過去の経験は未来につながる! グラフィックレコーダー三瓶 聖奈の努力と挑戦の物語

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第419回目のゲストはリクルートで働きながら、グラフィックレコーダーとしても活躍されている三瓶 聖奈さん。
イラストをはじめ、様々なことに挑戦し、多くの経験を蓄えた三瓶さんがグラフィックレコーダーとして活躍されるまでには多くの転機がありました。過去の経験は未来につながっている、そう実感する三瓶さんのこれまでのストーリーとこれから目指したいことを見ていきましょう。


自己表現の一つがイラストだった


ー簡単に自己紹介をお願いします。

リクルートに入社して5年目で、商品企画、マーケティングを経て、人事の仕事をしています。昔から創作が好きで、副業の1つとしてグラフレィックレコーディング(以下、グラレコ)という人の話を聞いてその内容を絵にまとめる仕事もしています。


ーリクルートに所属しながら、さまざまな副業をされているかと思いますが、本業と副業の割合はどれぐらいでしょうか。

本業がフレックス制となっているため、時間帯調整を行ったり、土日や有休を活用しながら、副業の仕事を取り入れています。

 

ー本業と副業を行う生活スタイルは、最近からでしょうか。

1年前のコロナ禍に鎌倉にワーケーションで移住したことで、自分の提供価値を明確化しようと思いました。

まずは、企業さんとプロジェクト的に進めてみようとトライする中で、自分ができることで人に貢献できることがあると気づき、このような生活スタイルをスタートさせました。会社の仕事では自分のできないを出来るに変える、そしてできるようになったことも含め、自分のできることを副業で提供するという形で働いています。それ以前は、ファッションショーを副業で行うなどしていました。


ーちなみに、
三瓶さんはどんな幼少期を過ごされていましたか。

両親の転勤が多く、常に環境が変化する幼少期でした。3つの小学校を経験したことで、転校するたびに人間関係がゼロベースになるのが衝撃的で、自分をもっと知ってもらうためにどうすればよいかと、毎日考えながら生きていました。


ー人間関係の構築の中で、イラストが役立ったそうですね。

当時住んでいたマンションに絵がうまい先輩がいて、その先輩のようにうまくなりたいと思い、色々と描いていく中で周りから褒められることが増え、自分の強みだと認識しました。

当時、自由帳や付箋を持ち歩いていて、話の間に入るときや隣の人と話すときに、感謝の気持ちを伝えるために付箋を渡したり、似顔絵を描くことで、自分に興味を持ってくれているのが伝わりました。幼いながらに、自己表現の一つとしてイラストを活用していました。


ーその後、中学・高校は絵描きは続けていましたか。

顔は上手にかけていたのですが、顔から下がうまく書けなかったので、センスがないのかもしれないと思い、中学からは勉強に力を入れ始めました。笑

両親が絵に限らず、いろいろな経験をするよう促していたので、中高時代は演劇をしたり、ダンスをしたり、ギターを弾いて音楽にのめり込んでみたりと自己表現の幅を広げていました。


さまざまなことに挑戦した学生時代


ーいろいろなことに挑戦させてくれる環境だったのですね。

初めて海外にもいったのですが、その場所がミクロネシア諸島のヤップ島という全く知らない場所で。成田空港で全国各地から集められたはじめましての人たちと、9日間過ごしましたし、母親に連れられ、学外のプロジェクト内の理科の実験で、近くの池から微生物を採取して見てみたりしたのもこの時期でした。両親は、理系文系問わず経験になりそうなことをやらせてくれたので、様々な環境で自分なりに考えて行動していました。


ー知らない環境に一歩踏み出す怖さはありませんでしたか。

新しいコミュニティに入ることはもちろん怖かったですが、小学校が転勤族だったので、次第に味をしめたのだと思います。新しい世界を知れたり、新しい友達との関係構築を行う中で、また新しいつながりが生まれたり、その場で生まれる価値を楽しんでいました。


ーその後の大学受験では、どのような選択をされましたか。

文理問わず興味の幅が広い中で、社会などの暗記ものや国語が得意でした。

ただ、宇宙や生物などの現象にも面白さを感じていたこともあり、どうして高校生の時点から文理を選ばないといけないんだろう?という疑問が、当時ありました。それゆえ、1年次に文理両方の学問を学べる慶應義塾大学の文学部を最終的には選びました。


ー慶應に入るまでに、1年間の浪人生活があったそうですね。

文理両方学べる大学に行きたいと思いながらも、当時部活を頑張っていたことで勉学が追いついておらず、受験に失敗。それから受験への怖さ、将来に対する不安を感じていましたが、人生新しいことに挑戦していたら新しい出会いもあるだろうし、そこで得られる仲間や経験は自分にとってプラスになると思い、浪人することを決めました。浪人生活は辛い日々でしたが、環境構築しながら仲間と励まし合い、乗り越えることができました。暗黒時代でもありましたが、この時間が自分にとって糧となった経験でした。


ー浪人時代のお父様の言葉も印象に残っているとお聞きしました。

「人生いろいろな経験をして、頑張って欲しい」と言われたり、「聖奈には自分のやりたい仕事について欲しい」と父から真剣に話されたことで、自分が将来やりたいことをするために、自分が幸せになるために何が適切なのか、どうすれば良いかを考えるようになりました。


思いを持ち続ければつながる


ー大学時代の三瓶さんは多くのことに挑戦されたそうで、その中でもシリコンバレー、スタンフォード大学に興味を持ち、留学したお話が1番の出来事だそうですね。この2つに興味を持ったきっかけを教えてください。

自分が一番したいことをみつけるため、とりあえず興味のあるサークルに5つ・インターンを8つ経験しました。インターンは、政治にも興味があったことがきっかけで、国会議員の秘書のインターンにも応募し、そこで様々な仕事を経験しましたし、国で何かを変えることは国民を納得させる必要があることから、責任の重さやスピード感の遅さに気づきました。それがきっかけで、ビジネスサイドから働きかけていく方が自分に合うのでは、新しい価値を作ることが好きなのではと考えたときに、世界でどこよりも早く新しい価値が生まれ続けている最先端場所ってどこだろうと考えたときに当時話題になっていたグーグルのあるアメリカ、シリコンバレーだ…!となりました。

 

ー興味があること全部やってみたのですね。

興味があることが多すぎて、どうしようか相談した人から「今やりたいことがわからないのは当たり前。だからまずは全部やってみて、その中で1番時間を使っているのが何なのかを見つめなおしたほうがいいよ」という言葉をいただきました。

その言葉に納得し、全て自分で体感してみないとわからないと思いながら、自分のやりたいことを徐々に選んでいきました。

 

ー海外への留学は苦労がつきものかと思いますが、いかがでしたか。

憧れていたダンスサークルの先輩が行っていたことで、大学のプログラムを知りました。しかし、それまでのプログラムに参加していたのは理系の学生か法学部政治学科の学生。文学部のわたしには、チャンスがあるのだろうかと思っていました。

しかし、チャンスを掴みたいという気持ちが強かったので、政治は政治でも座学ではなく、自分が国会や自民党の部会などの現場で感じた経験を生かせないか考えたり、説明会に積極的に参加しOBOGの人を呼び止めて留学への思いを伝えたり、いろんな人からアドバイスをもらったり。さらには、慣れない英語を使ったESをを留学生の知り合いに添削してもらうなどしてなんとか提出しました。

 

すると、たまたま面接時の面接官が、説明会で私が留学への思いを伝え続けていたOBの方でした。大学が帰国子女が多い環境であり、リアルな問題意識を持っている人が多かったため、ずっとチャンスを逃し続けていて、悔しいという気持ちをそれまでは持っていました。しかし、自分はこうしたい!という気持ちを伝え続けて動いた結果、奇跡的にチャンスをつかむことができました。

 

ー全部をやってみた結果が留学につながったのですね。実際に現地に行ってみていかがでしたか。

シリコンバレーでなぜ世界中に広がるような新しい価値が生まれていくのかを、知りたいという大きな目的がありました。また、現地の起業家の人に、考えていたヘルスケアのビジネスについてプレゼンをしたい、GoogleやFacebookを訪問したい、そう考えていました。

最初は英語が分からず苦労しましたが、シリコンバレーで現地の企業が見たい、起業家の人とつながりたいと発信し続けたところ、オレンジというベンチャー企業主催のアイデアブレストイベントが学内であり、スタンフォード生と企業の方がディスカッションする現場を体感するチャンスを得ました。そこでは、課題に対するアイデアを紙に書き出したり、アイデアを取りこぼすことなく拾い上げながらファシリテートしたりと、議論を構築しアウトプットしていく「スピードの速さ」や「度量の広さ」を体感しました。

また、一番思い出に残っているのは、スタンフォードのデザインスクールで勉強する機会をもらったことです。ペルソナを自分たちで決め、ウェアラブルデバイスのプロトタイプを決める授業に参加しました。皆がペンを持ち、イラストにしながらアイデアを生み出していく。発表するときって、日本人学生が生真面目に模造紙の前に立って発表すると思いますが、現地の学生はそこらへんの段ボールを自分の体に身につけてプレゼンする。スタンフォードの学生は、手法を問わず、どうしたら一番相手にイメージさせることができるかを考えながらプレゼンしていました。この授業で、具現化することやイメージさせることの大切さを知り、シリコンバレーで新しい価値が生まれる理由を体感した気がしましたし、その新しい価値をイメージ化するときのデザインがもつ力、具現化する際に絵やイラストが大切だというのを感じました。

ー大学卒業後は、どのような選択をしたのでしょうか。

海外に行ったことで新しい価値を作ること、課題に対してアイデアを提供することで形にできる仕事、色々な人に出会える仕事を求めていました。その中で、新しい価値を創ったり人と向き合うことで人の可能性を広げたい、誰かに気づきや経験を与えられる人でありたいと思い、それが両方叶いそうなリクルートを選びました。

 

社会人1年目で悩んでいる時期にグラレコと出会う

 

ー実際に、リクルートに入社して1年目はどんな生活でしたか。

できないことの連続でした。文学部の人類学専攻だったこともあり、人の気持ちに寄り添いながら活動したり、インターンをする中でファシリテーションやアイデアを出すポジションでいることは多くありましたが、データ分析や課題設定に関しては自分のスキルレベルを周りと比較するシーンが多くなり、これからどうやって働こうか、自分にとっての幸せな働き方ってなんだろうと考える日々でした。

 

ーこの葛藤をどのように乗り越えたのでしょうか。

それが、グラフィックレコーディングでした。
1年目の時、わたしがどうすれば幸せに働けるのか、会社の人がしっかりと向き合ってくれるタイミングがありました。そのとき、1年目を振り返ろうとしたのですが、自分が何を考えていたのか整理できなかったんです。

そのタイミングで、人生を振り返るグラレコのワークショップを知り、自分が得意な絵でまとめたら自分が何を考えているのか整理できるかもしれないと思いました。実際に参加してみると、自分の本音がぽろぽろと出る瞬間があり、自分のこれまでの出来事を棚卸しできました。自分の考えや大事にしていることがまとまったこと、それを会社の仲間に伝えられたことで、なんとか1年目を乗り越えることができました。

ーグラレコを通じて、イラストの新たな価値を感じたのではないでしょうか。

絵にすることで、過去を思い返しやすくなるため、自分がどんなふうに考えていたのか見返してわかりやすく自分で理解し、相手にも伝えることができるのが良いポイントでした。当時の上司から「こんなに書いたのか!?でもここが三瓶らしいいいところだな。笑」と認められた瞬間でもあり、今でも覚えています。

 

ーグラレコに出会ってから2年目は変わりましたか。

グラレコを通じて自分と向き合うようになってから、できない自分を認めて頑張ろう、他人とではなく過去の自分と比較しようと思うようになれました。さらには、自分の人生を変えてくれたシリコンバレーに再び行きました。現地の空気を味わう中で、今の活動の原点である「新しい価値を作る」ために頑張ろうと再確認し、それに必要なスキルを磨ける仕事への向き合い方も変わりました。

 

ーちなみに、グラレコが今では一つの仕事になっていますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

人に向き合いながら絵を描くことで、誰かの選択肢を広げたり、気づきがあることが楽しいと感じていました。鎌倉に移住をしましたが、そこでは好きなことを仕事にしている人が多く、自分ができることで楽しいことがしたいと考えたとき、自分にはグラレコが当てはまると思いました。ほかのグラフィックレコーダーとは異なり、自分が提供できる価値は何なのか?を考えたかったため、案件を受け始めることになりました。


他人の選択肢を広げていきたい

 

ーなるほど。そこからリクルートで働きながら、グラレコを副業とする生活が始まり、鎌倉に移住することにもなったそうですね。

シリコンバレーに一緒に行っていた友人が、新規事業のヒアリングをしている際に、鎌倉でワーケーションをするから一緒にこないかと誘われ、気づいたら4日後には彼女と一緒に鎌倉の地で住み始めていました。

その友人とシリコンバレーで過ごした日々が楽しかったこともあり、コロナで人生で初めて2か月間何も動かず塞ぎ込んでいた時期でもあったので、あの刺激的な経験が再びできるのではないかと思いました。そして、鎌倉に短期的にワーケーション行くことになりました。

 

ー本業を行いながら、グラレコを行うスタイルをなぜ選んだのでしょうか。

リクルートにいることでいろいろな気づきや、自分ができないことに出会うことで、自分ができることの価値を広げている感覚なんですよね。「できない」を「できる」にし、自分ができることで価値貢献していく循環がやっとできている段階なので、いろんなことを吸収しながら、アウトプットを増やしていければと考えています。

 

ー三瓶さんの記事を読んでいる方へ、何か伝えたいメッセージはありますか。

人生は自分がどんなことを経験し、どう思うかが大切で、人生は一生自己分析の連続だと社会人になってから気づきました。なので、自分がたくさんの経験をすることで自分がどう感じるのか、何が楽しいかを自分自身とすり合わせて幸せを作っていくのかなとそう思っています。経験なしに、自分が何が楽しくて何や嫌なのかということは知りえないなあと。周りの人の可能性も自分の可能性も今後広げていきたいと思っているので、わたしのこれまでのインタビューを通じて、少しでも挑戦してみよう、発信してみようという気持ちになってもらえたら嬉しいです。


ー最後に、今後のビジョンを教えてください。

自分の可能性を広げつつ、他人の可能性を広げていきたい。そして、グラレコで人に向き合う中で、人の可能性を変えていきたいです。
わたし自身は、あまりグラレコにはこだわっておらず、人の選択肢を増やせる新しい価値づくりができればいいなと感じています。そのため、今後はグラレコとコーチングを掛け合わせたり、現在友人と進めている、働く女性向けのサービスの具現化に向けてトライしようと考えています。

これからも自分の挑戦をしつつ、新しい価値を作れたらと思います。


ー様々な挑戦をし続ける三瓶さんを、これからも応援し続けます!本日は素敵なお話をありがとうございました!

取材者・執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:安田 遥 (Twitter)