人との出会いを活かし、我が道を切り拓く! 福田 雄基のこれまでとこれからの夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第236回目となる今回のゲストは、株式会社D-STRONG代表の福田 雄基さんです。大学卒業後に六本木で1年間のパーソナルトレーナーを経て、起業をした福田さん。
そんな福田さんが今の仕事に行き着いた理由を学生時代の数々の経験から紐解いていきます。

父親との関係に悩んだ幼少期

ー簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社D-STRONGの福田 雄基です。スリーサイズは上から110-80-95となっています(笑)

ー株式会社D-STRONGの事業内容を教えてください。

インフルエンサーを活用したり、TwitterやInstagramなど所有しているスキームを活かして、クライアントの予算に合わせた新商品の認知・拡散およびプロモーションを行っています。また、プロテインをはじめとする筋肉マンが付けていたらかっこいいと思う商品をPRするイベントや筋肉自慢な人を集めたイベントを全国各地で企画しています。

ー主催しているイベントは、筋肉の良さを伝えることが目的なのでしょうか。

5tトラックを何秒で押せるか、モンスターボックスを何段とべるのか、重いボールを後ろに何メートル投げられるのかといった、普段スポーツジムではできないような種目をイベント内でやるため、普段から筋トレしている人で成果を発揮したい人が多く集まります。大人になって本気でスポーツをしたり、大会に出ることはプロスポーツ選手以外あまりないと思うので、リピーターが多くいるのだと実感してます。

ーここから過去のお話を聞いていきます。どんな幼少期を過ごしていましたか。

小さい頃から野球をしていて、高校生になってもプロ野球選手を目指して野球をしていました。
ただ、中学生の時から父親に野球の成績に文句を言われ続け、喧嘩をすることもありました。

一生懸命に野球に取り組んでいて結果が出ない現場にイライラしているにもかかわらず、野球をやったことのない父親から文句を言われたとき、「お前みたいなサラリーマンにはならない」と言ってしまいました。今だから「言ってしまった」と言えますが、当時は悪気は一切ありませんでした。

父親も殴りかかってきたのですが、高校入学後に肉体改造したことで25kg体重が増え、最大の筋肉量になっていたこともあり、一発で父親を倒してしまいました。父親も一発で倒されたことがなかったので、エスカレートして本気になっていました。母親が止めに入ったものの、それでも「こいつは俺が死んでもぶっ飛ばさないと気が済まない」と父が話していたものの、このままだと父親を倒してしまうと思い、防御だけに徹しました。今思えば、「サラリーマンなんて負け組だ」と話していたので、相当親不孝でしたね。

ー当時は、プロ野球選手に本気でなりたいと思っていましたか。

野球を小学校2年生で初めて、ジャイアンツが好きになって、松井秀喜という憧れの選手がいて、野球以外の選択肢がわかりませんでした。

私は、高校三年生の最後の夏の大会前に靭帯をきる経験をしました。このまま手術して最後の夏に出場しないか、痛み止めをして最後の大会に出るのかとなったとき、甲子園に出たいという思いが勝り、痛み止めをして試合に臨みました。結果的に埼玉大会で準決勝で負けてしまいましたが、甲子園があるから野球を頑張れたと思います。ただ、野球以外の選択肢がなかったので、当時自分が見ていた世界は狭かったのだと、今は感じます。

親のありがたみを感じる

ーそこから大学に入学すると思いますが、どのように選ばれましたか。

私は体育が得意で、運動神経に自信があったので、自分の能力を伸ばすには日本体育大学(以下、日体大)しかないと思っていました。また、教員免許を取得して、将来自分が行けなかった甲子園に教師として行けたらと考え、受験しました。

ー実際に日体大に入学してからはいかがでしたか。

20歳になって、このまま日体大の人たちと一緒にいても、この先の人生がないと突然思うようになりました。実は、私は体育の大学に行くことを父親に猛反対されていたのですが、当時は、全部一人でやるからと話し、半ば家を出ていく形で大学生活を始めたので、奨学金を得ながらアルバイトをして、学費を払っていました。そのため、他の人とは違って、自分で働いて生活するしかなかったので、真面目に大学生活を過ごしていない人たちと遊びにいくことにお金を使いたくありませんでした。

周りの友人は遊ぶためのお金を稼ぐためにバイトをしていましたが、私は明日を生きるためにバイトをしていたので、深夜帯のバイトを選んだりスキルを身につけることで、少しでも高い時給になるように努力していました。

ーそうして稼いだお金でいざこざがあった両親に親孝行をしたそうですね。

勢いで家を出て行ったので、1人で生きることがこんなにも大変なのかという状態に陥りました。そこで、両親のありがたみを感じ、このままではいけないと思い、両親に横浜のディナークルーズの宿泊チケットをプレゼントすることにしました。

