「夢を追い続けられる環境を」プロサッカー選手、浅川隼人が見出した自分の価値とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第654回目となる今回は、プロサッカー選手、浅川隼人さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在、プロサッカー選手、株式会社resolist、一般社団法人Ultrasの代表と3つの顔を持つ浅川隼人さん。「夢を追い続けられる環境をつくる」という夢に向かい、挑戦するその背景についてお話を伺ってきました。

 

夢を追い続けられる環境をつくるのが夢

ー簡単に自己紹介をお願いします。

浅川隼人と申します。昨年まではJリーグでプレーをしていたのですが、新たなチャレンジとして現在はJFL(日本フットボールリーグ)の奈良クラブでプレーをしています。奈良県にはJリーグクラブがまだないので、奈良県初のJリーグチームを創設できればと思い、移籍を決断しました。

サッカーの活動以外では、株式会社resolistと一般社団法人Ultrasを代表として立ち上げました。「夢を追い続けられる環境をつくる」という夢に向かって走っています。

ー株式会社resolistと一般社団法人Ultrasではどのような活動を行なっていますか?

熊本にいたとき、妻と一緒にアスリート食堂chabudaiを立ち上げました。株式会社resolistでは、その食に関する事業と個人的に興味があった福祉に関する事業を中心に活動しています。また、個人として仕事依頼を受ける事務所としての役割を果たしています。

一般社団法人Ultrasでは「スポーツを通じて誰しもが夢を追い続けられる世界」の実現を目指しています。ファンの方々に選手のスパイクを応援してもらい、選手はそのスパイクを履いて試合や練習をします。最終的に、使い古したスパイクがファンの元に届くという新しい応援の形として活動しています。

サッカー選手の価値とは何かを考えた

ー浅川さんのこれまでについてお伺いします。どのような幼少期でしたか?

幼少期のころはやんちゃで明るく、スポーツが大好きな子供でした。サッカーは幼稚園から始めましたが、最初は本当に下手な選手でした。幼少期のころから好きなことを突き詰められる性格だったので、小学校6年生のころには、かなり上達して県の選抜にも選ばれました。自分の道は思い通りに切り開いてこれたと思います。

ー順調なサッカー人生を歩んできましたか?

挫折したとまでは思っていませんが、中学3年生のときにジェフ千葉のジュニアユースからユースに昇格することができませんでした。思い通りにいかない経験が初めてだったので、一番大きなターニングポイントかなと思います。

八千代高校に進学して、高校からプロを目指していました。その力はなかったので、関東一部リーグの桐蔭横浜大学に進学を決めました。当時は遠回りかなと思っていましたが、今振り返るとよい選択をしたなと思っています。

ー桐蔭横浜大学を選んだ理由を教えてください。

関東一部リーグでプレーができることと、自分のプレースタイルに合っていたことが決め手となりました。それ以外にも、サッカー選手を引退した後のセカンドキャリアを考え、教員免許が取得できる学科に進みたいと思っていました。結果、教員免許を取得しながら、サッカー選手になれたのでよかったなと思います。

ー桐蔭横浜大学卒業後、J3リーグのYSCC横浜に加入しました。どのような心境、経緯で加入が決まりましたか?

当時は社会人として働きながらサッカーをする選択肢もありましたが、自分の夢はJリーガーになって子供達に夢や希望を与えることでした。Jリーガーにならないといけないと強く思ったのでJ3リーグ、YSCC横浜の一般セレクションに応募しました。

300人ほど参加していましたが、唯一ぼくだけが加入をすることができました。一般からの加入なので、稀なJリーガーのなり方だったと思います。

ー一般からの加入はすごいですね!

奇跡だったと思います。加入するところまではよかったのですが、1年目は監督の求める選手像が僕にマッチせず、年間の公式戦出場がゼロで終わりました。苦しいシーズンではありましたが、努力を続けることで自分の武器を磨けた1年間だったと思います。

プロ2年目に監督が代わり、自分の個性を生かしてくれる監督に出会いました。2年目は全試合に出場して13ゴール7アシストの結果を出すことができました。その結果もあり、3年目はロアッソ熊本に移籍しました。

ーJリーガーになって感じたことはありますか?

