失敗し続けるから答えが見つかる。ITの課題解決にコミットする向井拓真の理念

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。

第488回目となる今回は、DXER株式会社代表取締役の向井拓真さんをゲストにお迎えし、失敗の必要性と学び続ける覚悟をキーにして、現在のキャリアに至るまでの経緯をうかがいました。

勉強は好きじゃない自分が、担任の一言で受験モードに

ーまず自己紹介をお願いします。

DXER株式会社代表取締役の向井拓真です。企業の情報システム部門で、副業やフリーランスの方を支援するサービスの運営と、企業の入退社管理をするツール開発の、2つの事業をしています。

―学生時代はどのように過ごしていましたか。

中学時代は部活ばかりしていて、授業中はずっと寝ているような学生でした。テストや入試などのタイミングで詰め込んで勉強をしていましたね。

高校時代はバスケットボールを始めたり、文化祭などのイベントでもリーダーになったりと、新しいことを始めるようになりました。

授業は相変わらずまったく聞いていませんでしたが、自分のやりたいことをしている方が楽しかったので、積極的に行動していましたね。

―勉強にはエネルギーが向かなかったのですね。受験はどう乗り切ったのでしょうか。

勉強はまったくしていませんでした。けれど担任の先生との面談で、「あなたはスイッチが入るとやり切れる人だよ」と言われたんです。先生が英語の先生だったこともあり、猛勉強を始めました。

そう言ってくれる人の存在がありがたいですし、「信じてくれてる先生のために頑張りたい」と思って、受験勉強に火が付きましたね。

ー担任の先生はどのような方だったのですか。

高校3年間一緒で、人生のきっかけをくれた方だと思っています。授業は聞いてなかったんですけど(笑)

でも受験期になって勉強に真剣に取り組んでいると、すごくわかりやすい授業をしてくれていたのだとわかりました。英語は世界を広げるツールだということを教えてくれた、自分を変えてくれた先生です。

ー大学受験の結果はどうでしたか。

難しいところに行こうと思い、国公立一本で、大阪大学を目指していました。当時偏差値35からのスタートだったので、高校3年からの残り1年未満でどこまでいけるか、という挑戦に燃えていました。

結果として前期は失敗してしまったのですが、後期で静岡大学に合格しました。入学するか悩んだのですが、先生に「選んだところで正解にすればいい」と言葉をかけていただいて、入学を決めました。

ー偏差値35からの挑戦!すごいです。大学入学後はどのように過ごしていましたか。

ここは第一志望じゃないから、という思いが強くて入学直後はトゲトゲしていましたね。ふてくされていたというか。

でも、徐々に周りと馴染んでいって、大学2年までは遊んで過ごしていました。バスケサークルにも入って、周囲と同じように普通に大学生活を楽しんでいました。

しかしだんだんと「何のためにここに来たのか」と考えるようになって。志望校もなんとなくで国公立理系を選んだので、結局やりたいことが明確ではありませんでした。

大学受験で最大限の努力をして失敗した悔しさから、その経験を良い方向に変えないと、という意識がずっとあったんです。なので大学3年生のときに、留学をしようかなと。

 

留学は、自分が逃げない環境づくり

―留学を決意したきっかけはありましたか。

大学1年のとき、世界を広げたいという思いから友人とアメリカに旅行に行きました。留学経験があった友人と違って、勉強してきた英語が話せず、コミュニケーションが全く取れなかったんです。悔しさと同時に、いろいろな人とコミュニケーションが上手く取れたら楽しそうだと思い、留学を決めました。

また、当時から「責任感のある仕事がしたい」という思いから、パイロットや経営者になりたいという漠然とした目標がありました。パイロットになるには、まず英語を話せるようにならないと、と思ったことも留学を決意した理由です。

ー留学先ではどのように過ごしていましたか。

留学先はアメリカのネブラスカ州でした。ここには静岡大学との姉妹校があったので安く行けたんです。9か月の語学研修プログラムというかたちで、授業の聴講や教授への質問などを積極的にして、勉強に取り組んでいました。

そこの大学に、アメリカのエアラインでパイロットをしている日本人の方がいたので、その方から話を聞いたり、学校で航空学の講義を受けたりしていましたね。

ーかつて苦手だった英語しか話せない環境へ身を置くのは、大変ではなかったですか。

根本的に自分は弱い人間だと思っているので、モチベーションを強制的に保つための環境に身を置かなければ、と思っていました。逃げ場をなくして、モチベーションに依存せずに解決しようと。

ー自分を分析できているのですね。その後、パイロットという夢に対してはどう考えていましたか。

留学先の日本人パイロットから話を聞いていたとき、自分が望む生活スタイルとは違うなと感じて、あまり憧れなくなったんですよね。そこからスパッと諦めてしまいました。大学受験のときと一緒で、「また失敗するのか」と思いましたね。

―留学先から戻ってきてからは、どのように過ごしていましたか。

留学から帰って2日後、大手エアラインの面接を受けました。留学先でずっと英語を話していたので、帰国後、日本語が出来なくなってしまっていて(笑) 案の定面接には落ちてしまいました。

その帰り道、集団面接が一緒だったメンバーと今までの就活体験の話をしたんです。留学経験の話とか、自分の経歴の話ではなくて「OB訪問のやり方どうだった?」とか「この質問にはこう答えるって先輩から教わったよ」というのを聞いてなんだか萎えてしまって。

自分は一生懸命やってきたつもりだったけど、そういう正攻法があるのだとわかると、違和感を覚えました。就活は答えのあるゲームみたいなものなんだなと思って、就活を完全にやめたんです。

その後は、英語力を落とさないために多国籍バーでバイトを始めました。そこで出会ったスタートアップの社長に東京でインターンをすることを勧められて、IT企業でインターンを始めました。静岡と東京に家を借りて週一回、新幹線で往復していましたね。

その社長と始めてお会いしたときに、「起業したのは、どこでもドアを作りたいからだ」とおっしゃっていたんです。それに衝撃を受けまして(笑) パワフルさとハキハキと答えている姿がとてもかっこよくて、この人のアドバイスを信じようと決めました。

 

限られた時間を全力で。縁に助けられた今まで

ーインターンではどのようなことをしていましたか。

当時、特に仕事ももらえず、やることがわからなかったので本を読んで過ごしていたんです。そのとき、上司にすごく怒られまして。「会社は学校じゃない」「本を読んでいてなんでお金をもらえると思うんだ」と指摘されました。

それをきっかけに、「何かやれることを探さなくては」とまず掃除に取り組みました。そうしているうちに社員の方に顔を覚えてもらって、仕事をもらえるようになったんです。仕事は当たり前にあるわけではないので、自分が出来ることをすることで、仕事のチャンスが生まれるのだと身に染みてわかりました。

ー主体性は仕事において重要ですよね。インターン後の就活には、どのように取り組んでいたのでしょうか。

自分がインターンをしていたとき、就活の時期はほとんど終わってしまっていたんです。けれど、たまたまそこのインターンに楽天に就職した人が多かったので、紹介をしてもらい、楽天に入社しました。

そこで自分がやりたかったことは、楽天市場に出店している企業のコンサルティングをして売上を伸ばすことでした。しかし違う部署に配属されたことで、それが実現できなかったので退社し、インターンのときの上司が在籍していた入社しました。

ー向井さんの人脈に驚きます!

自分自身で選択するよりも、誰かに出会ってその都度アドバイスをもらうことが多かったですね。自分で魅力的だと感じた人が言っていることは、納得ができるんですよ。

ー憧れの人を真似るのも近道ですよね。2社目に入社後、私生活で変化があったとうかがいました。

事故で父親を亡くしました。1年くらい会っていなかったのですが、人ってこんなにも簡単に亡くなってしまうのだと思いましたね。

そこから、「明日死ぬと思って学び続けなければいけない」と考えるようになりました。時間は有限だということに改めて気づくことができましたし、後悔しないようにすぐ行動しようと思いました。

ライフスタイルも今までとガラッと変わり、寝食を惜しまず仕事をするようになりました。ぼーっとする時間を作らず、とりあえず動こうと。

ー仕事の原動力になったのですね。この頃、副業も始めたそうですね。

はい。今の仕事だけでは足りないと思い、25歳のときに副業を始めました。本業を0時までやって、そこから5時まで副業というスケジュールでした。体力も崩していましたし、もう今ではできないことです。

―副業から今に至る流れを教えてください。

父親との別れから、副業をがむしゃらに頑張っていたので、それなりに結果を出してきました。本業では自分は第二新卒のようなかたちだったので、他の新卒の人よりも仕事の機会ももらえていたし、実績も残していました。

しかしこの頃、副業を続けるのが難しくなってしまって。新卒のときの同期に声をかけてもらい、外資系IT企業に入社しました。

―本業と副業の両方で実績を残していたのですね。

はい、ある程度は。自分の中では、副業は本業を辞めても安心できるくらいの余裕を持つというところがゴールでした。本業では1年も経たずに次の部署へ移動するのですが、そこでの課題もやり切ったし結果を残したから「ここではもういいか」と、次に自分がやりたいことの模索のために起業をしました。

 

今までのすべての経験が起業への伏線

ー学生時代の経営者の夢に近づいていくのですね。

はい。起業してからは「なぜやるのか」という思いを大事に、今まで自分がやってきたことを強みにしていこうというプランを立てていました。

起業する際、副業のキャリアが自分を後押ししてくれました。企業が個人に機会を提供できるような経営と、その機会を生み出すという二つの目的を達成するために、外資系IT企業の経験を活かし、模索を始めました。

ー起業には外資系IT企業での経験が生きているのですね。情報システムに目を向けたきっかけはありますか。

深く調べていくと、企業の情報システム部門という存在のおかげで、世界中どこでも働けるようになっていたり、企業のセキュリティリスクのないシステムを作っているのだとわかったので、そこに目をつけました。

先輩の起業家の方と話していた時も、彼らが「情シスの人が困っているんだよね」とよく話していて。情シスの人にインタビューもしたのですが、待遇が良くないと言っていたんです。企業側も、良い人がなかなか見つからないと言っていて。お互いに困ってたんですよね。

そこで始めたのが、副業やフリーランスの方を支援するサービスの運営と、企業の入退社管理をするツール開発です。

ーなるほど。今の事業の今後についておうかがいしたいです。

自分たちがやっているサービスで、感謝してくれる人がいるということに満足感と達成感があります。そして今、既存産業がIT化していく中で、これから成長するのに本当に必要なのは情シスだと肌で分かってきました。

雇用形態も、コロナをきっかけに良い意味で不可逆な流れになったと思います。企業が様々な働き方をする人をきちんと雇用できる体制作りと、自分のやってきた働き方がスタンダートになるようにしたいですね。世の中に認められる会社になるのがゴールです。

ー最後に、「一生新しいことを学び続ける覚悟」という考えは、どのようなものでしょうか。

そこに繋がる考えとして「ギブファースト、求めるは二流与えるは一流」という考えがあります。資本主義においては、何かを得るためには対価が必要ですよね。その原理に反して何かを与えられる気持ちとモノを持っているということが強みになってくると思います。

そのためには学び続けなければならないし、ネットで調べても出てこない、自らのユニークな体験をし続けないといけないと思っています。自分の失敗も誰かの成功に繋がることは大いにあります。一生学び続けることが大事なんです。

ーありがとうございました!向井さんの今後のご活躍を応援しております!

執筆:向後李花子
取材:新井麻希(Facebook
デザイン:高橋りえ(Twitter