周りと自分がイキイキできることが大切!NOKIOO事業マネージャー・吉田遥那の在り方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第961回目となる今回は、株式会社NOKIOO事業マネージャー・吉田遥那さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期の経験から、知らず知らずに周りの期待に応えることを意識していた吉田さん。マネージャーの経験を通して「自分が幸せであることが大切」と気づくまでの道のりを伺いました。

実家のトレーニングジムで触れた人の温かさ

ー自己紹介をお願いします。

吉田遥那と申します。埼玉県で生まれ、静岡県浜松市で育ちました。大学時代は岡山で過ごし、新卒1年目は京都でまちづくりコンサルタントとして働いていました。現在は地元である浜松のベンチャー企業で、組織開発やブランディングに取り組んでいます。

ー幼少期で印象に残っていたことはありますか?

実家が、トレーニング器具の卸売業とトレーニングジムを経営していたんです。ジムでは、ボディビルダーやウェイトトレーニングの選手が練習していました。

トレーニングジムを通らないと帰れない家の作りでした。会員さんたちから「いってらっしゃい」「今日学校どうだった?」と毎日声をかけてもらえる環境で幼少期を過ごしていました。

会員さんたちの主な練習時間は、夜7時〜9時でした。デッドリフトのトレーニングが行われる度に家が揺れていたのは思い出深いです(笑)。

ー毎日ジムの会員さんたちが出入りしていた中で、影響を受けることはありましたか?

毎日何十人もの方に「行ってらっしゃい」「おかえり」と声をかけられる環境にいました。そのような経験があり、人との交流がある中山間地域や人情あふれる商店街にいま興味を引かれています。

また全身全霊で頑張る人を尊敬するようになりました。トレーニングジムでトレーニングをしている人の姿がいつも身近にあり、「自分の100%の力をかけて頑張る人は素敵だ」という思いにつながっています。

ハード面のまちづくりからソフト面のまちづくり志望に変わった大学時代

ー岡山の大学に進学したそうですね。きっかけはあったのですか。

「地元を出たい」という思いもあり、岡山に出ることになりました。私のことを誰も知らない場所で生活してみたかったのです。

私は幼い頃からジムの会員さんや地域の人に育ててもらい、高校生になっても周りから見られている意識がありました。見守られている安心感はありながらも、「この子はこういう子」と枠にはめられている気がしていました。

「会員さんの前では常に笑顔でいなければならない」「挨拶はしっかり答えて感謝をしなければならない。なぜなら会員さんたちにご飯を食べさせてもらってるからだ」と両親から言われていました。

「人からの目を意識して行動しなければ」と心のどこかで思っていたので、一度地元から離れようと思ったのです。

ー地元を離れて、いかがでしたか?

大学に入学してから半年はホームシックになりました。しかし学部やサークル・アルバイト先の人たちに恵まれていたこともあり、大学に入学してからの半年以降はとても楽しくイキイキと大学生活を送ることができました。

ー環境について勉強していたそうですね。詳しく教えてください。

農業試験場で働く・ダムの設計など環境系の技術職に就くことを考え、環境学を学べる岡山大学に入学しました。

母方の実家がある山間地域の高齢者が、農作業や地域のイベントを行っているのを見ていたことが、環境学を学ぶきっかけでした。きつい農作業などの役回りを高齢者だけで担うことに幼い頃から疑問を持っていました。米の品種改良などのハード面で地域の課題解決をしたいと思うようになったのです。

大学では、環境について座学や実験を通して幅広く学びました。コンクリートを作ったり、湖の水質調査をしたりしていました。

ー進路については、どのようなことを考えられていましたか。

大学3年生の前期まではダムの設計をしようと考えていましたが、大学3年生の後期で考えが変わりました。ベトナム農村の研究をしている教授と出会い、私は「設備面ではなく、広報や関係人口の増加の面からまちづくりをサポートしたい」と気づいたのです。

ダムは誰が作っても計算通りに作る必要があります。しかし地域の人にアプローチするまちづくりであれば、自分ならではの色が出せてやりがいを持てそうと感じたのです。

京都でまちづくりコンサルタントを経験し、民間的支援をしたい軸に気づく

ー就職先はどのように決めたのでしょうか。

大学1年生の時、岡山県美咲町の卵かけご飯をB級グルメとしてブランディングした事例を学びました。革新的な手法だと興味を持ち、この事例を手がけた京都の会社に就職することになったのです。

ー就職先ではどのような経験をされましたか。

市町村が策定をする、各種計画(子ども子育て支援事業計画等)を作っていました。

行政計画を作るにあたって、住民の声があまり拾い上げられないことにもどかしさを感じました。子育て支援事業計画では、自治体の住民から意見を聞く機会がありました。

住民の意見を取り入れた企画を行政に出した時、行政のキャパシティの限界もあり、意見が採択されることは少なかったのです。

私がしたかったことは行政側のまちづくりではなく、民間主体のまちづくりに携わることでした。民間主体のまちづくりに携わったほうが地域の人の声や地域らしさを活かすことができると思ったのです。

Webを活用して地域の魅力発信に携わりたいと思い、株式会社NOKIOOに転職しました。