宿泊チケットを購入するのに10万円かかることが分かっていたので、1ヶ月1万円ずつお金を貯め、わたしの20歳の誕生日に両親へ宿泊チケットをプレゼントしました。

―両親はどんな反応でしたか。

 野球の試合が2日連続であると嘘をついて、日程を開けてもらいました。そして、試合はないけどもこれで楽しんで欲しいと伝え、ディナークルーズのチケットを渡しました。
当日、母親からご飯やホテルの写真を送られてきたので、喜んでいる様子が見れて良かったです。

自分から行動!六本木を中心に人脈づくり

ーその後の大学生活はどう過ごしたのでしょうか。

私が大学に入学して、アイドルの握手会に通っていたところ、ファンの中で体育会系の男性がいなかったからか、某アイドルグループを運営しているゼネラルマネージャーの方に顔と名前を覚えてもらいました。

そこから連絡先を交換し、将来したいことを尋ねられたときに「自分で野球の仕事をしたいと思っています」と返答した際に、自分のやりたいことで会社を立ち上げて生計立てられるようにした方が良いとアドバイスをいただきました。

そして、事業の立ち上げ方法などを教えていただく代わりに筋トレを教える形で、経営者の方から起業家の発想や考え方・価値観を学びました。その結果、大学3.4年生のときは、同級生とはほぼ遊ばずに、バイトをしながら経営者の方にご飯を連れて行っていただきました。そして、どうすれば経営者の人たちに可愛がってもらえるかを考えながら、六本木を中心に人脈づくりに努めました。

今までは労働することでしかお金を稼げないと思い込んでいたため、労働収入以外のお金の稼ぎ方を学んだり、今まで知らなかったジャンルに触れた経験によって、世界が変わりました。 

―自ら行動されているのが大きいですね。

「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、聞くよりも自分でみた方が確実ですし、一番の経験になるので、今でも続けています。

―大学を卒業して、起業するまでの間は何をしていたのでしょうか。

就職活動をしていなかったので、大学時代と同様に六本木で人脈づくりを1年間していました。パーソナルトレーナーでお金をもらいながら経営学を教えてもらい、筋トレを教えるという生活だったので、得しかしていませんでした。

ブラジルでの子供たちが価値観を変えた

 ―実際に起業をして、どういった事業を行い始めましたか。

私が研究していた、体の軸回転を測定するシステムを野球など様々な部活動に売り込み、バットのスイングやピッチングフォームの解析などで活用していただきました。学校や部活動に貸し出していたので、学校などに足を運んで測定を行い、毎月1万円のシステム利用料をもらっていました。

ただ、契約があったところがコロナの影響で測定できなくなり、契約を切って欲しいというお話が相次ぎ、ほとんど中止になりました。

―システム販売をする中で、ブラジルに行かれたそうですね。

スポーツの会社を立ち上げていたので、東京五輪でお金を稼ごうという考えがありました。そこで、外国の人がどんなものが好きなのかを知るために、2016年のリオ五輪の視察をしました。

「4年後に日本でオリンピックを開催するので、日本に来てね」というアピールも込めて、法被の格好をしてお祭り男になり、ブラジルの街中や会場近くでうまい棒を300本配り続けました。

最初は、何味のうまい棒が人気かというビジネスのことを考えていました。しかし、リオ五輪の会場近くを子供たちが裸足で歩いている光景を見て、日本ではありえないと思いました。
日本では裸足で街中を歩くことはありえないのに、なぜブラジルの有名な観光地周辺で裸足で歩いている子供たちがいるのか理解できませんでしたが、それと同時に、ブラジルのことを知りたくなりました。

現地の日系人がブラジルでも野球をやる人が多いことを教えてくれました。
しかし、グローブが現地にないので、アメリカから取り寄せるしかないものの、関税が100%かかるため、グローブ1個が10万円くらいすると話していました。

 ブラジル人の平均月収が5万〜6万なので、野球はお金持ちができるスポーツだといいます。サッカーはボール一個あればできますが、お金がなかったり、グローブを買えるお金を持っていない子は野球ができないことを教えてもらいました。そこで、自分のこれまでの人脈を生かして、グローブをブラジルに持ってくると現地の方に伝え、私は半年後に野球道具を持って、ブラジルを再訪しました。

日本人は約束事守りますが、海外の人は約束事を必ずしも守るわけではないと思います。そのため、現地の日系人も「口だけだろう」と思っていたようで、実際にブラジルに来たことに驚き、ブラジルの野球連盟の会長を紹介してくれました。
日本にいれば少し頑張ればグローブは買えるけど、買いたくても買えない子供たちがブラジルにいるならば私が全部持ってくると伝え、そこから毎年続けています。

ーブラジルに行ったことで、価値観が変わりましたか。

価値観が大きく変わりました。
当たり前ではない光景を見たので、僕の中ではブラジルの基準が世界基準です。日本はとても恵まれているのに、その事実に気づかないことは損ですね。ブラジルのボランティアは自分のためにやっていて、毎年行けば行くほど、価値観をもう一度再認識できるんです。

日本の野球で見えた世界が狭く、そこで得た価値観を日本の基準と考えてしまいますが、
日本はトップクラスで裕福な国だということを25歳で分かったので、価値観の違いを感じています。

自分がやりたいことを選ぶ

 ―ブラジルに足を運び続ける中で、その後はどんなことがありましたか。

25歳で価値観が変わり、事業内容も大きく変えて、勢いよくビジネスを加速させていきました。そうすると、一緒に仕事がしたいという人が現れるのですが、事業が波に乗ってきたタイミングで近寄ってくる人は、自分を利用したかったのだろうと思います。

売り上げたのにお金が入金されず、1000万くらい入金がありませんでした。
しかし、そんな状況でも私が仕事を振っているので、対価を払わないといけませんでした。
こうやって人は裏切られるのだ、裏切ってくるのだと人間不信になったのが27歳。今思えば、麻布に住むなど少し調子に乗っていたので、足元を見れていなかったのだと思います。

その経験があるので、今は調子に乗らないことを決めていますし、自分が軸を握れるかどうかを見極めながらやっています。
お金を失ってどうしようかと思っていたとき、自分に残っていたのが筋肉だったので、この筋肉を商売道具にしてもう一度最初から頑張ろうと思えました。

―「筋肉」が自身のワードとして切り離せないと思いますが、プライベートでベンチプレス200kgやっている理由をお聞きしたいです。

自分の栄光を話したがる人は多いと思いますが、今誇れるものは何なのかと問いたいですし、過去のことではなく、現在と未来のことを話したいんです。そのため、今誇れるものが何か考えたとき、毎年ベンチプレスの記録が伸び続けていることでした。

週2回筋トレをする中で楽しくなり、どこまで進化できるのだろうと思いました。
ベンチプレス100kgでも凄いので、やめても良かったのですが、鍛え続けたことでさらに重い重量をあげることができました。継続が力になることは、筋トレが一番教えてくれました。

ベンチプレス200kgあげられる人は少ないので、周囲の人たちが自分のことを広めてくれることがあります。そういう人間になれば、自然と仕事は来るのだと思いました。
みんなができることは出来て当たり前だと考え、みんなが出来ないことが出来るから希少価値って上がるんですよね。

今後、誰でも出来る仕事は機械ができるようになるので、アナログでしかできない仕事ができるのは大きいと思います。機械に取って変わる仕事が今後増えていくので、機械に負けないためには自分でキャラを設定するしかなく、キャラをギャラ(報酬)にする方法を考えています。

 ー進学や起業、ブラジル訪問など常に行動されている福田さんは、何か選択を迫られた場面で大切にしていることはありますか。

誰しもが何かしらの選択をしながら生きていると思いますし、あの時こうしていなければ今がないと思う瞬間もあると思います。そのため、今こうしている瞬間も選択ですし、インタビューを受けたことも選択の1つです。

自分がしたいと思ったことをしていけば必ず正解に近づくと思います。
「どうすればいいですか?」という相談を受けますが、「自分がどうしたいのか」と話します。
どっちを選んでも後々には、正解になるんです。

目標がある中で、どんな選択を選んで目標に近づいていくかが大事なので、自分の人生は自分が好きなようにやればいいと思いながら、私は選択をしていました。そして、どれを選んでも失敗はなく、失敗は学びや経験になるので、成功か経験かだと思っています。 

限られた時間の中で、何をしたいかを大事にした方が良く、私はストレスがたまるのが嫌なので、どちらを選べば自由になれるかを考えて選択しています。ゲームには攻略本がありますが、人生の攻略本は自分で作るしかないので。

 ―今後のビジョンを教えてください。

ブラジルに会社を作るために今は頑張っています。
現地の原料を使用して、マッチョとチョコレートを掛け合わせた商品「マッチョコ」を作ろうと思っています。ちなみに、マッチョコという商標登録はしました(笑)

バレンタインデーに女性が男性に筋肉をつけて欲しいという意味を込めて、渡してもらえたら嬉しいですね。

ー人との出会いを活かしながら、人生を切り拓き続ける福田さんの今後のご活躍を期待しています!

取材者:中原 瑞彩(Twitter)
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙(Twitter