好きなことに挑戦して向き不向きを見つける|プロフィールドホッケー選手・中村航司

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第937回目となる今回は、プロフィールドホッケー選手の中村 航司(なかむら・こうじ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ドイツでプロフィールドホッケー選手をしている中村航司さん。ホッケーへの出会いやドイツでの生活、今後の展望などをお聞きしました。

兄と同級生の影響でホッケーをはじめ、現在はドイツでプレーする

ー簡単に自己紹介をお願いします。

中村航司と申します。ドイツのHCエッセン99でプロフィールドホッケー選手をしています。

また、日本スポーツコミュニティ協会の代表理事を務め、「スポーツで心を繋ぐ」をコンセプトに「縁TRANCE」というオンラインコミュニティを運営しています。

ーホッケーを始めるきっかけはありましたか。

ホッケーを始める前まではいじめられており、腸に穴があいて入院したこともあります。変わるきっかけを探していたときに出会ったのがホッケーでした。

僕の住んでいた富山県小矢部市はホッケーの街で、クラブチームがあったり、高校生が優勝したりしているほどホッケーが盛んな街でした。

7個上の兄と同級生がやっていた影響で始めて19年目になります。

ー高校ではどのような学生生活を送っていましたか。

部活ではチームのムードメーカーでした。また、インターハイを2連覇したり、日本代表に選出されたりしました。

同級生と関わるのが楽しく、学園祭や体育祭などの学校行事にも積極的に取り組んでいました。

ホッケー留学で競技への向き合い方の違いを知る

ー東京農業大学に進学してからの競技生活はどうでしたか。

インターハイで優勝を2回経験し、日本代表に選出されたので、大学でも活躍するぞと意気込んでいました。しかし、レベルの高い選手が揃う環境に身を置いたことと厳しい上下関係で潰れてしまいました。

ー挫折を経験してからどのようなことをしましたか。

自分のメンタルに向き合おうと大学近くのTSUTAYAで読書漬けの日々を送っていました。当時は心理学系や成功哲学系、ビジネス書を読んでいました。

ー試合に出場するために取り組んだことはありますか。

本を読んだり、自主練をしたりしていました。当時は睡眠時間4時間半にこだわって生活をしていたため、体の回復が追いつかず、対処療法として読書で癒していました。

この時にハングリーさを培ったと思っています。

ー韓国に1ヵ月ホッケー留学したそうですが、留学で得たことはありますか。

釜山近くの金海(キメイ)を訪れました。韓国でも1、2を争う環境に身を置き、韓国人選手との練習を通して競技への向き合い方の違いを知ります。

また、オリンピックに4回出場した指導者から「楽しむ」を追求したから結果に繋げられたと言われ、努力している間は二流、三流だと痛感しました。

韓国で言葉がわからなくてもコミュニケーションをとれた経験が自信になり、ドイツの挑戦につながっています。