「すべてが人との縁から始まっている」 Amazake Lab.代表 山本茜がパッチワークキャリアの中で甘酒と出会うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第205回目となる今回のゲストは、合同会社Amazake Lab. 代表の山本茜さんです。

部活動や留学、バックパッカーでの旅行など、充実した大学生活を送られていた山本さん。ですが、就職活動時には、終身雇用に疑問を抱き、「東南アジア青年の船」に参加して自由なキャリア選択への想いを強めます。迷いながらも、内定していたメーカーへ就職。退職後は、複数の仕事を同時に手掛ける「パッチワークキャリア」を体現され、現在は合同会社Amazake Lab. の代表をされています。

様々な場所や人と関わりながらキャリアを築き上げてこられた山本さん。リモートワークなど働き方が大きく変わってきた昨今、いち早く新しい働き方を模索され、工夫されてきた山本さんのお話は必見です!

多様な価値観に触れた大学生活

―簡単に自己紹介をお願いします。

こうじあまざけの専門ブランド「Amazake Lab.」を今年の8月に立ち上げ、オンラインで9月から発売を始めました。大学卒業後は、新卒で京都のメーカーに就職をしました。メーカー退職後は、個人事業主として、ベンチャー企業などで様々な仕事を経験し、起業しました。

 ―山本さんはどんな大学生だったんでしょう?

大学時代は、フラメンコの部活動や、休学して留学に行ったり長期休みにバックパッカーで旅行に行ったりしていました。

せっかく大学に入ったので、変わったことをやりたいと思っていて、様々なサークルの新歓に行くなかで、フラメンコの歌や踊りを見せてくださった先輩の熱量に感動して、やってみようと決めました。

海外は10ヵ国くらい行きました。最初にバックパッカーとして旅行に行ったのが、タイとラオスで、最初から最後までひとりでリュックを担いで行った先がインドです。かなり世界観を壊されて、色々と強烈な思い出を体験することができました。

 ―凄い行動力! 昔から活動的だったんですか? 

高校までは狭い世界で生きていたと思います。海外も行ったことがなく、自分の枠を出たことがない高校生活でした。そういう世界に触れたのは大学に入ってからですね。ユニークな先輩が多く、在学期間を延ばしている方もいらっしゃって、個人個人ってもっと多様でもいいんだ、と思うようになりました。

 

腹落ちのしない向き合い方をしていた就職活動

 ―就職活動では、当時どんなことをお考えだったのでしょうか?

就職活動を本格的に考えるようになったきっかけが、1年間休学をして、アメリカに半年留学と旅をして帰ってきた3回生のタイミングでした。このまま就職先を決めていくことに違和感を覚えながらも、周りと同じように合同説明会に行き、なんとなく興味がある会社の話を聞き、普段から名前を聞くようなメーカーにエントリーをして、腹落ちのしないキャリアとの向き合い方をしていました。

ある会社の説明を聞いたときに、「何十年もずっと所属をする」という話に、ものすごくひっかかりを覚えたんです。お互いを知ったばかりの個人と組織なのに、なんで何十年もいるということを最初から決められるんだろう、というところが腑に落ちませんでした。面接では上辺だけの言葉をつくりつつ、内面はそうではないなと感じながら就職活動をやっていたので、ずれや矛盾が生じていたと思います。

 ―そのズレを解消できないまま、就活を続けてしまったんですね。

就職活動のダメなパターンをやっていたと思います。地元の会社や小さいころから名前を知っているという理由で会社を受けていました。当然、自分のやりたいことで選んでいないので、いくつかステップは進むんですけれど、最終面接に進んでいったときに落ちるんですよね。

今振り返ると、私は候補者のなかで「なんとなく残しておいてもいいけれど選びたいという人ではなかった」んだなと思います。 

 

東南アジアの青年たちとの関わりで変化していったキャリア観

 ―就職される前に「東南アジア青年の船」に参加されています。

就職活動が終わって、卒業する前のタイミングでした。ASEAN10ヵ国の青年と日本の青年が、一つの船で50日間ほど寝食をともにするという事業です。

バックパッカーでタイとラオスに初めていったこともあり、なんとなく東南アジアの人に親近感を持っていたんです。なので、10ヵ国の青年たちと濃いつながりができるのであれば、これは行くしかないと思い、ずっと応募したいと思っていました。50日間休みをとるとなると、休学するか大学と交渉するしかないのですが、一番授業が少なく、融通がききやすい4回生のタイミングを狙って、応募しました。

日本人は学生の方が多いのですが、海外の青年はギャップイヤーをつかって就職前に来ている方や転職のタイミングで来られている方がいて、彼らとテーマに沿ったディスカッションや自国の文化を紹介しあう活動を行っていました。

 ―事業に参加された前後でどんな変化がありましたか?

