色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、「株式会社Beyond Cafe」の創業を経て「株式会社MiL」を新たに創業するなど、様々な事業や起業を創ってきた杉岡侑也(すぎおか・ゆうや)さんです!
高校卒業後は5年間ほどフリーター生活をしていた杉岡さんが、「FORBES ASIA 世界を変えるアジアのUNDER 30」に選出されるほど注目の青年実業家になれたのか…?彼のこれまでの人生に迫ります。
不登校→高卒フリーターに。何かに飢えている状態だった20歳
ーこれまで様々な事業を立ち上げている杉岡さん。起業に至る前の原体験はどんな出来事がありましたか?
僕の原体験として残っているのは、高校生の時に不登校になったことですかね。不登校になるキッカケは人によって様々だと思うのですが、僕の場合は高校2年の時の海外留学です。
留学先で世界中の16歳に出会い、あまりにも多様で自由な生き方に触れてしまったんです。「自分はなんて決められたレールの上で生きてきたんだろう」と気づきました。
日本に帰国後は何もかもがモノクロに見えてしまい、「大学に行くのが本当に当然か?果たしてこのままの生き方で良いのか?」と、自分が本当にやりたいことも見つからず、学校に行きたいとも勉強したいとも思わなくなってしまいました。
一応受験をしたのですが、どこかうわの空で受験にも身が入らなかったです。結果、23歳で社会人になるまで大学も行かずにフリーターとして5年間過ごしました。
ー今の姿からは想像できないですね。その5年間はどんな期間でしたか?
18歳から20歳くらいの2〜3年は、びっくりするほど変化がない日常を過ごしました。本当に笑っちゃうほど何の進歩もなかったです。
当時の友人や仲間には支えてもらったりして本当に感謝しているし、今でもビジネスで繋がっている仲間もいるので面白いです。周囲からも「人ってこんなに変わるんだ」と思われているかもしれません。
ー20歳頃には、どのような変化があったのでしょうか?
当時、東京で流行っていた”インターンシップ”が関西の企業でも流行りはじめていました。幸いにも僕の高校の同級生たちが大学生の就活支援活動をしていたり、積極的にインターンに参加していたので色々な情報を仕入れることができました。
同世代の優秀な大学生がスーツを着て会社に入り、インターンをしている。一方僕はフリーターでアルバイトをしている。このギャップを埋めたい・何かに挑戦したい!と思っていました。その後、特例でとある企業にインターンとして受け入れていただきました。これが大きなキッカケでした。
ー大学生に混ざってインターンに挑戦したかったモチベーションはどこから?
当時の僕は自分を変えたいと思っていたし、何かに飢えていた…とは思いますね。
インターンとして入ってみて、今では思い出したくないほど恥ずかしい経験もしました。厳しい環境でしたし、理不尽だと思うことをやったり…本当に色々ありましたね。そんな環境でも約2年ほど自分より遥かに高学歴な方々と一緒に必死になって働いていました。
ー多くの同期がすぐ辞めていく中で、そのインターンを2年も続けられた理由は?
エネルギーの源泉といいますか、”心のエンジン”って何事にも変えられないパワーの源だと思うんです。僕の場合、心のエンジンは仲間の存在でした!
1人では頑張ろうと思う気力が折れてしまうこともあるかもしれないけど、似たような志を持つ仲間が集まり、支え合い、刺激しあっていると折れにくくなっていきます。
想いやエネルギーさえあれば何でもできる。それを叶えるためには、自分と同じ志を持つ仲間と出会うこと・その出会いを作るために行動することが重要なのではと気づいたのです。
僕の場合は、単に仲間に出会えたから良かったのではなく、こういった仲間に数多く出会うために行動をしていくことで自己成長ができると気づけたことが大きかったです。
はじめての就職、そして起業。「Beyond Cafe」創業の背景とは
ー20代で拠点を関西から東京に変えていますよね。上京のキッカケは?
仲間の影響ですね。有名大学から東京の有名企業へ就職していく友人が多かったので、それを見て「就職活動しよう!」と僕も東京進出を目指していました。
しかし、新卒が登録するような就活サイトは”大卒”でないとそもそも会員登録ができなかったものが多かったんです。そのため、会員登録が不要なものや参加できるイベントになんとかたどり着き、そこで出会った1つの会社に入社を決めました。
ー1社目はどんな企業でしたか?
社長が非常に市場の流れを読む能力がある人で、その先見性と義理人情に厚い部分に惹かれて決めました。FinTech領域の事業をしており、学歴も経験もない自分はそういった次世代を担うような仕事をしてみたい!と思ってワクワクしながら入社しました。
ですが、在籍は1年ちょっとです。退職のキッカケは採用活動でした。
当時はまだ約50名ほどの社員しかいなかったので、全員採用を行っていたんです。そこでたまたま出会った学生が、働くことを「めんどくさい」と捉えるなど、非常に後ろ向きなイメージを持っていることを知りました。
高卒の僕はこんなにも働くことや何かに挑戦することに飢えていて苦しかったのに…優秀な大学に入った優秀な方々でも、モチベーションが持てないとこんな風になってしまうのかとショックを受けました。
そんな風に投げやりに人生を過ごしてしまう学生を変えたい。これからは面接のサポートでもなく就活の支援でもなく、若い人たちが「やりたい!」というキッカケをたくさん作れる環境が必要なんだ…と考えました。それからすぐ退職を決意しました。
ーその時点で転職ではなくなぜ起業を考えたのでしょう?
1社目の社長は、高卒5年間フリーターだった僕を拾って育ててくれました。「学歴なんて関係ないよ。」と言ってくれた人でした。そんな会社を1年でやめるからには、ちゃんとケジメを付けないといけないと考えていました。社長や会社への恩も感じていたので、やるなら起業。失敗しても成功するにしても”起業一択”でしたね!
1年という短い在職期間でしたが、人の人生に向き合う分野で生きていくんだという、やりたいことに出会えました。当時の会社の皆さんは僕の結婚式に来てくれたり、今でも繋がりがあります。本当に感謝しています。
ーそんなストーリーがあったのですね。起業後は順調に行きましたか?
それが、実は不幸のはじまりでした。
かつてインターンを一緒にやっていた友人とろくに勉強も何もしないまま起業してしまったんです。資本金もなく2株10万円を先輩に借りてのスタートでした。
結局、経営の方向性やスタイルの違いを互いに譲れず、半年で分裂してしまいました。抱えた借金も半分にして、キレイに解散しましたね。でもこの経験は無駄ではなかったです!濃い時間は過ごせました。
この起業で一番学んだことは、自分を信じられなくなったら終わりなんだということでした。オフィスも仕事も金もなくなったのですが、「自分なら何とかできる」と諦めずに自分を信じることができたので、そこでくじけずやっていけたと思っています。
そんな当時の僕を、ただ応援したり期待してくれた先輩たちがチャンスをくれました。少しずつ手伝える仕事をくれた先輩達に支えられ、なんとか生き延びて来ました。
ーすごい!そこから「株式会社Beyond Cafe」に行き着いたキッカケは?
1社目を辞めた時から、「若者にやりたいことを見つけてほしい」という想いは変わらなかったんですね。ですが起業当初はその想いをどう実現するのか道筋が分からなかった。でもその下積み時代を経て次第にやり方が分かってきたので、その結果が「株式会社Beyond Cafe」になりました。創業は、25歳の時でした。
Cafe形式にしたのは、僕自身が人との出会いに恵まれ、生き方が変わった経験が元になっています。何万人もの人に何かを届けたい!というよりは、まずは自分や自分の仲間を通して、1人でもいいから目の前の人の変化を見たいと思ったからです。
創業時は、まだ場所や物件も決まってないような事業計画を見せたらニトリの会長が200万円分の家具をくれました。また、ライザップの社長や当時のエイベックスの松浦さん等がただ僕に期待してサービスを利用してくれました。その支えがあったから今の自分がいます。
ーすごいメンバーとの繋がりがあるんですね!
全て人のご縁・紹介で繋がっていくことができました。僕の起業の目的がお金稼ぎじゃなかったので、そういった僕のピュアな部分に共感し、もしかしたら純粋に応援してくれたのかなと思います!
ーそこから3年…事業を伸ばして来れた杉岡さんが、大変だったことは?
やっぱり、お金に悩みました。
Beyond Cafeもその後の事業も、銀行の融資以外自分たちのキャッシュフローと戦って来ました。Beyond Cafeの3年間は、最初から物件費用がかかってしまいましたし、売上がない時は僕の給料も出せないほどでした。
当時付き合ってた彼女(現在の奥様)は、そんな僕の生活費を全て出して支えてくれました。今でも本当に頭が上がらないです。
夫婦で新しい分野にチャレンジ!大切なのは「自分ならできる」という自信
ーその後「株式会社MiL」の代表に。順調に伸びていた会社を離れた理由は?
株式会社Beyond Cafeを創業して約2年が経ち、2018年には中小企業支援、非大卒者のキャリア支援を行う株式会社ZERO TALENTを創業しました。
ですが、27歳になった時、ふと今後の人生どうありたいかを考えました。何者かになりたかった20代前半は苦しかった。20代中盤に自分のやりたいこと、エネルギーを注げるもの、仲間にも出会えた。そして20代後半はもっと自分の思い描いた世界に行きたいと悩みはじめました。
Beyond CafeもZERO TALENTも登録数も増えているし伸びていましたが、今後人材業界のみに事業を絞っているともっと広い世界は見れないと考え、後任に託して食や健康の分野に妻とシフトしました。
ー「株式会社MiL」はどのような取り組みをしているのでしょうか?
ヘルスケア創作料理レストラン「倭 西麻布」の経営と、ヘルシーでエシカルな食品ブランド 「the kindest」の事業をやっています。
我々が提供する食品は全て、調味料や添加物などを使わず、子どもに食品の本来の味を感じてもらおうというコンセプトで事業をやっています。
ベビーフード事業をリリースして1年が経過し、現在は離乳食に加え、おやつ分野もリリースしました! 「the kindest」は毎月定額制の販売スタイルをしています。非常にありがたいことに、約9割のお客さまが継続して利用してくださっています!
ーこれまで人材ビジネスがメインだったところから、なぜベビーフードのD2Cに参入を?
ベビーフード事業にも、D2Cにもこだわりがあった訳ではなく、これまで人材ビジネスに関わってきたことから「人」に興味があったんです。
そこで、人がより豊かに生きられるようになるにはどうすればいいか?長期的に活躍できる人材とは?と深く考えた際に、「心身ともに健康であること」が多くの課題にも結びついていると気づきました。
健康に関する課題は誰にでも起こりうる問題です。この課題に取り組みたい!サポートしたい!と考えた際に、ヘルスケア・Wellbeingという言葉が出てきました。健康をビジネスで支えるものも、睡眠・運動・食だと思っていたのでその中から食を選びました。
でも、自分自身ですら食習慣などの日常生活を変えるのは難しいと感じますね。習慣を変えるサポートは、めちゃくちゃハードルが高いビジネスです。そんな人でも、唯一と言っていいほど、能動的に・自主的に習慣を変えるタイミングが人生で2回あります。
それは病気になった時など何か”死”を意識した瞬間です。もう1回はお子さんが生まれた時。子どものために何かしたい、健康でいたいというポジティブなエネルギーって誰しも持っているのではないかと考えました。
子どもの健康分野にエネルギーを注げば、家族全員の健康も支えることができるのでは…と考え、子どもの初めての食事=離乳食の事業をやろう!となったんですね。現在、僕は子どもはいないですが、上記の理由から事業を立ち上げました。
ー下積み時代を支え、今では事業のパートナーでもある奥様との出会いは?
5年ほど前にBeyond Cafeを立ち上げる前、一番人生のキツイ時期に出会いました。何も文句を言わずに、僕を支えてくれました。もともとハンディキャップを持つ子どもの保育・介護の分野をやっていたのですが、その体験から今の事業に繋がっていき、一緒にやることにしました。
家でも仕事でも一緒なので、本当にずっと一緒にいるのですが衝突やギスギス感は本当にないです。一緒に妻とやってよかったです!夫婦で事業パートナーになるのは、個人的にはおすすめです。
ー良い関係性なんですね。現在の事業で心がけていることは?
自分のスキルを過信するのではなく、「自分ならやれる」というマインドやスタンスを信じることですね。
MiLには18人の株主さんがいるのですが、サッカー日本代表の長友佑都選手もその1人なんです!彼は日本代表になっても自分のスキルを過信せず、むしろ「サッカーの技術はまだまだ」と言うほど。ただ「俺はやれる」というマインドが強くある。それに非常に近しい感覚です。
ー人との繋がりやご縁を大事にしている杉岡さんが、良い循環を生み出すため意識していることは?
当たり前のことかもしれないですが「相手が何を求めているのか」ということを把握して自分が叶えてあげることです。
何かをもらうことを求めすぎない。自分にもギブできることがないか?を考えています。どうやったら、その人へのステークホルダーになれるかどうかを意識していました。
どのような人でも、それぞれ悩みやニーズを持っています。その中に自分にも叶えられるものがないか?を意識して動いてみると、好循環を生みだせるのではないでしょうか。
ー今後、実現したいことやビジョンを教えて下さい!
人の人生が豊かになるために何が必要なのか?そういったテーマに取り組んでいますが面白いです。今は心身ともに健康な人生を、食を通して実現したいという事業をやっており、あと5年〜10年は挑戦してみたいです。
今後はベビーフードや幼児食のみではなく、妊活中の方やマタニティの方々など様々なライフスタイルに合ったものを提供していきたいです。そして人の健康のインフラになれるようなブランドを作っていきたいですね。
ーこれからも杉岡夫妻と、MiLの取り組みから目が離せません!ありがとうございました!
取材:西村創一朗
写真:杉岡さん提供
デザイン:五十嵐有沙
文:Moe