歩く人間マッチングアプリ・小山重大に聞く心地よい人生を歩むメゾット

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第760回目となる今回は、「歩く人間マッチングアプリ」こと小山 重大(こやま・しげひろ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

株式会社CAMPFIREでのコンサルティング、カレー屋やバーの1日店長、ゲストハウスの広報など幅広いお仕事に携わっている小山さん。これまで人生の出来事や他人からの見られ方を客観的に受けとめ、行動に移すことで人生を切り開いてきました。今回は小山さん流・人生を気ままに楽しむキャリア観や価値観を伺いました。

仕事の共通点は、近い距離で人と関わること

自己紹介をお願いします。

小山 重大(こやま・しげひろ)と申します。株式会社CAMPFIREで業務委託としてコンサルティングに携わっています。クラウドファンディングを利用したい方の資金調達やリターン設計のサポートを行っています。

他にはカレー屋やバーの1日店長、日本橋のゲストハウス「 hostelDEN」の広報を住みながらしています。本日はよろしくお願いします。

ー自己紹介から多くの方との関わりを持たれている印象を受けました。

人と話すことが大好きなんです。おしゃべりを起点に「何ができるかな?」ということばかり考えています。

ー現在のお仕事に携わる前も、ユニークな経験をされていたと伺いました。

富士山の山頂や北海道のジャガイモ農家さんで働かせてもらいしました。多くの方が想像するノマドワーカーというより、体を動かすような土方に近い仕事をすることが多かったですね。

叔父の死が変えられない事実を認めるきっかけに

ー幼少期はどのように過ごされていましたか?

自ら笑いをたくさんとっていました。友達もどんどん乗ってきてくれましたね。「みんなを引っ張っていくぞ!」という気持ちがあり、いわゆる無双状態でした。

ーいつごろから自ら行動して、周囲を巻き込むことをされていたのですか?

小学3年生ごろからです。笑いに関する当事者意識を持っていました。僕が話し出せば、みんなが注目すると思ってました(笑)。自分が思うのはタダじゃないですか。その気持ちは今でも変わりません。

非道徳的でなければ、なんでもやっていいと思っています。

ー現在の小山さんの価値観につながるターニングポイントが、小学生のときにあったそうですね。

叔父の死です。「しょうがないことはしょうがない」という見方ができるようになったきっかけです。

現代医療では、ずっと生きつづけることは今のところできないですよね。いつか亡くなるという事実はどうにもできないから争わない。

事実を変えるのが無理なことは無理と認めると、結構生きるのが楽になると思います。

ー小学生ぐらいの年代だと、人の死を受け入れるのは難しいと思います。当時の小山さんは、叔父さんの死をどのように捉えていましたか?

死というよりも、衰退していく過程を目にするのが辛かったです。叔父は糖尿病でどんどん身体が細くなっていきました。叔父の弱っていく姿の衝撃は大きかったです。

ただ死を待つしかない状況が子どもながらにわかりました。どうすることもできないので、やるせなさやもどかしさばかりでした。

ー叔父さんの死を経て、小山さんの人生観を教えてください。

人間みんないつかは亡くなります。今生きている人は、100年後にはいないと思います。だったら、もっと気楽に何をやっても良いと思うんです。

たとえば、好きな人に告白したり、1ヵ月30冊本を読んだり。自分の思うままに行動して良いと思うんです。現代の日本人は周りの目線を気にして、自分のやりたいようにやる視点が欠けていると思います。

自分の笑いが通じない無力感が次の行動につながる

ー続いて、大学時代のお話を伺います。大学選びはどのようにされたのでしょうか?

体育系大学に入学しました。当時はアシックスやミズノなどスポーツメーカに就職したいと考えていたからです。実際に大学に入学してみて、4、5月の時点で思ったより大学が楽しくないと感じました。

ー大学が楽しくないと感じた理由は何だったのでしょうか?

同じ学部の人と笑いのツボが合わなかったことが決定的でした。大学以前の環境では笑いをとると、みんな反応してくれていました。大学では、僕が何を言っても周囲の人は笑わない空気があったんです。

ーこれまでとは違う環境で気付かれたことはありますか?

笑いが通じない経験が、自分の無力さに気づくきっかけになりました。無力な自分を認めて、次の行動をどうするか考えられるようになりました。ある意味、大学生活が楽しくなくてよかったと思っています。

ー大学生活の退屈さを打破するために、どのような行動をされたのですか?

たまたまTwitterで見つけた富士山に100人で登るイベントに参加しました。付き合う人や視点を変えるために、飛び込んでみたんです。この企画はめちゃくちゃ面白かったです!

富士登山のイベント参加後は、海外に行ったり、ヒッチハイクをしたりしました。神奈川生まれ神奈川育ちなのですが、地元が違う友達がどんどん増えていきました。自分が動けば、世界中で友達ができるんじゃないかと楽しさを感じるようになりました

ーご自身で行動されてから、キャリアへの考え方にも変化があったようですね。

21歳のときに、つながった人たちへの働きかけが仕事になるのではないかと思うようになりました。身近な人と関わり合いたい気持ちが強くなったんです。

次第にもともと志望していたミズノやアシックスで働くのは、僕である必要はないと感じました。そこから企業に就職する考えは抱かなくなりましたね。