「予想ができる範囲で生きていた…」ベンチャー企業 CMO 田中龍之介の挑戦の原点

今回は、株式会社SAKIYOMIの執行役員CMOを務める田中龍之介さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、地元である山口県を出て挑戦を続けている理由について伺います。

 

前例がないことへ挑戦することが“日常”に

–自己紹介をお願いします。

株式会社SAKIYOMI(サキヨミ)で執行役員CMOとして働いています。マーケティングに関わる部分を全体的に統括している他、コミュニティサービスとスクールサービスの事業責任者を兼任しています。

2024年4月時点で、社員数は30名未満程度。業務委託メンバーを含めると400名程度の体制です。多くの業務委託メンバーと事業を推進していることが(弊社の)特徴の1つです。

–株式会社SAKIYOMIの事業内容を教えてください。

主にInstagramの運用支援を行っています。企業に対してコンサルティング、運用代行サービスを提供しています。他にも、マーケティングノウハウを学べるコミュニティ事業、スクール事業等を行っています。

コミュニケーションツールとしてSNSが変化を生み出した時代を超えて、企業PRとして活用されることが一般的な時代に入りました。今後SNSがビジネスや事業の根底をも変えうる可能性があります。

–どんな場面でやりがい、働きがいを感じますか。

前例のないところへ挑戦していくことを大事にしている会社です。掲げている理想が大きい分、過程で向き合うべきハードルは多くなり、挑戦すべき場面も増えます。その挑戦自体が推奨される文化があり、臆することなく挑戦できる環境が常にあります。

組織として、このメンバーと挑戦を続けたらどこまでいけるのか。

そう考えると、日々エネルギーが湧いてきて、未来が楽しみになります。

 

インターン入社直後、コロナの煽りが直撃

–学生時代について教えてください。

高校を卒業するまでは、地元である山口県で暮らしていました。地元で暮らしていた頃は漠然とした「都会への期待」があり、田舎を出てみたい、もっと広い世界を見てみたいという気持ちを持っていました。

–都会の情報はどんなものを通して得ていましたか。

明確には覚えていませんが、テレビやニュースでよく取り上げられる都会の様子は見ていました。あとは、地元の塾の先生とのやり取りもありました。

当時通っていた塾は、英語の授業が有名な塾でした。いい意味で無駄話が多い先生がいて、社会の話、ビジネスの話、社長という働き方の話などをしてくれました。その先生の話は面白くて、聞いていて好奇心をそそられた記憶があります。

–高校卒業後の進路はどのように決めましたか。

まず、学部から考えました。文学部系か経済系か法学部系か…と見ていって、最終的には商学部に興味を持ち、学部を軸に進学先を選びました。正直、主体的に選んだというよりも「他には興味なかったので…」という程度の消極的な選び方でした。

冒頭で「挑戦」というワードを出しましたが、高校生くらいまでは大きな挑戦をしてこなかったなと思っています。スポーツでプロを目指すわけではなく、熱心に勉強に打ち込むわけでもなく。

僕自身にやる気がなかったというわけではなく、周りにもそういう学生が多かったですね。

–株式会社SAKIYOMIとの出会いの経緯を教えてください。

SAKIYOMIとの出会いは、大学2年生の頃です。

当時インターンシップに参加していました。さまざまなアルバイトをしたことがあったんですが、一般的なアルバイトと比べて時給が高く、経験を積むことができるという点でインターンシップに興味を持った経緯です。半年程度営業代行業務を経験し、結果が出るうちに自信がついてきました。

環境を変えて挑戦したいと感じ、別のインターン先を探していたところ、SAKIYOMIの当時のメンバーに出会いました。その方は大学4年生の代で、大学を中退してインターンシップにコミットしているとのことでした。「この人をそこまでさせるものって何なのか?」と興味が湧きました。

その後、2日間のインターンプログラムに参加し、SAKIYOMI社内の同世代メンバーと知り合い、「自分もここで働けば、こんなふうになれるんだ」とワクワクしました。

 

予定調和よりも予想できない展開にワクワクする

–入社後に働いてみていかがでしたか。

法人営業担当として働き始めました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で多くの会社がリモート勤務になり、電話をしても繋がらない状況になってしまいました。十分な提案活動ができず、やがて当社の事業は潰れてしまいました。

はじめは実感が湧かず、危機感も薄かったと思います。その後、人が辞めていき、15人いた同僚が4人になりました。その時、ようやく実感が襲ってきて、深く後悔しました。もっと必死にできることがあったんじゃないか…と。

それからは、「同じ後悔をしたくない、させたくない」という気持ちでより一層仕事に向き合うようになりました。

–多くの方が会社を離れる中、田中さんはなぜ会社に残ったのですか。

「働く」ということへの解像度が上がってきた結果、SAKIYOMIの社長が自分にとってロールモデルの1人に感じられるようになりました。「自分が30歳になった時、こんな大人になれたらいいな」と思えたんです。

その上で、自分で起業することも考えたことがありました。SAKIYOMIの代表が24歳で起業していて、有名なIT企業の社長も24歳で起業していたことを知り、「24歳での起業」を意識するようになりました。21歳で正社員としてSAKIYOMIに入社した後、M&Aが決定した時には会社員として目標としていたものを実現できた達成感もありました。

事業アイデアを自分で考え始めていたんですが、ここで悩みました。起業というと一見挑戦的な選択に見えますが、むしろ予定調和な選択なのではないかと感じました。起業したらこういう事業をして…このフェーズになればこれくらいの売上が立って…と予想ができてしまいました。

–決め手は何でしたか。

代表が今後の事業構想を話してくれた際、「(自分が)SAKIYOMIで、それを実現できたら一番面白い」と感じたことです。最終的には、SAKIYOMIの社内起業制度を活用して新規事業を立ち上げると決心しました。

自分には、簡単に予想できないことにワクワクしてハマっていくようなところがあります。地元にいた頃はどこの中学に通うかと考える際には選択肢が決まっていて、大学を選ぶにも偏差値によってある程度進学先候補は絞られます。SAKIYOMIでのインターンシップに挑戦してみて、それまでは自分が予想できる範囲だけで生きてきたんだと気づきました。

今は予想を超える展開を生み出し、挑戦し続けることが楽しくて、それによって得られる経験が自分を成長させてくれると感じています。

 

熱中して挑戦するロールモデルでありたい

–今後の目標や実現していきたいことを教えてください。

SAKIYOMIを、多様な事業を抱える会社へ成長させていきたいと思っています。また、採用の仕方、組織の在り方、マーケティングの仕方など、さまざまな点で挑戦し、新しい価値を見出し、常に先駆者でありロールモデルである会社になりたいですね。

個人的には、自分自身が同世代に熱中して挑戦するロールモデルになりたいと考えています。というのも、地元の友人は若くして地元の工業系の仕事に就く人が多く、成人式で再会した際に「仕事が憂鬱だ」と話していたんです。転職を勧めても乗り気ではなく、とはいえ今の状態も受け入れたくはないという心情のようでした。同じ地元出身の自分が挑戦し続けることで、友人たちにも伝わる刺激があったりヒントを受け取ってもらえたりすると嬉しいです。

 

取材・執筆=山崎 貴大