銀行員&起業家の二足の草鞋を履く元ラガーマン 仲本雅至(Spicer 代表取締役)

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第360回目となる今回は、株式会社Spicer 代表取締役の仲本雅至さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代から起業を志していたという仲本さんは、経営者とは何かを最前線で学べる場所として銀行への入社を決めました。銀行での経験を通し学んだこととは?その先に起業家としてどんな夢を見ているのでしょうか?

銀行員×起業家、キャリアの原点は経営者への憧れ

ーまずは仲本さんのプロフィールを、ご経歴を含めお教えいただけますか?

社会人6年目で今年28歳になります。愛媛県で生まれ育ち、同志社大学に進学しました。同志社では、ラグビー部に入りチームメイトと日本一を目指していましたね。

卒業後は、みずほ銀行に入社しました。法人営業を3年経験し、現在はデジタルイノベーション部でキャッシュレス決済アプリのデジタルマーケティングに奔走しています。

本業とは別に、副業として自分の会社を立ち上げ、オンラインコーチングのマッチングプラットフォーム「mybuddy」を運営しています。

ー起業されたきっかけは何だったのでしょうか?

もともと大学生の頃から起業家というものに対して漠然とした憧れを持っていたんです。僕にとってのヒーローのような存在ですね。

ただ、自らが起業して何をやりたいのか、やるべきか、ということは長らく分からずにいたんです。

そのため大学卒業時には銀行への入社を決めました。最初に配属された部署では、多くの経営者の方にお会いさせていただき、彼らと同じ目線で企業経営を考えるという貴重な経験をさせてもらいました。

転機となったのは入社4年目のことです。デジタル領域における新規事業立ち上げを担う部署へ移動したことで、事業の作り方を学ぶことができ、これまで人生のなかで打ってきた点と点が線のようにつながり始め、より具体的に起業というものを考えるようになりました。

また、偶然にも、会社に副業制度が導入されたこともあり、起業を決意しました。

ー大学生時代から起業に憧れるようになったのには、どのような理由があるのでしょうか?

学生時代に所属したラグビー部は国内有数の強豪校で、日本一を目指して練習に明け暮れていました。

ただ、貴重な学生時代をラグビーだけに費やすことはもったいないとも思い、短いオフシーズンにはバックパッカーとして海外を歩いていたんです。発展途上国や社会主義国家など日本とは異なる価値観を持つ国々を回りました。

なかでも大学3年生の時に訪れたインドでのある出会いが印象に残っています。

インドのストリートで英語も日本語も話せる5~6歳の少年に出会いました。彼は服は汚れ裸足で歩いていて、教育を受けている様子はないんです。ただ、海外からやってくる観光客に物を売ってお金を稼ぎたい一心で英語や日本語を覚えたのでしょう。

この光景から「生きるためのスキルとはこういうことか!」ということを感じました。「本物の生命力」というものを肌で感じたとき、自分が生まれ育った日本にはそれが弱いのではないかと思ったんです。このままでは日本は衰退してしまうかもしれない。そんな日本を変えるには、政治家か起業家になるしかないとも思いました。そして、起業家ならば努力次第でなれるはずだと考えたんです。

 

ラグビーが教えてくれたこと

―学生時代に打ち込んだラグビーにも、これまでのキャリアに通じる原体験があるそうですね。そもそもラグビーはどういうきっかけで始められたのですか?

もともと小中学生の頃はサッカー少年でした。ラグビーをはじめたのはたまたま見たテレビのドキュメンタリー番組がきっかけです。

主人公は大畑大介さんというラグビーの元日本代表選手で、現在もラグビーの普及に尽力されています。

大畑さんの選手としての生きざまや、競技人口が少ない日本にラグビーを根付かせたいという熱い想いを目の当たりにして、高校へ行ったら自分もラグビー部に入ろうと決意しました。

進学した高校のラグビー部は規模も小さく決して強いチームではありませんでしたが、個人としては四国選抜に選ばれるなど、その面白さにドンドンのめりこんでいきました。

―同志社大学を選ばれたのはラグビーの強豪校だからですか?

それもありますが、自由主義を掲げる校風に惹かれました。同志社が持つ自由主義の精神には「自由には必ず責任が伴う」という考え方が根付いていて、強く共感したんです。

結果的に同志社大学を選び、ラグビーに4年間明け暮れたことで多くのことを学べたと思います。今でも当時の経験が活きていると感じる最たることは、「楽観的な思考」を身につけられたことではないでしょうか。

チームは本気で日本一を目指していて、170名を数える部員と練習に打ち込んでいました。本気でやる学生スポーツはとても厳しい世界です。収入がもらえるわけでもなく、ただひたすらに様々なことを犠牲にして日本一を目指す。ある意味、楽観的でなくてはできることではないんです。また、早朝から夜まで続くつらい練習は、どんなことにも耐えられる忍耐力も身につけさせてくれました。

ー180名もいる部で日本一を目指すことはとても大変だったと思います。挫折の経験はないのでしょうか?

入学して1年目は本当に大変でした。高校でもラグビーをやっていましたが、いわゆる弱小校だったんです。一方、同志社大学には名門高校から大勢の選手がやってきます。最初は全く歯が立たなくて、組織のなかでもお荷物のような存在。好きなことをやっているのに、なぜこれほど苦しいんだと自問自答する日々でした。

そんなところから這い上がれたのは、とある留学生と意気投合したのがきっかけでしたね。馬が合ってラグビーについて真剣に語り合い、日本では馴染みのないトレーニングメニューを一緒に考案するようになったんです。試行錯誤する間に実力が身についていき、2年目には晴れて試合に出場することができました。僕の人生で最も熱い瞬間だったと思います。

ーお話をお聞きしていると、ラグビーの厳しい練習を耐え抜くことができたり、学生の頃から起業を志したりするのには、生来の気質も影響しているのではないかと思いますが、いかがですか?

幼少期の経験が生きていると感じることはあります。バイオリンを習っていたので大勢の前で自分の演奏を披露するという経験をしてきました。おかげで人前で緊張することはほとんどありません。

また、田舎で育ったので、ある意味ハングリー精神が根付いていると思います。セブンイレブンすらなかったような田舎で生まれ育ったからこそ、自身が身を置く環境の優劣を他者のせいにせず、自分で変えてやろうという気概があるのかもしれません。

親の教育方針についても感謝しています。大学時代、母は仕送りに本を送ってきてくれました。学び続ける事の大切さを伝えたかったのでしょう。新しい知識への欲求、読書の習慣は今でも身についています。

 

銀行員の目から見たテックビジネスの可能性

―大学卒業後、みずほ銀行への入社を決められたのはなぜでしょうか?

経営者の方々と間近で接することができる仕事なので、起業につながる経験ができるのではないかと考え、銀行を志望するようになりました。

そのなかで、みずほに惹かれたのはその歴史に共感したからです。みずほ銀行は、日本で最初にできた銀行の流れを汲んでいます。数々の国難を支えてきたというプライドが会社にも根付いているように感じたんです。

社会人となり、仕事でもしもつらいことがあっても、自分の所属する組織が日本を支えてえるんだ、という精神的な支えがあれば、自分も日本のために働いているんだという気概持って頑張れると思い、志望しました。

―入社されたからはどのような経験をされてこられましたか?

最初の3年間は法人営業を担当しました。入社当初は知識を増やすことで着実に成長している感覚がありました。

何より楽しいのは、やはりお客様が描く未来をみずほとのシナジーで一緒に実現していけることでした。

ー現在は、デジタルイノベーション部に所属されていますが、異動のきっかけは何だったのでしょうか?

入社3年目に中国へ訪問したことがきっかけです。

中国のテック企業を見学させていただき、それまで抱いていた中国のステレオタイプなイメージが払拭されました。

上海はハイテク都市に成長していて日本の数歩先を行っている。テックビジネスの勢いを知ったんです。

当時、私の仕事のやりがいと言えばお客様をハッピーにすることでした。しかし、テック大手に勤めるような人たちは、テクノロジーを用いることで世界中の人をハッピーにしようという気概を持っていたんです。そのギャップに気づかされたときは、銀行員になって忘れてしまっていた起業家への憧れを取り戻したような感覚でした。

中国から戻り、社内でデジタルを軸とした新規事業の立ち上げを担う部署の募集が発表され、手を挙げました。

ー中国でのご経験が、その後の起業にもつながったんですね。現在はコーチングのマッチングサービス「mybuddy」を提供されていますが、事業のアイデアはどのようにつかまれたのでしょうか?

最初は全く違うビジネスを考えていたんです。あるベンチャーキャピタルのアクセラレータ―プログラムにも選ばれることができ、半年ほど事業化を模索したのですが、このまま進めてもグロースするサービスにはならないと判断しました。

あらためて事業を考えるときに参考にしたのが、ソフトバンクの孫正義氏の考え方です。

それによるとグロースするビジネスを考えるには3つの条件があります。1つ目は、社会性があること。2つ目は初期投資がかからないこと。3つ目は市場が伸びていること。

特に3つ目の市場については徹底的に調査をして、コーチングの需要が日本で高まりつつあり、供給が追いついていないことが分かったんです。

マッチングサービスならば初期投資もかかりませんし、コーチング自体が働くことのみならず人が生きることを支えるソリューションになり得るという社会性を持っています。

人を支えられる可能性を持ったビジネスとして取り組む意義を感じたんです。

―今後、事業をどのように発展させていきたいと考えていますか?また、本業ではどのようなキャリアを歩んでいきたいと考えていますか?

日本はまだまだコーチング後進国なので、コーチング文化が根付くきっかけになるようなサービスにしたいです。

本業でも様々なテクノロジーを駆使しつつ、社会に役立つプロダクトを生み出したいと思います。

ー本日はありがとうございました!仲本さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:新井麻希(Facebook
執筆者:海崎泰宏
デザイナー:高橋りえ(Twitter