プロ2年目に「Jリーガーってこれでいいのかな」と自問自答していた時期がありました。最初のJ3の2年間はアマチュア選手で年俸は0円。自分でアルバイトもしていましたが、それではサッカー選手としての価値を発揮できていないと思いました。サッカー選手を生かして何かできるのではないかと思い、「Jリーガーからサッカーを教わろう」という企画を始めました。

Jリーガー浅川隼人の価値を見出した

ーサッカー以外の活動を始めたのですね。

はい。当時はSNSでお仕事を請け負っていました。夏にはクラウドファンディングを立ち上げ「セブ島ボランティアサッカー教室」を企画しました。年俸0円の選手に対して72万円の支援金が集まり、夢や希望を与えたいという想いでセブ島に行きました。

そこで目の当たりにしたのは、ごみ山で生活している子供たちでした。夢を聞いても答えられない子供たちが多かったのです。そのときに、夢を与えたいって何か違うなと思って。夢を追い続けられるような環境やきっかけをつくる人になりたいと思いました。

ーそれが冒頭にも触れた夢を追い続けられる環境を作る夢ですか?

そうですね。ただ、Jリーガーからサッカーを教わるだけではサッカーが好きな人しか集まらないと思いました。そこで自分の価値をレンタルする「レンタルJリーガー」を始めました。「人生相談をさせてください」や精神的なうつを患う方から「浅川選手と一緒にチャレンジさせてください」とお声をかけてくださいました。

そのときに「Jリーガー浅川隼人の価値はここでも使えるんだ」と思いました。もし自分の子供がサッカーをはじめたり、パートナーがサッカーをしていたら、サッカー嫌いでも見に行くようになると思います。その距離感でいたいと思いました。

ー素晴らしいですね。浅川さんのような活動をされている選手はいないのでは?

いないと思います。思っていても発信しない選手が多いかなと。最近のサッカー界はサラリーマン化していると思います。午前中に練習をして給料をもらうプロサッカー選手という職業。でも僕は個人事業主なので、自分をブランディングして、自分の事業を持つことが大切だと思います。自分の価値がわかっていないと、どの人たちに対してどのビジネスを起こしていくのかわからず、セカンドキャリアもうまくいかないと思います。

Jリーガーを離れ、新たな挑戦

ープロ3年目のロアッソ熊本でJ2昇格を決めましたが、今年から活躍の場をJFLの奈良クラブに移しました。その選択に至った理由を教えてください。

Jリーガーというだけである程度の価値はあったと思います。ただ、「本当にJリーガーだけが夢を与えられるのかな」と思ったのです。奈良県にはJリーグクラブがまだありません。もし奈良クラブがJリーグに昇格したら、すごい影響力のあるチームになると思いました。

新しいロールモデルをつくるためには、Jリーグを外から見る時間が必要です。Jリーガーという肩書きを捨てることは大きな決断でしたが、奈良クラブでも結果を出せばチームとしても個人としてもJリーグに昇格することができます。面白いチャレンジだと思い、移籍を決断しました。

ーすごい行動力ですね。

浅川隼人としての価値で勝負したいと思いました。奈良クラブも人としての価値にすごくコミットしているチームなので、僕の価値を生かせると思いました。スポーツを通じて、みんなが集まれる空間をつくりたいと思っていて、奈良クラブも僕の事業に賛同してくれています。

ー浅川さんはすごく人生を楽しんでいるなと感じます。

「夢を追い続けられる環境を作る」という目的地が決まっていることが大きいかもしれません。お金で夢を諦める選手をたくさん見てきましたし、セブ島に行ったときも環境で諦めている子供たちがたくさんいました。

事業として立ち上げた株式会社resolistや一般社団法人Ultrasでも自分の夢を持ってくれるきっかけの手段として活動しています。何か少しでも支えられたらなと思っています。

ー色々な角度からたくさんの方々に届けられたらいいですね!

そうですね。僕はJリーガーではありましたけど、プロ1年目は出場試合がゼロ。プロ2年間の年俸はゼロでした。なので僕より下はいないと思います。「浅川隼人ができるなら自分もできるのではないか」という人達を僕は増やしていきたい。それが夢の裾野を広げることだと思っていますし、僕の今の価値だと思っています。

ー浅川さんのように自分の価値を生かして人生を楽しんでいる人たちは少ないと思います。何かアドバイスはありますか?

好きなものが人生を彩ると思っています。サッカーも最初は趣味の延長線上で、そこからプロサッカー選手になりました。自分のやりたい事、自分の好きなものを明確に見つけることが大事だと思います。「なぜそれをやるのか」を深堀りしていくことで、夢や目標が明確になり、自分の進むべき方向性がわかるようになると思います。

ー今後の展望を教えてください。

サッカー選手として結果を出すことは大前提で、立ち上げた事業を大きくしていきたいと思っています。ある程度の土台は作れたので、その価値を使ってどうスケールアップさせていくかを考えていきたいです。僕は0から1を作りあげるのが好きなので、もっとたくさんの人たちを巻き込んで結果を出していけたらなと思っています。

ー今後の浅川選手のご活躍を期待しております!本日はありがとうございました!

取材:とも(Twitter
執筆:吉川幸汰(Twitter
編集:本庄遥(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter