ありがたいことにグランプリをいただきました。

 

ーグランプリを何度も獲得するなんて、すごいですね…!
現在行われているHANDS UPの活動についても、ぜひ教えてください。

HANDS UPは20名ほどのメンバーと、これまで1年半ほど活動してきました。
活動内容の1つがSDGsとおしゃれを掛け合わせたステッカーやスタンプの制作で、原宿でポップアップも開催しました。

さらに、SDGsのオリジナルすごろく『DREAM EARTH TILE』の開発も行いました。
「人のために生きる大国にしたい」という思いがわたしの人生のビジョンで、世界中が他人のことを第一に考える空間にしたいと考えています。そのビジョンを達成するためには、まず教育が大切で、教育のまじめさの中に面白さを加えていくことが必要だと感じていました。そのため、SDGsのオリジナルすごろくを開発し、さまざまなところで講演会も行っています。

3つ目の活動が、海とビーチクリーンを掛け合わせるなどしたイベントの開催です。
SDGsを解決するにはすべての人の力が必要だと思います。その上で、すべての人が参加してもらうには、面白いかどうかが大切だと感じ、楽しさ・面白さが伝わるイベントを打ち出しています。

4つ目がお弁当事業です。竹パフェを販売する準備をしてきましたが、10月に販売できる見込みとなりました。この事業はフードロスの問題だけでなく、障がい者雇用にもつながる取り組みとなっています。


ーHANDS UPは多彩な取り組みを行っているのですね。
ここから幼少期のエピソードについてもお聞きしたいと思っています。難波さんは、小学・中学時代はどんな性格でどんなことに熱中していましたか。

先生に怒られていた幼少期で、
周りの女子に比べて、なぜここまで怒られるのかと思うくらいに先生に怒られていました。先生がやっていることで違うと思ったことは、その通りにしないことがあったからですかね。ただ、この時から、人としてどうなのかを基準に行動し、自分の意思をきちんと持っていたと思います。

一方で、友人にも恵まれ、楽しく生活していました。中学時代にはバスケットボール部でキャプテンを務め、書道やピアノなどの習い事、友人と話すことに熱中していました。

 

ー中学から高校に進んだ際に、受験に失敗してしまったそうですが、その後進んだ高校で、打ち込んでいたものがあるそうですね。

陸上競技の七種競技に3年間打ち込みました。
受験の失敗が悔しく、誰よりも輝かしい3年間を過ごしたいという思いが根底にありました。

進学したいと思っていた高校でやるつもりのなかった部活(陸上部)に所属したので、ここで結果を残せば、高校受験の失敗を失敗でなくせると思いました。

失敗と思っているのは、もともと進もうと思っていた道に進んだ方が幸せな生活を送れると思っていたからであって。ならば、別の道を選んだことで本来進みたかった道に進むよりも幸せな生活を送ることができれば、失敗でないと捉えられる。それが原動力になりました。いい仲間にも出会い、お互いに励ましながら3年間部活に取り組んだ結果、最後のインターハイにも出場できました。


ーなぜ、七種競技を選んだのでしょうか。

今でもそうなのですが、何事も70点くらい出来るのが自分の特徴で、なぜ100点まで出来ないのかと思うほど自分にとってはコンプレックスで、400mやハードルなどそれまで打ち込んでいたものは、東海大会まで行けたとしても全国には進めずにいました。そんな時に、顧問の先生が全部中途半端に出来るなら全部やってしまおうということで、七種競技をすることになりました。

跳ぶことも走ることも好きなので絞りたくない思いもあったので、すべての競技に打ち込むのは大変さもありましたが、七種競技の楽しさに巡り会えたことは自分にとってプラスでした。


ー後悔したくないという思いが人一倍強いと感じたのですが、それは高校受験や大学受験での失敗が大きかったのでしょうか。

自分にとっての失敗はその部分だったのですが、合唱コンクールの伴走や受験といった重要な局面で母が「適当でいいよ。失敗してもあなたにとっていいから失敗するんだよ」と言ってくれるんです。失敗がどこかに活きるから失敗するのであって、長い人生見るとプラスだとポジティブに捉えるようにしています。何があってもプラスという考えは、母の言葉が由来していると思います。


ー大学受験も失敗したというエピソードもありましたが、難波さん自身の中ではどんな進路を選ぼうと考えていましたか。

CAやMCの道を目指していたので、国際関係を学べる大学を目指していたものの、その大学には行けませんでした。静岡が大好きだったので、静岡にある大学に進みたかったですが、結果的には今の大学で良かったと思っています。

今やっている事業を発展させ、将来的には静岡に恩返しをしたいと確実に思っていますが、この大学に進まなければ出会えなかった人々がたくさんいて、その人たちとの時間や経験が貴重なものになっているので、静岡の大学に進学しない選択は自分に合っていた気がします。

 

発信力と影響力を身につけるため、ミスコンに挑戦


ー大学に入ってからはミスコンにも出場されたということですが、なぜミスコンに出場することになったのでしょうか。

初めてミスコンに出た、湘南国際マラソンのミスコンへの出場の経緯が2つあります。

1つ目が大学受験に失敗したことです。
わたしって出来ないんだと思っていた時に、静岡の大学では経験できなかったものをたくさんしようとシフトチェンジし、何にでもチャレンジしようと決めたことでミスコンへの出場につながりました。

もう1つが自分がどんな女性になりたいかを考えたことです。
Instagramや他のSNSを通じて、キラキラした女性がサッシュをつけていることに気づきました。自分の生き方や自分自身に向き合った女性がかっこいいと感じ、その女性たちが共通してミスコンテストに出場していたり、尊敬している女性がミスコンに出場したことで変わったエピソードを聞き、自分も出ようと思いました。


ただ、ベストオブミスに出場した時はもう1つ別の理由がありました。
湘南国際マラソンのミスコンに出場した後、フィリピンに留学に行きました。その時に、日本では目にしないスラム街やストリートチルドレンを見たり、物乞いをされたり。その経験を通じて、自分だけが楽しい時間を過ごしていいのだろうかという想いが芽生え始めました。日本に帰国して、フィリピンの子たちのために何かできないか考えた結果、こういった現状があることを影響力・発信力をもって伝えていきたいと思うようになりました。

湘南国際マラソンのミスコンやフェリスのミスコンでグランプリを取れたことに自信を持っていたので、さらに大きな大会でグランプリをとって発信力を身につければ、自分にしかできないことが出来るのではと考え、ベストオブミスに出場しました。

「地球のため」という視点を得たフィリピン留学


ーフィリピンの留学の経験が大きかったのですね。

これまでは自分のことを静岡県民、日本人としての自分と捉えていましたが、フィリピンでの経験から地球人としての感覚が芽生えるようになりました。


ー地球人として生きるという感覚を得たことで、個人ビジョン「人のために生きる大国でありたい」につながるのですね。

人のために生きる大国をまずは日本から作りたいと思ったので、このビジョンが明確になった出来事でしたね。


ー少し話が戻りますが、最近はミスコンの講師もされているそうですね。

教え手側のほうが学びが多いなと感じますね。自分の性・生き方や自分について向き合う人は、男性女性、マジョリティマイノリティ問わず、たくましく美しいなと思います。技術的なことは教えたかもしれませんが、自分の生き方をもう一度見つめ直す素晴らしい機会をいただきました。

今後は、高校生向けのミクスコンテストを企画していくことになったので、自分のビジョンや思いを反映できればと思います。


ーなるほど。SDGsの活動に関しては、ミスユニバースでのグランプリ受賞が関係しているのでしょうか。

ミスユニバースのテーマが「今できること」でした。今、自分にしかできないことは何なのかを考えた時に、国際問題・SDGsに目を向けていました。わたしにとっては、「人のために生きる大国である」を達成するための糸口としてSDGsを利用してます。

SDGsと言っていればいい、流行らせればいいという風潮が世の中にはあると感じ、それではダメだと思っています。社会にある問題・課題を数値化し、誰もがわかりやすく可視化したものがSDGsだと思うので、多くの人がSDGsって何?と考える未来を作っていきたいですね。


ーSDGsという言葉を聞いたことがあっても、詳細が分からないままでいる人も多いと思います。だからこそ、楽しい・面白いが起点となったHANDS UPの取り組みを行っているのですね。

本質は課題を知ることでも、課題を解決するためにやっていることではなくて。一人一人が地球ごとを自分ごとと捉えて、地球のために道端のゴミを拾うことができる人をを増やしたい。そのプロセス作りがHANDS UPでやっていることです。


ーHANDS UPの活動にはどんな人が関わっているのでしょうか。

大学での友人からSNSを見て連絡をいただいた方など、学生から社会人まで幅広い方々が関わっています。なお、コアメンバーが5〜6人なので、イベント時はいろいろな方にサポートしてもらっています。

HANDS UPという場所がメンバーにとって、戻ってくる場所になればと思っていますし、関わる人全員にとって幸せであってほしいと願っています。同じことを目指している方やビジョンに共感してくれた人と一緒にやっていきたいですね。

 

当たり前を疑い、行動する人を増やすために


ーこれまでの経験に通ずるのが、下の世代に伝えていきたいという思いや教育を変えたいという思いだと感じています。今の教育に関して、難波さんはどのような課題感を抱いていますか。

教育以前に、社会に当たり前が尊重されている現状があり、そこに危機感を覚えなければいけないと思います。上の世代の当たり前が普通や常識になり、誰かが決めた当たり前の中で多くの人が動かなければいけないのが事実としてあり、顕著に現れているのが教育だと感じています。

教育って5科目を机に向かって真面目に勉強し、黒髪で、先生の言うことを聞く人を作り出すもので、それが良しと日本では思われています。ただ、パリでは、美術館に行って本物に触れることが良しとされています。

日本の教育が悪いとは思いませんが、社会や時代・地球・国際問題が変化しているからこそ、わたしたちも変化しなければいけません。これからの時代に適応する・対応するためにも、その変化に対応できる教育期間を整えないと、今後の教育に価値を見出せなくなると感じています。その危機感を覚えた人が行動に移し始めているので、行動に移す人を増やしていきたいと考えています。


ー当たり前を問い直すことってとても大事だと思います。一度きりの人生だからこそ、どう納得するかを考えることは重要な気がします。

大学2.3年生の時に気づいたので、遅かったですね。
当たり前を疑うことや危機感を感じて行動に移すことへ目を向けなかった自分も悪いですし、それを感じさせなかった環境や社会も悪かったと思います。でも同じ経験を後世にさせるわけにはいかないです。

大学卒業するから就職する、小学生だから起業しないといった固定概念は今後にはそぐわないので、年齢に関わらずやりたいことはどんどんやっていくことが重要です。コロナ禍で明日の命があるかも分からない現状を感じたと思うので、日本の制度や文化に頼らずに、今やりたいと思ったら今やればいいし、下の世代がやりたいことができる環境を大人たちが作っていくべきと感じています。


ー年齢はなく、経験だと難波さんのお話を聞いていて感じたのですが、経験の大切さにどこで気づいたのでしょうか。

フェリス女学院大学のミスコンでグランプリを受賞した時に思いましたね。
スピーチや特技披露を通じて、全ての経験が今のためにあるし、これからのためにあると感じました。


ー難波さんは将来アナウンサーやCAになりたいとお話しされていましたが、今の夢は何なのでしょうか。

MCやモデルの仕事は今もしていますし、これからもやっていきたいと思っています。ただ、今後10年くらいは地球にとって、理のある事業を展開することを目標にしています。具体的には、女性の社会進出のロールモデルとなりたいですし、地球ごとで考えた時に一人一人が考えて行動しなければいけないので、思いつく限りのアイデアを出し、形にする。その結果、人々を幸せにするモデルを一つでも多く作り出すことだと考えています。

そして、35歳くらいには、政治家や政治家になるような人を育てたいと思っています。行政と民間とバランスよく協力していかなければいけないことは明白なので、地球がよくなるための最善の選択を取り続けたいです。

ー「人のために生きる大国でありたい」という難波さんのビジョンが達成されるまで応援しています!本日は素敵なお話をありがとうございました!

取材者・執筆者:大庭 周(Facebook / note / Twitter
デザイン:高橋 りえ(Twitter