当時は、どこか有名なところや大きなところに就職を決めて、安定した社会人生活を送るのがいいのかなと思っていたんです。

でも、海外の青年はもっと仕事や人生設計について柔軟な考え方をもっている人が多く、キャリアアップをしたいから転職を決めて、その間にこの事業に参加している人もいたんです。休職をしたり、転職をしたりすることって、別にやってもいいんだ、という感覚を覚えました。

事業から戻ってきたのが2月末だったのですが、そのときに就職先を辞退しようか真剣に迷いました。ただ、その勇気がなかったのと、そこで就職をやめて何をしたいかということが全く定まっていなかったので、ご縁のある会社ということもあり、内定先だった京都本社のメーカーに就職をしました。

 ―迷いもある中で入った一社目での仕事は、どうでしたか?

仕事は面白かったですし、環境も良く、上司や先輩にもすごく恵まれていました。でも、入社当時から3年間を一つの区切りにしようという気持ちがあったので、3年経って次に進む道を変えたいと思うのであれば辞めようと思っていました。ちょうどシェアハウスの運営をする会社を立ち上げるから一緒にやらないかという声がかかったこともあり、退職をしました。

これから生活の保証のない働き方になるんだという不安はありました。ただ、もしここで辞めていなければ辞めるタイミングをどんどん失ってしまって、今ある人生とは全く違う人生を歩んでいたと思います。

 ―一社目を辞めてからは、個人事業主として様々な仕事をされています。一体どのように仕事を見つけているのでしょう?

今やっていることの全てといってもいいくらい、人とのご縁から始まっています。

会社員の時から、コワーキングスペースでのイベントや交流会によく顔を出していました。2017年4月から関わっている、梅田にあるコミュニティ・バー『Learning Bar』の立ち上げも、たまたま交流会で出会ったから人からつないでいただいたお話から始まっていますし、今の甘酒の会社もそこに集った4人で立ち上げることになったり。人との出会いなしでは今の自分はなかったと思います。

 ―個人事業主としてやっていこうと決めたのは、どうしてなんでしょう?

まず一つは、場所と時間に制約を受けたくなかったからです。月曜から金曜まで9時から17時半まで一つの場所に通う、というのがどうしてもダメだったんですね。今でこそ、リモートワークや在宅勤務などもできるようになりましたけど、当時はそんなことが全くできませんでした。

もう一つが、複数のことを一度に手がけたい、関わりたいと思ったからです。どこかに転職をするよりは、個人事業主で業務委託のような関わり方で色々なことを同時に進めたいと思っていました。

個人事業主になって初めに感じたのが、時間の使い方を全部自分で組んでいかなくてはいけないというところですね。仕事は、作り出せばいくらでも業務が出てきてしまうので、優先順位をつけないといけない。それぞれの仕事で関わっている方は、相手にとっては私一人なので、業務でなにかを依頼されたときに、他の業務があるから忙しいとか、そういうのが分からないわけですよね。レスポンスや提出が遅かったりすると信頼関係も壊れたりしかねないと思っていたので、優先順位の付け方と、いくつかいろんな仕事をしているという自分の状況をシェアしたりなど、気を配っていました。

高校生くらいまでは、周りに合わせることが正しいと思っていましたし、そういう風に過ごしていました。一方で、なんで周りが言っているからそうしないといけないんだろう、と思うこともあって、そういう自分を肯定してあげてもいいんだと気づけるようになったのが、大学以降ですね。特に社会人以降は、いろんな働き方や仕事をしている人たちと出会うようになってから、カテゴライズできないような働き方をしてもいいんじゃないかと思えるようになりました。

今しかできない選択が目の前にあれば、リスクを考えながらも、選んでいけるようにしたいと。その結果、今の自分があるんじゃないかなと思っています。

 

海外を向いてきたからこそ気づいた、甘酒との出会い

 ―山本さんが今特に力を入れているのが、甘酒のブランド立ち上げだそうです。

私は、これまで結構海外を向いてきましたし、今も、日本にずっといるのではなくて海外に出ていくライフスタイルに変えたりしたいとも思っています。

でも、日本の食生活って素晴らしいなということに気づかされるきっかけが、今年に入ってから何回かあったんです。日本の食の要になっているのはなにかというと発酵なんですね。いろんな「食」があるなかで、自分が一番びっくりしたのがこうじ甘酒だったんです。

古風なものと思っていたんですが、そうではなくて、砂糖が全く入っていないのにとても甘く、お洒落なドリンクやスイーツにもなるし、私の思っていたものと全然違うと気づかされました。同じように思っていた人の意識を変えて、身近に健康を取り入れることを提案したいと思い、甘酒のブランドを作ろうと決めました。

 ―当初はネガティブなイメージだったんですね。

 飲まず嫌いというか、見向きもしなかったですね(笑)

 ―お正月に神社や屋台で出していたりしますよね。

9割がたのイメージがそういう感じだと思うんですけれど、そうではないよと、常識を覆すことに挑戦したいと思っています。

甘酒は大きく分けると2種類あって、酒かすにお砂糖を加えてお水で溶いているものと、お米を発酵させてつくっているものがあります。発酵させてつくっているものはこうじあまざけと言って、飲みやすい甘いおかゆのイメージです。なので、小さいお子さんも飲めますし、甘味料やお砂糖替わりとして、シェイクを作るときに入れてもらったり、いろんな使い方ができる食品、という感じです。

ただ、そのままだとお米っぽさに抵抗がある人もいたりするので、抹茶やレモンのフレーバーをつけたタイプやお料理向けの新商品を12月に発売したところで、甘酒の世界をもっと広げたいと思っています。

 ―ローマ字で、「amazake」と書いてあるだけでもだいぶ印象が変わりますね。

 

「人とのつながりを残していく」キャリアへの活かし方

―人のつながりをキャリアにつなげてきた山本さん。その極意を教えてください! 

薄いつながりから、すぐではなく半年後、1年後に発展することが多かったなという感覚があります。
仕事が忙しい時期であっても、時々全く新しい人に触れる場に顔を出したり、信頼できる人に誘われた場所には出来るだけ行ってみたりと意識していました。フェイスブックを交換するくらいでもいいんですけれど、その後何かにつながる可能性があるので、あまり期待をしすぎず、でもなんとなく期待をして、つながりを残していっているというのはあります。

いま、こういうことをしていますとか、こういうことを考えていますというのを、SNSで発信したり、周りに口に出していくと、自然と前に進む力になっていただける方が現れることがあると思います。

 ―多拠点生活やご自分でライフデザインをできるような働き方を選ばれてから、この生き方を選んでよかったと思うことはありますか?

一つのコミュニティや一つの場所だけにいたときに比べると、格段に出会う人や情報の数、幅が増えたと思います。良くも悪くも、全部自分でコントロールをしないといけない部分もあるのですが、私自身は土の人や風の人という分け方でいうと風のタイプなので、移動して新しいものに触れたほうが、アイディアが湧いたり、刺激を受けたりと、プラスに転じることが多いと思っています。

 ―今後は、どんなことをされていこうとお考えですか? 

今は、甘酒の事業を中心にやっていますが、今後は海外展開や、甘酒だけではなく幅を広げた事業展開もしたいなと、3年、5年の構想で考えているところです。

とはいえ、まずは甘酒の概念を変えることに注力したいです。特に若い人たちに、発酵食品って身近だよね、とか、美味しいし体にもいいよね、と知ってもらえたらと思っています。取っ付きにくいなという方に向けて、保存版レシピと、飽きずに楽しく継続できる「あまざけ生活ログ」シートを付けた、こうじあまざけ生活2週間セットを発売中です!最初の切り口として一回試してもらえるとうれしいです。

―本日はありがとうございました!山本さんのこれからを応援しています!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:小林菜々
編集:杉山大樹(Facebook/note
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter