人とのつながりは、決して色褪せない。阿部華奈絵が語る「本業」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第750回目となる今回は、阿部 華奈絵(あべ・かなえ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

様々なことにチャレンジしている阿部さん。自身の体験や葛藤、そして人とのつながりから見えた生き方とは何か語っていただきました。

15歳で児童養護施設での生活を始める

ー簡単に自己紹介をお願いします。

阿部華奈絵です。「自分の人生を生きること」を大切に、デイサービス、訪問介護、小学校へのタブレット導入によるIT支援などさまざまな世代と関わりつつ働いています。

ー14歳が人生のどん底だったと伺っていますが何があったのでしょうか。

15歳で親元を離れ児童養護施設で生活をはじめる1年前のことです。それまで私は親から暴力を受けることが当たり前でした。しかし、高校受験に向かう時期とも重なり、周りと自分が違うことに疑問を抱きはじめたのです。

家にいるのが嫌で、近くの川に頻繁に出かけていました。周りが買ってもらっているものを自分は持っておらず、どうすれば自分でお小遣いを稼げるのだろうと考えました。

いろいろと考えた結果、何もない状態から価値のあるものをつくって売れば良いのだと気づき、アクセサリーを作りはじめたのです。

作ったアクセサリーを路上で売って、稼いだお金でお菓子を買う経験をしました。この経験のおかげで制約があるなかでも考える力が身に付きました。

社会の状況は変えられませんが、自分のことは変えられます。環境に合わせて自分がどう変わっていくか、生きていくか、働いていくかは小学生のときの経験が活きていると思います。

ー15歳で児童養護施設に入られたときの心境を教えていただけますか。

親から暴力を受けない環境にいられることが幸せでした。お風呂や食事などの住環境も整いましたし、勉強もようやくまともにできるようになりました。

施設での生活には少しずつ慣れていきましたが、自由にお小遣いを使えない不便さに悩みました。そこで自由に使えるお金をどう調達するか考えたとき、幼少期時代の経験が活きたのです。友達に勉強を教える代わりに、マクドナルドを奢ってもらいました。

こんなに美味しいものを食べられるのであれば、人に勉強を教えられるようになろうと思いました。さらにこのとき「教えるって自分が理解できないと伝えることができないんだ」と気付きます。

勉強が好きになったきっかけにもなり、高校3年間の学びを充実させることができました。

ー当時最も興味があった分野は何だったのでしょうか。

栄養学です。私が通っていた高校は食品を取り使う工業高校で、微生物の研究や菌を培養するのが面白いなと感じていました。人に教えることと、自然のなかでのスキルを身につけることの2つが実現でき、講義のほとんどが外で行える学校に興味を持っていたのです。

幼少期から自然が好きだったこともあり、その良さを伝える仕事に将来は就きたいなと考えていました。

高校在学中は、今後の進路に向けてアルバイトをしていました。アルバイトは時間の制限があり、施設の門限もありましたががんばって働いて約100万円貯めることができました。当時は辛いことをして、お金を稼がなければならないと思っていましたね。

ー生徒会の運営に携わり、高校総体のPR活動に注力されていたのですね。

生徒会長になりたかった理由は、文化祭が面白くなかったからです。周りはサボるのがカッコいいと考えるのが普通で、当然ですが何もアイディアは出てきません。周りと温度差があったため学校生活が窮屈でした。

高校のなかの活動範囲が狭いなと感じていたときに、インターハイのPR活動を知りました。生徒会の活動を知って「これは人生を変えられるのではないか」と思い、生徒会長に立候補することにしたのです。

学外では熱い想いを持った人たちが集まっていたため、学内の熱量とは圧倒的に違っていました。非現実的な体験は言葉ではなかなか表せません。

私の今までの人生で大きな出来事で、1つのことを皆で目標を達成していく過程の素晴らしさを知ることができました。

アウトドアの専門学校を断念し働くことに

ー高校卒業後は就職をされるのですね。

自然に携わることのできるアウトドア関係の専門学校に進学したいと思っていましたが、経済的な問題で就職を選びました。学校から求人を紹介され、テレビ関係の仕事をはじめることになります。

社会人生活がはじまるのですが、労働時間が徐々に長くなっていきました。3日連続で徹夜したこともあります。周りは進学して大学生活を楽しんでいるのに、私は忙しすぎて家に帰れない。

どんどん疲弊していく孤独感に苛まれ、死んだほうが楽になると思ったこともありました。

次第にこのまま仕事をしていてはダメだと感じはじめ、生き生きして仕事をしている人を探すことにしました。

若手の起業家が集まる交流会に参加したのですが、周りを見渡しても10代は私しかいません。年齢の低さが注目を浴び、多くの経営者から会話や質問、アドバイスをいただいたことで仕事を辞める決心ができました。

ー仕事を辞めたことで今につながることもあったのでしょうか。

死ぬ覚悟で何かに取り組もうとすると、割と何でもできるなと思う私がいました。それを続けると本当に死にそうになる手前までいくのですが、どこに方向性を持って生きていくかが大切だとそのとき感じました。

死ぬほど働くか、死ぬほど自分の好きなことに取り組むか、選択するのは自分です。

貯金を切り崩して、生活保護を受けたほうが良いんじゃないかという状況にもなりましたが、たくさんの人に出会うことができました。自分のやりたいことを伝えたことで仕事をいただけたり、話していけば夢は実現するんだなとそこで学びました。