僕が「ネプソン」として好きなことをして生きる道を選んだワケ。アーティスト・杉山航


様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第274回目となる今回は、多彩な才能を持つアーティスト 杉山航さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

「職業はネプソンです」とおっしゃる杉山さん。「ネプソン」とは何か?そして、アーティストとして生きる杉山さんの半生について詳しくお伺いしました。

プログラミングで自分を変えて上京

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

現在高校3年生で大学に受かって、「残りの在学期間期間何しようかな」ぐらい暇してるものです(笑)

絵を書いたり、ギター弾いてライブを開催したりと、あとは最近はエンジニア関連の仕事でPMの業務を担っていたり、エッセイとか書いてみたいと思っており、それぞれでお金発生させて生計立て、「職業:ネプソン」を作りたいと思っています。

ー自己紹介の中で「ネプソン」というワード出てきましたが、「ネプソン」とはどういう意味でしょうか?

「ネプソン」は僕のニックネームです。語源由来は諸説ありで、皆さんで説を作っていただければと(笑)

ー後ほど「ネプソン」についても掘り下げていきたいと思います!それでは最初のターニングポイントである8歳の頃をお伺いできますか?

8歳の時に不登校になりました。きっかけは覚えてないんですよね。友達にも恵まれていましたので、これといって具体的な理由は今は覚えていないのできっとなんとなく嫌になったんだと思います。

僕の人生は始まったの12歳ぐらいかなとか思うぐらい、潜在的な期間だったと思っています。学校行かない期間にプログラミングに興味を持ち始めていました。その期間についてはあまり記憶にないのですが、今思うと家族にすごく迷惑かけたと思っています。

ープログラミングに触れた結果、自分が急激に変わったのですか?

本格的にプログラミングを始めたのが中1の夏でした。それまではずっと変な言い方ですけどパソコンが友達みたいな男の子だったんです。

中1で東京のプログラミングのイベントに参加させていただいて、そのイベントが全国から参加するようなプログラミングイベントでした。規模の大きいイベントだったのですが、技術で共通項があったため、同年代の趣味が合う友人が出来ました。

何か技術があればあるほど友達が増える業界で、この業界で居場所を見つけられたと思いました

ープログラミングに魅力を感じていたと同時に仲間の影響も多かったのですね。具体的にプログラミングはどんなことをされていたのですか?

動画編集やアニメ作成、iPhoneアプリの作成もしていました。

実は12歳の時に半年ぐらい精神病院に入院していた期間もあり。その後プログラミングのイベントを自分で見つけ、参加したのがきっかけでプログラミングにのめり込んでいきました。

ー何かプログラミングに没頭している過程で自分はこうなりたいや、プログラミングを職業にしたいなど、将来の夢は出来上がってきたのですか?

当時は全く考えてなかったですね。今をすごく楽しんでたので、友達と旅行に行ったり、ヒッチハイクしたりしていました。

上京後は友達の付き合い方について考える

ー山梨から上京されたようですが、きっかけはなんだったのでしょうか?

すごくシンプルな2択に迫られたのがきっかけです。中3で進路に迷った時に、「1人も友達がいない、山梨で行き通えるかどうか保証もない高校に行くか」「東京で友達がいる場所で、しかも自分の好きなことを毎日学べる場所に行くかか」の2択になって。両親に頼み込んで、上京させてもらいました。

行きたかった高校はプログラミングの試験がありましたね。意欲的な人ほど入れる学校でした。それが3年前ですね。

ー実際に東京で一人暮らしをして、変化だったり心境の変化がありましたか?

簡単に言うと、一人暮らしはすごくはしゃいでました(笑)

変化としては、「パソコンが友達」ではなくなってきましたね。友達が増え、友達とたくさん遊んでいました。プログラミングのスキルを活かしてインターンなどもしていてお金を手にすることができたので、かなり自由に生活してました。そのため、学校内外問わず友達がたくさんできました。

あとは、自分の精神を鍛えるために、山手線を歩いて一周をしたりしました。

ー学業であるプログラミングの方はその時はどんな感じでしたか?

高校2年生からまたプログラミングにも熱が入り始めました。高校1年生の終わり頃に人工知能の分野に出会って、とても没頭しました。本がボロボロになるくらいまで勉強しましたね。

人工知能の分野はある程度極めたので、ほかの分野の勉強もしたいと思い、電子工作やその技術を用いたギター改造などをしていました。ですが、自分のしたいこととは違っておりモチベーションが上がらず、あまり成果は出せませんでした

高校2年生の2学期頃「自分は人工知能やってたときが一番楽しかった」と思い、将来就きたい仕事も人工知能の仕事を探すようになりました。

作ったアプリが、例えば「映画を人工知能に学習させて、映画の構成にあったポップコーンを作る」のようなアプリです。

ー学生の時からプログラミングをお仕事にしていたそうですが、初めてのお仕事についてお伺いできますか?

インターンのような契約事業をお仕事としてさせていただいていましたね。

同じクラスで共に勉学に励んできた仲間も同じように働いている人が多かったので、普通の高校生とは思い出のカタチが少しちがうかもしれません。

「ネプソン」を職業に。自由に生きること

ー今はどのように時間を使ってますか?

実は1月ぐらいから急に無気力になり、大切な物や譲れないものがわからない時期になっています。でもしたいと思っていることはたくさんあります

自分の曲をCDにして販売したり、絵を書いてみたりと、芸術系で作品を作っていきたいですね。今は色々なことに同時並行でチェンジをしながら、生計を立てていますね。

「職業ネプソン」として、1つの職業に囚われず、「今したいこと」をして生計を立てるような生き方をしていきたいと思っていますし、「人類ネプソン化計画」みたいな形で、世の中の人が自分のしたいことで生きていける世の中を目指してます

ー最後に杉山さんが今後していきたいことをお伺いできますか?

まずは、「死ぬ時に有名になっていたい」が1番ですね。

あとは、自分のように好きなことをして生きる人が増えていくことが1番いいと思っています。今の現代は表向きだと「アーティスト」や「芸術家」を名乗っていますが、実際は「フリーター」で生計を立てています。世間的に生きにくい世の中になっているので、アーティストや芸術家も胸を張って仕事ができる世の中になっていければいいなと思っていますね。

ー本当に今日はあっという間でした!素敵なお話ありがとうございました。今後の杉山さんのご活躍楽しみにしています。

取材者:増田稜(Twitter
執筆者:ゆず(Twitter
デザイナー:高橋りえ(Twitter