夢は常識のままに生きていてもかなわない。ITベンチャー企業営業、野田宙稔のこれからの働き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第882回目となる今回は、ITベンチャー企業で営業を務める野田 宙稔(のだ・そらとし)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

医療系ITベンチャー企業に勤めながら、次の挑戦への準備を始めている野田さん。夢は常識のままに生きていてもかなわないと気付いたきっかけや、人との出会いによって変化した価値観についてお話いただきました。

言語が違ったとしてもスポーツを通して心が通じ合う

ー瀬まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

野田宙稔(そらとし)と申します。僕は23歳、22卒です。ITベンチャー企業で営業をやっています。休日は大好きなラクロスをしたり、ラーメン巡りしたりと自由に暮らしつつ、働き方を変えるために事業を興す勉強をしています。

将来は海外移住や海外を視野に入れた活動をすることを目的としています。よろしくお願いします。

ー瀬ここからは、野田さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような学生時代を過ごされたのでしょうか?

僕は小さい頃から野球をしていました。野球の遠征先で、プチ旅行をするのが好きな子供でした。

今では意外だと言われますが、コミュニケーションを取ることがそこまで得意ではなく、どちらかといえば引っ込み思案でした。緊張して自分から声をかけられない、そういう子供でしたね。

初めて海外に行ったのは、12歳のときでした。当時は少女時代やKARAが流行っているときで、小学生のときに僕もそのグループにはまっていました。そのため、韓国に行ってみたいなと思っていました。

当時、近所に国際交流を支援しているボランティア団体があり、そこを経由して韓国へホームステイに行くことになりました。

ー瀬初めて日本を離れるご経験だったと思うのですが、実際に韓国へ行かれて、当時はどういうことを感じましたか?

日本と全然違うなと感じました。当時は、福岡市内しか知らない生活をしていたので、韓国に高いビルが建ち並んでいることに驚きました。それからすごくうるさいなって(笑)。皆んなが大声で話していたので、雰囲気に圧倒されたのを覚えています。

日本人って引っ込み思案な方も多い印象ですが、韓国は明るい方ばかりです。例えば同世代とドッジボールをしたときも、ボールをキャッチすると皆んなで喜び合う。ボールを上手く当てられたら皆んながハイタッチしに来てくれる。

どちらかといったらアメリカ人みたいな、明るい雰囲気でびっくりしました。パジチョゴリを着たり、キムチを食べたり、韓国の食や文化にもたくさん触れることができましたね。

簡単な韓国語しか話せない状態で行ったのですが、向こうは韓国語でこっちは日本語、あまり言葉は通じないのですが、なぜか心は通じ合っていると感じました。ハイタッチや声をかけ合ったり、歓声をおくったりするのは同じなんだなと思い、うれしかったです。

ハプニングもあるが海外が大好きに

ー瀬高校生のころにも海外に行かれたそうですね。

高校1年生の修学旅行で、シンガポールとマレーシアに行きました。

印象的だったのは、マレーシアのご飯があまり美味しくなかったことです。料理名はわかりませんが、草を油でいためたような料理でした。

マレーシアって、中華系とマレー系とインド系の方が集まっているところなんですよね。文化も食事も混ざりあっているので、中華系のエビチリやマレー系の肉料理など、いろいろなものが出てきます。

それから、僕たちがマレーシアに行ったときに地震が起きて、ホテル全体が停電しちゃったんですよ。停電によって部屋のエアコンが使えないので、すごく暑かった思い出があります。

ー瀬実際に地震や停電も経験されて、海外に行くのが怖いなとは思いませんでしたか?

僕は、「最高やな」って思いました(笑)。

日本はすごく発展していますが、マレーシアってまだそこまで発展していないんですよね。道が舗装されていないところや整備されていないところがある。やはりこれが世界の現実なんだなって。僕はそれを実際に感じられてよかったなという感覚でした。

ハプニングもありましたが、ここで海外にどっぷりはまり、海外が大好きになりました。

ー瀬日本でも海外に関わることをされていたそうですね。

はい。僕の家で、海外からの留学生や子供たちをホストファミリーとして受け入れていました。イギリス・オーストラリア・アメリカなどの主要都市から、大学生や大人の方が来て、交流をしていました。日本でも国際交流を進めています。

ラクロスと自由人なコーチとの出会い

ー瀬その後大学に進まれて、野球ではなくラクロスに打ち込んでいかれたきっかけはあったのでしょうか?

高校までに野球をやりきって、そこで辞めようと決めていました。せっかく大学に入ったのだから、大学っぽいスポーツをしたいなと思って探していました。

大学を歩いていたらラクロス部の人に声をかけられて、「ラクロス体験会に来てみない?」と言われたのがラクロスとの出会いです。実際に体験会に行ってみると、「なんだこのスポーツは」と衝撃を受けました。率直に言うと楽しかったんですよね。

当初はラクロス部に入るとは思っていませんでしたが、体験会で入部を決めました。

ー瀬ラクロス部では、コーチとの出会いがあったそうですが、どのような方だったのでしょうか?

第1印象は、自由な人です。出張で日本中を飛び回っているような方でした。「明日からハワイに行ってくるから、2週間はいないわ」と言って、ハワイに行っていました。

その生活を当たり前のようにしていて、すごく自由な人だな、今までに出会った人とは全く違うなと感じましたね。

大学のラクロス部のサポートをしながら、コーチご自身も自分の好きなことができる。自分が楽しみながら、他の人にも影響を与えられる。そんなコーチの姿を見て、刺激を受けたのを覚えています。

ー瀬コーチとの出会いから、ご自身の将来のことや仕事に対する考え方が変わったことはありましたか?

はい。今までと全く変わりましたね。元々は、保健体育の先生になるつもりで大学に行っていました。もし保健体育の先生をしていたら、平日は教師として働き、部活動の顧問を受け持つと土日もないですよね。

コーチの生き方を間近で見ていると、大好きな海外での生活が実現できるなと感じました。そんな生活に憧れて、コーチのような働き方を目指そうと思いました。