夢を共有できる繋がりを大切にして生きる。福原千晶の叶えたいこととは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第871回目となる今回は、夢みるセラピスト・福原千晶(ふくはらちあき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

作業療法士として病院に勤務し、26歳で起業した福原さん。やりたいことや夢をかなえるための繋がりをつくるために活動する、福原さんの想いを話していただきました。

リハビリをした経験から医療職に興味を抱く

ー自己紹介をお願いします。

福原千晶と申します。「夢みるセラピスト」として「夢みるじぶん最高!と思える人をたくさんに!」を掲げ、日本中のやってみたいが叶う繋がりのある社会を目指しています。

ー具体的にどんなことをされているのでしょうか。

もともと作業療法士として病院に勤務していました。働くなかで「作業療法士としてもっと地域の中で貢献できることはないか」と考え退職。

現在は作業療法士としての経験を活かして「暮らし総合自費サービス」の提供や、2、30代の女性向けコミュニティサロン&頭蓋骨調整サロンの運営をしています。

そして「まるっと舎era」というアウトドアに特化した、暮らしと交わるユニバーサル空間な一棟貸しの宿のオープンに向けて準備中です。

ー作業療法士を目指すようになったきっかけは何だったのでしょうか。

小学1年生で両膝を手術し、その際に、リハビリでお世話になった方々が親身に寄り添ってくれたことがきっかけです。生まれつきだったため、痛みが出て歩けなかったり生活に制限があったりしていた時期がありました。

手術をして、理学療法士をはじめとするリハビリ職の方々にサポートしていただきました。

この経験を通して「患者様がどんな自分でいたいか、どんな生活を送りたいのか」といった精神面をサポートする大切さを知り、医療職に興味を抱くようになります。

看護師や放射線技師などのお仕事も考えましたが、リハビリ職の方々にお世話になったという想いが強かったので作業療法士になることを決めました。

ただリハビリを提供するだけでなく、一人ひとりに合わせて一緒に人生を考えることも医療職は求められます。人と向き合える仕事が自分には合っているのではないかと思えたことも大きかったです。

ー大学進学時も想いは変わらず作業療法士を志して進学されたのですね。

山梨の大学に進学し作業療法学科を専攻しました。これといった想いはなかったのですが、流れるように山梨に行き着きました(笑)。

勉強はもちろん一生懸命していましたが、みんなで楽しく出かけたり飲み会をしたりと生活はとても充実していて。タイに2週間旅行したこともありました。

そして、大学当時は思いもしませんでしたが、起業するきっかけとなった方々にもこの頃に出逢うことができました。飲み会やイベントを通してご縁をいただき「夢を叶えるお仕事をしたい」と思える出逢いがあったことは大きな出来事でしたね。

ー将来起業したいという想いがあって、イベントなどに参加されたのでしょうか。

作業療法士になりたいという夢を持って過ごしていましたが、そこから先のことは想像できていませんでした。病院や施設で作業療法士として従事することが本望だと思っていたので、思いがけないことの連続で、本人も驚きの起業に至ります。

話は逸れますがいろいろなところへ食べに行くことが好きで。新潟から山梨に来たこともあり、興味が湧いたら新しいお店に足を運んでいました。その直感が経験や財産になり、好奇心が出逢いへとつながったのだと思います。

理想と現実との働き方にギャップを感じるようになる

ー卒業後の進路について教えてください。

作業療法士の資格を無事取得し、甲府市内の病院に就職。作業療法士として3年間勤めました。なりたかった作業療法士にもなれ、患者様に寄り添う日々にやりがいを感じていましたが、次第に私自身のやりたいことと仕事のバランスを考えるようになります。

やりたいことを「作業療法士」を通して実現できないかと葛藤を抱え「病院の中ではできないことがたくさんあるな」と思うようにもなりました。

作業療法士の仕事は大好きですし尊敬もしています。ただ漠然とですが、自分の住んでいる「まち」「暮らし」でこそ作業療法の考え方が必要だと思っていました。自分らしさを大切に人生を送ることと、院内での作業療法士の仕事を続けることにギャップがありました。

ー悩んでいた状況を抜け出すきっかけは何だったのでしょうか。

大学時代に出会った方々と飲み会やイベントでご一緒したことです。自分のやりたいことを仕事にし、生き生きと人生にも仕事にも真っ直ぐな皆さんを見て「仕事って、自分の価値観を表現することの1つの手段だ」と感じました。

お世話になっている方から「資格があることで一回別の分野に挑戦して、もし失敗したとしても戻れる。だから挑戦できる」という後押しがありました。そのおかげで病院を退職する覚悟もでき、起業を決断できたことは大きかったです。

ー資格は失敗したときの保険であるというのは新しい視点ですね。

資格は活かすために取るもので、それを使った仕事をすることが当たり前だと思っていました。人は安定を求めますし、安定した道には不安もありません。ただ、環境を変えなければ思考を変えることはできないことに気付かされました。

作業療法士が病院からまち、暮らしに出ることで、もっと人生の伴走者として関わることができます。作業療法士と名乗らなくても、作業療法士としての価値を提供できる場所をつくりたいという気持ちで奔走していました。