様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第280回目のゲストは、モデルやライバーをしながら、「やんやん」のメンバーとして地元和歌山をPRする前嶋萌(まえしま もえ)さんです。
現役女子大生でありながら、多岐にわたって活躍される前嶋さん。モデル活動などを行なう前は地元和歌山の名産をPRする「有田(ありだ)みかん大使」として東京と和歌山を往復しながらアクティブに活動されていました。そんなバイタリティ溢れる前嶋さんにも知られざる一面が。素敵な笑顔の裏に隠された前嶋さんの本質に迫ります!
寂しさを振り切り、憧れの東京へ
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
津田塾大学学芸学部英語英文学科3年の前嶋萌です。趣味はダンスで、ダンスサークルに入っています。
学外ではモデルをしたり、和歌山活性化プロジェクトの「やんやん」という団体に所属してライターをしたり、YouTubeに出演したりもしています。
「やんやん」のインスタグラムでは和歌山の映えスポットや地元民だからこそ知っている観光スポットを紹介しています。
ー大学進学で上京されたようですが、ずっと東京に行きたいと思っていたのですか?
はい。ずっと思っていました。和歌山から出ている人が身内に誰もいなかったこともあり、都会に興味があったんです。
和歌山にいるときからファッションやメイクは好きだったのですが、欲しい服や小物が全然売っていなくて。流行の最先端に行きたいという思いを持ち、東京の大学への進学を考えていました。
ー大学進学の際、周りからの反応はどのようなものだったのでしょう?
親からは「お願いだから関西にいてくれ」と言われましたね。滅多に帰って来られなくなるのではないかと。
強い思いをもって進学を決めたのですが、いざ上京するときには寂しくて泣いてしまいました……。両親と家具を選んでいるときもずっと泣いていましたね。
ー1人きりでの上京は心細いですよね……。大学では英語系を専攻されたようですが、英語には昔から興味があったのですか?
小学生の頃から英語がすごく好きでした。
英会話に通ったり、自分で図書館で本を借りて勉強したりしていましたね。学校に留学生が来たら真っ先に話しかけるくらい好きで。「将来は外資系の企業に勤めたい」と思って英語が学べる大学を選びました。
ー部活動などは何かされていたのでしょうか?
中学、高校と新体操をやっていました。小学生の頃から器械体操をやっていて、その延長で中学も続けました。練習はハードでしたね。平日授業が終わってから練習があって。土日はだいたい1日練習でした。月曜だけが唯一の休みで嬉しかったのを覚えています。
ー部活漬けだったのですね。その後、大学に入ってからはどのように過ごされていましたか?
大学1年生のときはずっとサークルにコミットしていました。野球サークルのマネージャーをしていて。ほぼ野球をしないサークルだったのですが、友達や先輩に東京観光に付き合ってもらったりして、遊びを満喫していました。
地元和歌山の「有田みかん大使」就任へ
ーその後、「有田みかん大使」に就任されたようですが、どのような経緯があったのでしょうか?
このまま学生生活を送っていても、就活で何もアピールすることがないと焦りました。何かやらなければという思いの中、ネットを見ていたらオーディション一覧サイトにたどり着いて。地元和歌山の「有田みかん大使」の募集があったんです。迷わず応募しました。
ー具体的にはどのような活動をされるのですか?
和歌山の名産である有田みかんを全国の人に好きになってもらうために活動しています。
私たちの代ではテレビやラジオに出て、関西組5人、関東組2人で活動していました。関西組は関西のスーパーで、関東組は東京横浜のスーパーを中心にみかんのPRをしたり。
海外の人にも知ってもらうために、シンガポールまで行ってPR活動を行なったこともあります。
ー有田みかん大使を卒業してからはどのような活動をされていますか?
有田みかん大使になってからは、自分でもPRをしていく必要があり、有田みかん大使専用のアカウントを作って自分の写真やみかんの写真をあげたりしていました。
「#PR大使」とつけて投稿すると、スカウトの方から「うちでモデルをやりませんか?」とDMでお声がけいただいて。みかん大使を卒業してからはモデルのお仕事もしています。
幅広い活躍、支えとなった母と友達の存在
ーモデルのお仕事は具体的にどのような内容なのでしょうか?
メインは被写体モデルです。カメラマンさんと屋外のスポットを見つけながら撮影します。依頼があればサロンモデルやアパレルモデルもしています。
ー幅広く活動されているのですね!それだけ活動されていると大学生活との両立は大変ですよね。
そうですね。一時期は和歌山と東京を1週間に1回のペースで往復していました。
テストを受けた後に仕事があって1時間しか寝られないときもありましたね。
ーそのような状況で、前嶋さんの支えとなったものは何だったのでしょうか?
2つあります。1つ目は和歌山で作ってもらう母のご飯。他のメンバーはホテルに泊まるけれど、母の手料理が食べたくて必ず実家に帰りました。
2つ目は学校の友達です。テスト範囲を後から教えてくれたり、常に頑張れと声をかけて応援してくれたりしていたので、やりきることができました。
アナウンサーを志すも、挫折を味わう
ーその後は就活の時期に入るかと思いますが、どのような就活をされていたのですか?
有田みかん大使の活動を通して「伝えること」を経験してから、大勢の人に何かを伝えたりテレビに出たりする仕事って楽しいなと思い、アナウンサーを志しました。
有田みかん大使の活動と並行しながら、2年生の11月ぐらいからアナウンススクールに通っていましたね。
ーアナウンサーはどのようなステップで選考が進むのでしょうか?
私は全然進めなかったのですが、一般企業と同じでエントリーシートを出して面接まで進みます。
エントリーシートは、一般企業とは異なりほぼ白紙で渡されるんです。文字数も決まっていなくて。自分で色ペンを使って絵を描いたり、写真を貼ったりして作り上げました。プロのカメラマンに写真を撮影してもらい、自分のキャッチフレーズを書いたりもしましたね。
私は、「ソーシャルディスタンス?いいえ!心の距離はゼロ!」というキャッチフレーズを使っていました。コロナ真っ只中のときに就活をしていたので、私の話しやすさや親近感を感じてもらいたいという思いがありましたね。
エントリーシートが山ほど送られる中で、「目立つには写真が大事だ」と耳にタコができるほど聞かされました。自分が一番綺麗に見える奇跡の1枚を見つけろと言われましたね。
ーその後、アナウンサーから別の道はどのようにして選ばれたのですか?
アナウンサー就活を終えてからは、テレビの裏方の試験を受けようと考えました。エンタメ業界には関わりたいと思っていて。
モデルの仕事をさせてもらう中で、「若いうちから満足いく仕事がしたい」という思いが強くなっていったんです。芸能事務所のマネージャーなどになって輝いている人をサポートしながら自分も副業でモデルが続けられればと思っています。
和歌山への熱い思いを世界へ
ーしっかりと今後の展望があるのですね!話は少し変わりますが、「やんやん」の活動についてもくわしく教えていただいてもよろしいですか?
「やんやん」はグループ名で、和歌山の方言が由来です。標準語の「〜できないじゃん」のことを「〜できやんやん」と和歌山弁で表現するので、そこからきています。
「やんやん」のメンバーは17人いて、表に出ているのは5人ですね。裏方のメンバーは動画の編集をしてくれたり、記事のネタを集めてくれたりしています。活動期間は2年ほどですね。
ーどのような経緯でメンバーは集まったのですか?
代表のノリと勢いですね。代表の人脈が広くて。人を集める天才なので、代表の声かけでどんどんメンバーが集まっていった感じですね。
ー東京にいながら、前嶋さんがそこまで和歌山に熱い思いを抱くのには何か理由があるのでしょうか?
代表とも話していたことなのですが、東京に来て「和歌山出身です」と言っても、「和歌山ってどこ?」と言われることが多くて。
和歌山出身だということを恥ずかしいと思う自分が嫌だと感じたんです。和歌山にはいいところがたくさんあるのに知られていないのが悔しくて。そこから自分たちが前に出て発信したいと思うようになりました。
ーお話を伺う中で、前嶋さんはフットワークがとても軽いと思ったのですが、その秘訣は何かありますか?
幼い頃から両親が私のやりたいことを応援してくれていたので、自分のやりたいと思うことには自然と足が動いてしまうんです。
「やりたいことは考えるより先にやろう」というモットーで行動しています。
ー今後の活動の展望などはありますか?
「やんやん」のインスタグラムを運用し始めて半年ぐらいなのですが、現在フォロワーが1400人ほどです。和歌山や関西の方には浸透している実感があるのですが、もっと全国、海外の人に知ってほしいと考えています。
もっと和歌山の良さを広めるため、コロナが落ち着いたら和歌山の食材を使って食事を振る舞う「かさまつ食堂」という企画を準備中です!
ー前嶋さん本日はありがとうございました!今後のさらなる活躍も期待しています!
取材者:山崎 貴大(Twitter)
執筆者:五十嵐 美穂(Twitter)
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter)