本気で向き合って挑戦し続ければ人生は変わる。岩本咲良が大切にする考え方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第814回目となる今回は、株式会社WCTC(ワクテク)の岩本 咲良(いわもと・さら)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

スタートアップ企業で、営業兼新規事業の自社プロダクトの立ち上げに従事する岩本さん。プロダンサーの夢を諦め、絶望を感じた経験もある彼女を救ったのは、バスケットボール選手のある一言でした。海外で多様な価値観に触れ、現在も挑戦し続ける岩本さんが大切にする考え方を紐解きます。

プロダンサーになる夢を諦め、絶望だった彼女を救った言葉

ーまずは自己紹介をお願いします。

岩本 咲良(いわもと・さら)と申します。私は学生時代、スリランカで広告営業のインターンをきっかけに、海外を自分の目で現地を見てまわりたいと思い、バックパッカーとしてアジアを中心に旅をしました。卒業後はカンボジアの会社で働き、複数のベンチャー企業を経て、現在は株式会社WCTCという創業2期目のスタートアップ企業で働いています。

ー多様な経験をされている岩本さんのターニングポイントを交えながら、現在に至る過程をお伺いします。最初の転機は17歳の頃だそうですが、どういったことがあったのか教えてください。

3歳からプロになることを目指して、クラシックバレエやストリートダンスを習っていましたが、家庭の事情でプロダンサーになる夢を諦めました。それまでダンス中心の生活を過ごしてきたので、辞めてからも悔しさや葛藤を感じていて。口では諦めたと言いつつも絶望感に苛まれていたため、簡単には諦めきれていませんでしたね。

ーどういったきっかけで絶望感から抜け出せましたか?

高校1年生のときに、パラリンピックでバスケットボールの選手として活躍されている方の講演を聴いたのがきっかけです。

その方も事故に遭ってしまい落ち込んでいたそうですが、その間もバスケットボールを3年ほど熱中して打ち込んだら、パラリンピックに出場できる選手になれたとお話しされていました。人は1年で変われなくても、3年間本気で向き合い続けたら変わることができるんだというお話を聞いて、私も新しい道で3年間本気で取り組もうと思えるようになりました。モチベーションも上がり、絶望を乗り越えるステージに変わっていきましたね。

ー勇気をいただける講演だったのですね。その話を聞いて、実際に岩本さんは3年間どのようなことを頑張りましたか?

進学するための学費を自分で稼ぎたかったので、アルバイトをしながら学業の両立をすることに本気で取り組みました。それに私の学校では、テストが終わるごとに成績上位50名の名前が公開されるんです。そのランキングに必ず掲載され続けることを目標に勉強を頑張りました。

ーなぜ、進学するための学費を稼ぐことと勉強を頑張ることの2つを目標にされたのでしょうか?

勉強に関しては、これまでダンス中心の生活で勉強を疎かにしていたので、将来を考えたときに勉強しないとまずいなと思っていました。それに、勉強に向き合ってみると、知らなかったことが理解できるようになったおもしろさを感じたんです。

学費に関してですが、お金がなくてやりたいことができないというのは、本当にやりたいことなのか疑問に思っていて。親のお金ではなく、自分のお金でやりたいことを掴むのは大事だと思ったので、自分自身を試す意味でも目標に決めました。

ーこれまで勉強しなかったからこそできるようになった楽しさを感じられたことや、自分が本当にやりたいことなのかを再確認したいという意味で目標に置いたのですね。目標は達成できましたか?

はい。学校内のテストでは、常に上位50位にランクインしましたし、自分で稼いだお金で学費を支払って興味のある専門学校に進学できました。

自分で稼いだお金で進学。海外の多様な価値観に触れた瞬間

ー進学先の専門学校では、どのような分野を学ばれたのでしょうか?

経済学と英語を学びました。午前中はネイティブの先生が英語で授業をしてくれ、午後は提携大学の教授による経済学の講義を受けられたので、非常にユニークな学校だったと思います。

ーなぜその分野を学ぼうと思って、専門学校に進学されたのですか?

自分で会社を経営したかったので経済学を勉強したかったのと、昔から海外に目を向けていたため英語の勉強が必要だと思ったからです。実際に2年生になる前の春休みに、1ヶ月間インターンシップでスリランカに行くことにしました。

ー英語圏ではなくスリランカに行かれたのですね。

そうなんです。偶然にも私のクラスに、スリランカのインターン募集をしに来た方がいて。調べる間もなく春休みに突入するタイミングだったので、衝動でスリランカに行くことを決めました。

ーインターン先ではどのようなことをしていたのですか?

日本人向けの雑誌に掲載する広告枠を販売する営業をしていました。新規開拓で飛び込み営業も経験するなど、1ヶ月間いろんな経験ができてよかったです。スリランカでの異文化交流を通じて、日本との違いも感じられました。

ー例えば、どのような違いを感じましたか?

日本では、意見に対して正しいかどうかを気にする風潮がありますが、スリランカだとその基準で判断しないんですよね。一度相手の意見を受け入れた上で、自分の価値観や考えと合っているかどうかを伝えます。各人がそれぞれの価値観をきちんと形成しているように感じました。それにスリランカでは、いろんな民族や宗教の人たちが一緒に生活をしている国なので、それぞれの意見を受け入れないと上手くまわっていかないんだと思います。

ー多様な価値観を受け入れられる土壌なのだとわかりました。インターン後はバックパッカーとして他の国も旅したそうですね。

アジアを中心に5ヵ国ほどまわり、NPO法人の活動を見学したり孤児院を訪れたりしました。特に印象に残っている国はインドですね。電車で移動する際に、高額のチケットを購入したにもかかわらず、日本人だからという理由でウェイティングリストに入れられてしまったことがあります。交渉してなんとか乗せてもらいましたが、座席がないので車両連結部分にある簡易椅子に座らされるなど、日本では考えられない出来事に衝撃を受けました。