辛い時は「成長痛キタ――(゚∀゚)――!!」と思えばいい。福祉KtoY代表・平岩なつみがご縁を大切に築いたキャリア

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第573回目となる今回のゲストは、「福祉KtoY」代表の平岩なつみさんです。

平岩さんは大学時代に、福祉の仕事のイメージアップや福祉の関係人口を増やすことを目指して学生団体「福祉KtoY」を立ち上げました。その後、新卒で入社した医療福祉ベンチャー企業を経て2020年に独立。現在は任意団体として福祉KtoYの活動を継続し、全国医療福祉学生・若者コミュニティ「WelCaMe」の立ち上げや様々な福祉イベントの企画運営、医療福祉系シェアハウス「REGIEハウス」東京・大阪の運営など幅広く活躍されています。

今回は、平岩さんの経歴をお伺いしながら、モチベーションの源泉や現在のキャリアを形成するに至った考え方に迫ります。

小学校で児童会長に。0→1の楽しさに気づく

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。

平岩なつみです。長野県伊那市出身、1994年生まれの27歳で、大学3年の時に立ち上げた「福祉KtoY」の代表を務めています。この団体の理念は、「福祉の仕事のイメージを3K(きつい・汚い・給料が安い)から3Y(やりがい・やさしさ・よろこび)へ」。福祉のイメージアップにつながる活動をする団体です。

その他にも、全国医療福祉学生・若者コミュニティ「WelCaMe」の運営や就活イベントの企画運営、医療福祉系シェアハウス「REGIEハウス」東京・大阪の運営にも携わっており、全国を転々としながら過ごしています。

ーコミュニティをリードし続けている印象を受けますが、昔からリーダータイプの子どもだったのでしょうか?

小学校で児童会長に推薦されるまで、人前に立って何かをするタイプではなかったです。当時は毎日漢字の練習を何ページもしたり、単語カードに式を書いて計算の練習をしたり……自分ルールで努力し続けていたところが頑張り屋と評価され、推薦されたのだと思います。

実際に会長をやってみて、「0→1のワクワク感」を強く感じましたね。他学年との交流を深めたくて、縦割りで給食を食べる企画を0から企画したんです。自分の頑張り次第で学校をより良くできるなんてすごい、と幼いながらに感動したのを覚えています。その後、中学でも図書委員長と女子バレーボール部部長を務めました。

受験で青天の霹靂。浪人生活で地元愛を育む

ー新しいものを生み出すのが得意だったのですね。高校時代の思い出も教えてください。

大学受験で不合格になったことが本当に衝撃的でした。

高校は地元の進学校に入学し、大学進学を考えていたのですが、祖父が認知症だったこともあり福祉職には馴染みがあったので、「福祉の道に進みたい」と思うようになりました。そうして決めた第一志望が、金沢大学地域創造学類福祉マネジメントコース。センター試験と二次試験があり、センター試験がうまくいったので絶対に受かったと思っていたんです。

しかしながら、二次試験の国語で気が付かないうちに読み間違いをしてしまっていて。結果を見て自分の番号がないと気づいたとき、天地がひっくり返るような衝撃を受けましたね。

ー心配していなかった分、ショックが大きかったのですね。その後、どのように切り替えられたのでしょうか?

正直時間はかかりましたが、周りにも浪人をする友人がいたのもあり「予備校に行くしかない」と切り替えることができたんです。予備校では他校卒の友人もでき、予想以上に楽しく過ごせました。

県外の大学に進学することは当時から決めていたので「今のうちに地元・長野県を知っておこう」という思いもあって。息抜きがてら伊那市にある日本三代桜の名所に行ったり、松本城下町を散策したり……地元に愛着を持つきっかけになりましたね。

予備校の同級生も長野県各地から集まってきていたので、方言が違ったんです。地域ごとの特色や文化の違いに興味を持ったのも予備校のおかげかもしれません。

人生のどん底で気づいたのは、相手の立場に立つ大切さ

ー1年後、平岩さんは「金沢大学地域創造学類福祉マネジメントコース」に見事リベンジ合格を果たします。大学ではどのように過ごされていたのでしょうか。

まちづくりの観点から福祉を学んでいました。予備校時代に地元の魅力に気付き、地域活性化に興味を持った経験が活きましたね。

学業の傍ら、バレーボールサークルにも没頭していました。とにかくメンバーが好きで、活動がない日にもホームパーティーやドライブをして。気がついたら自分の居場所になっていて、当時の優先順位はサークルが1位でした(笑)。先輩が後輩を楽しませる文化があったので、2年生になってからは積極的にイベントを企画するようになったんです。

ー「何かを企画すること」では、平岩さんの強みが発揮されそうですね。

1年生の頃、先輩方との関わりの中で緊張して自分を出し切れていなくて。それまで積極的なタイプでなかったのに急にやり出したので、周りから「変わったね」「前の方が良かった」などと言われるようになりました。信頼していた先輩に相談したものの、依存に近い状態になり煙たがられてしまって。

同時期に父が大病を患っていることが発覚し、母から泣きながら告げられました。悩んだときはいつも母に相談していましたが、このときは「これ以上心配をかけられない。親に頼ってばかりではダメだ」と思い、相談できなかったですね。

また、親はいつか自分よりも先に逝ってしまうんだということを思い知らされ、一人っ子の私は大きな孤独感を感じました。居場所の重要性に気付いたのはこの時かもしれません。

ー嫌なことが重なり、辛い思いをされたのですね。

まさに、人生どん底。どうしてこんなことになったのか、7時間お風呂に浸かって考えたこともありました。とことん内省した結果分かったのが、「相手の立場に立って考えられていなかった」ということ。忙しい中相談に乗ったのに、何を言っても相手が卑屈になっていたら疲れてしまいますよね。

それまでの私は「こんなに大変なんだから寄り添って欲しい」と思ってしまっていましたが、これをきっかけに、これまで自分の時間を割いて話を聞いてくれていた人たちの存在がどれだけありがたいことだったか、ということに気づき、これからは、大変なときにそばにいてくれる人にもっと感謝しようと思うようになりました。

ーマインドが変わった結果、状況はどのように変わったのでしょうか?

交友関係の変化がありました。サークル以外でも自分の居場所を作るため、学生団体のイベントに頻繁に参加するようになったことがきっかけです。

その中で、街なかでお酒を飲みながら、経営者・起業家を中心とする社会人と学生で語り合う機会がありました。すると社会人の方から「君は何をやっているの?これからどうしたいの?」と訊かれることが多くて。「福祉の道に進みたい」とは答えられたけれど、それ以上浮かばなかったんです。

私は負けず嫌いなので答えられないのが悔しくて、思いついた答えを口に出していました。それが「福祉のマイナスイメージを変えたい」でした。

福祉のイメージを変えたい。対話を通じ明確になった想い

ー社会人との関わりの中で、平岩さん自身の想いに気がつけたのですね。

はい。さらに、社会人の方から「いいね。やっちゃいなよ」と前向きなお言葉をいただきました。

私は「もう少しキャリアを積まないと無理」と思っていたので衝撃を受けましたが、同時に「同世代や若い人が福祉に抱いているイメージを変えるならば、学生の立場で発信した方が説得力・影響力を持てる」と納得もしました。福祉のイメージを変える活動を学生時代から行いたいと初めて思ったのはこの時です。

その後ご縁があり「石川県の福祉介護を元気にしようプロジェクト」に誘われたのがきっかけで、学生団体として「福祉KtoY」を立ち上げました。その後の活動は挑戦と挫折の連続でしたが、その度に過去にイベントで出会った経営者の方の言葉を思い出しています。その中でいただいた「今苦しいと思うならそれは成長痛で、絶対に今後に活きるから喜ばしいことなんだよ。苦しいときは、成長痛キタ――(゚∀゚)――!!と思えばいい」という言葉は、今でも励みになっています。

ー学生時代から濃い経験をされていますね。新卒で医療福祉ベンチャーに就職されていますが、きっかけを教えてください。

福祉KtoYの活動の一環として、「AMAZING FUKUSHI FESTA」という一大イベントを企画運営し始めたのですが、広告協賛などでお世話になる企業様が増えていて。内定したのも、その中の1社でした。在宅医療や障害者就労支援を専門とする企業でしたね。

大学4年の頃に父が亡くなり、伊那市の実家で母が一人暮らししていたので、なるべく早く実家に帰りたいと思っていたんです。そのため、「支社を立ち上げたい」と手を挙げればやらせてもらえる環境だと感じたのと、就活時期に父親の在宅介護に関わって地域医療、地域福祉の大切さを実感したのが決め手になりました。

ー新卒で入社してみていかがでしたか?

学生時代から活動していたことを代表からも評価していただき、採用担当からデイサービス介護職、新規事業営業など幅広く経験できました。多くのことを学ばせていただき、貴重な2年強になりましたね。

一方で、「福祉KtoY」の活動を続けたい気持ちも強まっていました。休日だけでは活動時間が足りず、もどかしかったですね。両立させるため「業務委託で働きたい」と会社に打診していましたが、実現の目処が立ったところで新型コロナが流行し始めて。営業活動が思うように進まなくなり、求められる成果と実際に自分が出せる成果との間に大きなギャップが出ることが明白だったので、退職を決意しました。

ーキャリアを変えるきっかけになったのが、新型コロナだったのですね。

そうですね。加えて、住んでいたシェアハウスの影響も大きかったと思います。

フリーランスの方やアルバイトで生計を立てている方が多いシェアハウスだったので、自然と正社員以外の働き方も選択肢に入るようになっていました。そのタイミングで「医療福祉系シェアハウスの管理人にならないか」とお声がけいただき、やってみようと思いましたね。

シェアハウスの仲間が背中を押してくれたんです。一人暮らしだったらここまでの決断はできていなかったと思います。

これからも、信頼できる仲間とともに

ーご経歴を伺い、「福祉のイメージを変えたい」という強い想いをベースに、周囲の人と協力し合いながら活躍されている印象を受けました。

そうですね。「ご縁に感謝する」を人生の理念にしているんです。

たくさんの人と出会ったり、新しいことに挑戦したり。そのようにして道は開けるのだと思っています。挑戦する中で経済的な余裕を失いながらも仲間と一緒にやりたいことを形にするのは、私にとってワクワクすることなんです。

このように思えるようになったのはやはり、「苦しいときは、成長痛キタ――(゚∀゚)――!!と思えばいい」と教えてくれた人がいたからだと思います。

ー平岩さんが今後挑戦してみたいことがあれば、教えてください。

やりたいことは山ほどあります(笑)。

現在運営している全国医療福祉学生・若者コミュニティを拡大させ、広く深いつながりを作ることでキャリアや人間関係に悩んでいる人の相談役になりたいですし、就活イベントもどんどんやっていきたいです。大学4年生で作った、福祉を学べるボードゲームの商品化も進めたいですね。

実家をリノベーションし、母と一緒に高齢者や障害を持つ人が集まるゲストハウス機能が付いたシェアハウスを作りたいとも思っています。このような居場所作りをリアルでしながら、オンラインでもコミュニティを広げられたら素敵だと思っています!

ー本日はありがとうございました。平岩さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:山崎貴大(Twitter
執筆:田中沙都(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter