仕事も育児も妥協しない。Speee新卒採用担当の増田 隆洋が “今” を大事にする理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第272回目となる今回のゲストは、株式会社Speee 新卒採用部の増田 隆洋(ますだ たかひろ)さんです。

Speee入社後、祖父の死・育休取得・人事への異動など、様々な壁を乗り越えてきた増田さん。何度も困難に直面してもなお、妥協することなく働き続けている理由を探りました!

兄への競争心から道を決めていた小中学校時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社Speeeの新卒採用部で人事を担当している増田隆洋と申します。現在は、候補者の方との面談や面接、インターンシップの企画、ブランディングなど、幅広い業務に携わっています。

ーSpeee入社後、ずっと人事を担当されてたのですか?

最初は「イエウール」という不動産売却メディア事業で、法人向けの新規営業・コンサルタントとして従事していました。新卒採用に異動したのは2年目の10月からですね。

ー現在はSpeeeで新卒採用の人事を担当されている増田さん。本日は原点にさかのぼってお話を聞いていこうと思います!幼少期の印象的なエピソードがあれば教えてください。

幼少期で唯一覚えているのは、幼稚園時代に怪我したことです。用具をなかなか片づけない子に「片づけないとダメだよ!」と言ったら、右手の中指を噛まれて血豆ができました。

ー真面目で正義感が強かったんですね。小学校に進学されてからは、どのように過ごされていたのでしょうか。

勉強では上位にいて、スポーツ全般できて、生活態度を注意されたこともなかったので、先生からは信頼されていました。

ー中学校でも変わらず真面目で正義感が強かったですか?

そうですね。中学2年か3年のときは生徒会長でした。

ー小中学校時代の部活動についても教えてください。

小学校のクラブ活動で4年生のときに卓球をしていたのですが、2歳年上の兄が中学でバスケ部に入ったことをきっかけに、兄に対するライバル心から私もバスケ部に入りました。

ー2歳差だとそれほど離れてないので、意識しますよね。中学時代、高校受験はされましたか?

学区内で一番偏差値の高い「兵庫県立姫路西高等学校」を目指して受験勉強していました。私の中学からは毎年1人行けるかどうかというレベルの高校で、当時私は学年で10番目くらいだったのでハードルは高かったです。

親や先生に「もう1つ下のレベルの高校にした方がいいよ」と言われていたのですが、どうしても妥協したくなくて。中2から個人塾に通い始めて、毎日夜10~11時まで勉強していました。

ーそれほど行きたいと思われていた理由は?

兄に負けたくないという気持ちが強かったからです。私の兄は学区内で真ん中より少し上のレベルの高校に進学していて、どうせなら圧倒的に勝ちたいと思い、1番上の高校を目指しました。結果、姫路西高校には受かることができました。

センター試験で不合格圏内からまさかの逆転劇

ー姫路西高校に進学されてから、印象的なエピソードがあれば教えてください。

高校でもバスケ部に所属していたのですが、高2からバンドも始めたんです。特に印象に残ってるのは、私以外の3人のメンバーが、バンドに注力するために所属していた部活を辞めたことですね。

私だけバスケを続けてていいのかな……と悩み、バスケを辞めようか迷っていたときに他の3人が「まっすーだったらバスケもバンドも両立できると思うから、どっちもやった方がいいよ」と言ってくれたんです。そのおかげで、どちらも最後までやり切れました。

ー素敵な仲間に支えられていたんですね。高校では進路選択の時期が訪れると思うのですが、いつごろから進路を考えていましたか?

高2から進路を考え始めました。親族が全員兵庫県内にいて、何となく自分の知見が狭いのではないかと感じていたので、もっと広い世界を見てみたいと思っていて。どうせならできるだけ遠いところを選ぼうと思い、九州大学と北海道大学を選択肢に入れました。

2つの大学のどちらに行こうか迷っているときに、たまたまテレビでJICA(ジャイカ)の国際ボランティア活動のニュースを見て、JICAに興味を持ち始めて。JICAについていろいろ調べているときに、明治大学に元JICA職員の方がいることを知り、明治大学も候補に入れることになったんです。

ー行きたい大学が3つになったんですね。

はい。国立大学は1つしか受けられないので、九州大学と北海道大学のどちらかに絞る必要があったんですよ。冷静になって考えると、北海道はさすがに寒すぎるし遠すぎると思って。家族に何かあったときにすぐに帰れる距離が望ましいと思い、兵庫から新幹線で2時間で行ける九州大学に決めました。

ー受験結果はどうでしたか?

実はセンター試験で解答欄を間違えて、大ゴケしちゃいまして。模擬試験ではB・C判定ばかり出ていたのに、センター試験の判定ではほとんどが不合格ラインでした。担任の先生や親から「進路を変えたほうがいいんじゃない?」と言われていたのですが、2次試験の勉強はちゃんとやってたから行けるだろうと思い、そのまま九州大学に出願したんです。

結果はなんとか合格。明治大学も受かっていたのですが、兄が私立大学に進学していたこともあり、九州大学へ進学することに決めました。

ー先生やご両親から指摘されてもなお、自分の意志を突き通した理由は?

妥協したくないという一心で、信念を貫き通しました。最初に掲げていた目標を下げるのは、個人的に「逃げる」感覚があったんですよね。

ビジネス成功のために必要だと気づいた3つの力

ー高校受験に成功し、九州大学に入学された増田さん。大学ではどのように過ごされていましたか?

大学1年の頃はバイトとサークルしかせず不毛な日々でしたが、大学2年の夏に転機が訪れました。ビジネスコンテストを運営していた友達から、人数が足りないからビジコンに参加してほしいと言われたんです。ビジネスに興味はなかったのですが、日程が空いてたので参加することにしました。

ビジコン当日は、京都大学の院生2人と同じチームで、その2人のおかげで優勝することができたんです。ビジコン中にその2人から「将来どうするの?」、「どんな会社に興味あるの?」、「社会に対してどう貢献していきたいの?」とひたすら聞かれて。何も考えていないことに焦りを感じ、ビジコンが終わった大学2年の秋から就活を始めました。

ー時期がかなり早いですよね。

同年代で就活している人は誰もいなかったです。1つ上の学年に交ざっていろんな会社の話を聞く中で、「もっと知識をつけなきゃ」と思い、アントレプレナーシップを学べる選択授業を受け始めました。

その授業で起業家の方の話を聞き、「自分も起業できるんじゃないかな?」と感化されたんですよ。あとで調べるとそんなことなかったのですが、当時成功している起業家のキャリアを調べてみるとコンサル出身の方が多かったので、大学2年の冬からコンサルを志願し始めました。

ーそれから具体的にどのような活動をしていましたか?

コンサル系企業やベンチャー企業は選考が早いので、夏のインターンに13社ほど参加しました。

ー13社も……!それほど多くの会社でインターンをしたら、気づきもありそうですよね。

おっしゃる通りで、複数社のインターンを経験したことで考えが変わりました。当時の市場で生き残っていくには、優れた戦略を立てる力・事業を実行する力・実行できる組織を作る力の3本柱が重要だと気づいて。

もしコンサル業界に進んだら、戦略を立てる力しか鍛えられないんじゃないかと思ったんです。他の2つの力も鍛えられる環境はベンチャー企業だと思い、志望企業を変更しました。

ー最終的に、Speeeに入社した決め手を教えてください。

Speeeの夏のインターンを受けたときに、3つの力をすべて学べることに気づいたんです。そのまま12月中に選考を受け、内定をいただけたのでその時点で就職活動を終えました。

Speee入社後1年目、祖父の病死を機に人生観が激変

ーSpeeeへ入社し、法人営業とコンサルを経験した後に人事に異動されたきっかけを教えてください。

内定者の頃から新卒採用に行きたいという気持ちはあったのですが、社会人1年目の夏に祖父が亡くなったことが大きく影響していますね。

親族で亡くなったのは祖父が初めてで、おじいちゃん子だったこともあり、父親から電話をもらったときは2~3時間放心状態でした。ぼんやりしたまま実家に帰ると、母親がたまたま『君の膵臓をたべたい』を読んでいて、私も読み始めたんです。

その小説を読むまでは「祖父が亡くなったのは、年齢もいっていたししょうがないことだ」と考えていたのですが、その小説の一節を読んで「自分だっていつ死ぬかわからないんだ。だったら今取り組んでいることをやり切ろう」という気持ちに変わりました。

長期的に考えず、今面白くて難易度の高いものに挑戦しようと思ったときに、新卒採用の仕事がぴたりとマッチしたんです。

Speeeの新卒採用はそんなに難易度が高いんですね。

Speeeの事業はtoB向けや、就活生よりもその親御さんが使うようなtoC向けのものが多いので、就活生はイメージしにくいんです。

また、ありがたいことに外銀や外コン、商社、大手の会社さんからスタートアップ企業まで、競合性が高い中で受けてくださるので、自社の事業内容や魅力を正確に伝え、理解してもらったうえで採用をしていくことは非常に難易度が高いと思っています。

ただSpeeeの人事では、企画や広報、イベント登壇、マーケティングなど、採用に関わることは全般的に経験できるのでいろんな筋肉が鍛えられます。それも内定者の頃から「新卒採用人事を経験したい」と言っていた理由の1つではありますね。

1人の採用担当者として企業の未来のために種をまく

ー人事へ異動するにあたり、何か困ったことはありましたか?

実は社会人2年目の4月に結婚して、子どもが生まれる9月に人事への異動の打診があったんです。新卒採用の仕事に挑戦したいという気持ちはありつつ、育休を取得したいという気持ちもあったので、当時はかなり悩みましたね。

ー出産と異動のタイミングが重なったんですね。結果どのような決断をしたのでしょうか。

人事への異動も、育休取得もどちらも実現することにしました。人事への異動前に、子どもが生まれた後10月から11月までの1か月間お休みをいただくことにしたんです。

ー新しい部署に異動するタイミングでの育休取得は、不安ではなかったですか?

もちろん不安はありました。社会人2年目で、仕事のいろはもわかっていない状況で1か月間休みを取得するのはなかなか勇気のいることだったんです。

ただ、緊張した面持ちで当時の上司に「育休を取りたいのですが……」と相談すると、「気にせず取りなよ!」と快く受け入れてくれたことで、不安な気持ちは一瞬でなくなりました。育休取得中の1か月間は何の心配もせず、子育てに専念できましたね。

ー周りの方に恵まれていたのですね。実際に希望されていた人事へ異動してみて、いかがですか?

描いていた通り、難易度が高く幅広いことに挑戦できる環境でした。私が今いるチームは自律的な方が多いので、お互いに上手く補い合って仕事をすることができています。そのおかげで私も自分の業務に集中でき、おかげさまで社会人3年目にMVPを取ることもできました!

ー子育てと仕事を両立しつつ、目に見える成果も出ているなんて素晴らしいです!今後チャレンジしたいことがあれば教えてください。

あまり先のことは考えないようにしていますが、人事ではまだまだいろんな筋肉が鍛えられる感覚があるので、少なくともあと2~3年くらいは人事として働いていると思います。

新卒採用の仕事は、3年後の企業のあり方を決められることが醍醐味だと思ってるので、3年後、5年後に「もともと構想してた姿より先に進んでるね」という状態を作りたいです。

ーお話を伺っていて、様々な局面で壁を乗り越えてきた増田さんの姿がとても印象的でした。今後のご活躍を心から応援しています!本日はありがとうございました。

取材者:高尾 有沙(Twitter/note
執筆者:Moriharu(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter