様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第430回目となる今回は、シンガーソングライターのはたなかみどりさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
1年半前に、小学生の頃から抱いていたシンガーソングライターの夢を実現された、はたなかさん。夢を諦めかけた時期もありましたが、自分の心の声に寄り添い仲間に刺激されて再び夢に向かって歩み続けました。はたなかさんの人生を追いながら、最終的に夢を実現した過程を紐解いて行きましょう。
中学生からバンド活動に熱中
ー本日はよろしくお願いいたします!まず、はたなかさんの現在のお仕事や活動を教えてください。
シンガーソングライターとして活動しています。フリーランスの仕事をやめて、1年半前から始めました。普段はライブやライブ配信、楽曲作り、YouTubeコンテンツ配信をしています。現在、10月に開催される予定の「ICHI FES」というフェスの発起人としても活動中です。
ーやはり、幼少期から音楽に当たり前に触れられるような環境だったのでしょうか?
家族の中で音楽をやっている人は誰もいません。普通の一般家庭で育ったので音楽はお金がかかって大変でしたね(笑)
音楽を始めるきっかけは親と親戚です。おもちゃのピアノで色々な曲が弾けたらしく、3歳から街の小さいピアノ教室に通わせてもらいました。ピアノは中3くらいまで続けていましたね。クラシックは苦手でしたが、途中で好きなポップスを弾かせてもらえるようになってからはピアノに楽しく向き合えるようになりました。ピアノだけではなく、8歳から作詞も楽しんでやっていました。
ー学生時代にはたなかさんが頑張ったことはありますか?
一番頑張ったのは、中学から続けていたバンド活動です。中学生のときに学祭で演奏するために初めてバンドを組みました。12人で1バンドだったので、曲によって演奏する人を変えていくスタイルで私は主にキーボードを担当していて、数曲歌った記憶があります。
高校でもバンドがやりたかったので公式で軽音楽部がある高校に進学しました。地域で一番ハードルが高い進学校でしたが、バンドがやりたい一心で頑張って勉強しましたね。
高校生になって学外で活動できるようになり、初めてライブハウスでライブをして楽しかったのは今でも覚えています。
当時お世話になっていたスタジオがあり、オーナーの紹介で大人のバンドグループと繋げてもらいました。そのバンドグループと一緒に音楽を学んだり、ライブに行ったりと毎日深夜2時に家に帰ってくる生活でした(笑)。両親には心配をかけていたと思います。
ーその時は音楽に関わる仕事がしたいという思いはありましたか?
そうですね。できたらバンドや作曲活動で食べていけたらいいなと思っていました。ただ、周りに音楽で成功している方がいなくて、やり方もわからなかったので具体的に将来音楽でどう生きていくかは見えていませんでした。
音楽をやる意義を再確認できた大学時代
ー大学受験期はどういうふうにとらえて勉強していたんですか?
高3の初めまでは、進路が決まっていなかったんですよ(笑)。
もともとは音楽の専門学校に行けたらいいなと思っていましたが、学費の高さと卒業後の進路に不安があり……。
それで大学という選択肢の中で何ができるかを考えるようになりました。あまりお金がある家ではなかったので、音楽学科がある県内で国公立の教育大学を目指しました。クラシックメインの大学だったのでポップスを専門には学べませんでしたが、作曲を学べたり、音楽の先生を目指せたりと将来の仕事への淡い期待がありましたね。
受験でピアノと歌の実技試験があったので、実技の力をつけるのが大変だったことを覚えています。クラシックは弾ける曲が1曲もなかったので決めた曲を1年間ひたすら練習、歌は素人だったので声楽を勉強しました。
ーそれで、大学には無事合格できたのですね!大学生活自体はどうでしたか?
大学で立ち上げたボランティア団体のおかげで音楽をやる意義を再確認できました。実は大学時代にバンドをやっているときも何のためにやっているのかわからなくて悶々としていたんです。今までの音楽の続け方で誰かのことを幸せにできるのか疑問でした。
そんなときに軽音サークルにいた先輩に誘われて東北に行くことになります。東北に行って何かできることないかなと探していたときに、現地で出会った教頭先生が「みどりちゃんは音楽ができるからチャリティライブをやったらいいよ!」と言ってくださったんです。岐阜県高山市でレストランを経営している被災者の方を紹介されて企画してみることにしました。
一人でやるのもなーと思って仲間に相談したら、サークルのメンバー、アカペラをやっている幼馴染、クラシックが得意なメンバーなど多ジャンルのメンバーが集まり、チャリティーコンサートを開くことに。これがきっかけで音楽のボランティア団体を始めます。最初は10人くらいで始めましたが、徐々に人数が多くなっていきました。東北の震災復興がメインでしたが、他にも町おこしや老人ホームの訪問をしていましたね。
バンド活動は途中で休止してしまいましたが、チャリティライブの活動は4年生まで続けました。
就活で、「自分の人生に妥協するのはやめよう!」と決意
ー大学でかなり色んな人を巻き込んで活動していましたが、社会にでたら何をしたいと考えていたのでしょうか?
最初は音楽で社会に貢献できるような道を探していて、音楽に関われる会社でインターンをしていました。しかしインターン先の社長に「誰かのためにとか社会のためにとか思っていないで、本当にはたなかさんがやりたいことをやったほうがいい!」とガツンと言われて。
これを機に、自分がワクワクしていることは何だろうということを考えます。なかなか答えが出ずに休学をしたあと、路上で出会った人に話を聞いて、即興で歌を作る活動を始めました。やりたかったことが実現できてとても楽しかったのを覚えています。
そのあと今の夫に出会い、一旦路上の活動は止めて千葉で彼の経営を手伝っていましたが、経営がうまくいかず。社会の厳しさを知り自分でお金を稼ぐ力を付けないといけないと思いました。そこであるITベンチャーで1年間インターンをして休学2年目に入った夏に内定をいただきました。
ー内定が出た会社には就職したのでしょうか?
就職していません(笑)。卒業する年に屋久島に行って、森をゆっくり歩くツアーに参加したときに「身体を痛めつけてまでバリバリ働く働き方は違う!」と気づいたんです。
当時は朝早くから夜中までずっと働いていて、コンビニでご飯を買ってテキトーに食べていたんですよね。
その会社で作り出していくものに価値があっても、そのプロセスで人が健やかさを保てない働き方だったら意味がないなと。会社は好きでしたが、少し違うかなと思い始めたのが卒業する年の夏で、内定をお断りしたのが内定式すぎた後の12月でした。
残り3ヶ月で卒業だったので、周りには反対もされましたね。
ーそこからはどのような働き方をしようとしましたか?
自分の人生に妥協しない生き方、働き方を選ぼう!と決心しました。
実は両親に音楽の先生になることを勧められて教員採用試験の勉強を始めていましたが、当時シェアハウスをしていた友人が新しい仕事を0から作っていこうともがいて頑張っていたんですよね。大変そうだけれどキラキラしている友人をみて、妥協して音楽の先生になろうとしている自分がみじめに感じてしまったんです。
音楽で食べていく姿は想像できなかったので、以前友人が私に合いそうと教えてくれたグラフィックファシリテーションに挑戦することにしました。しばらくは実績を積むためにひたすら描きに行きましたね。最初は全く仕事になりませんでしたが、半年後くらいから徐々に案件が取れていきました。
そこから1年半前にシンガーソングライターに転身するまで、3年くらい主にグラフィックレコーダーとして活動していました。
自分の感情に向き合い長年の夢に再挑戦
ー1年半前にシンガーソングライターに転身されたのはなぜですか?
もともとシンガーソングライターになりたかったのは小学生の頃でしたが、夢見てる人みたいで恥ずかしくてそれを口に出しては言えませんでした。
しかし私のコーチングを担当していて友人でもある、げんちゃんの限界を超える挑戦をピアノの先生として近くで見て、もう一度幼いころの夢を追う決心をします。げんちゃんは人生で一度もピアノを触った経験も楽譜を読んだこともないのに、3ヶ月後に50人集客してピアノの弾き語りライブに成功したんです!
一「ICHI FES」の企画に至ったのはどのようなきっかけがありましたか?
理想としているフェスがないから自分たちで企画しようと思ったのがきっかけです。
昨年7月くらいにげんちゃんのインスタライブの公開コーチングセッションでゴール設定をしました。そのときに昔何回か行ったことのある「ap bank fes」の光景が思い浮かび、「私は本当はあそこに立っていたいたかったんだ!」という心の声が聞こえてきたんですよ…….。
ただ、「ap bank fes」は今は別の形で存在していて元のフェスはありません。そこで「ICHI FES」の構想が生まれて昨年の8月から活動を始めています。夢が大きすぎて叶うわけがないと思いましたが10月に向けて挑戦中です。
ー「ICHI FES」開催のために、今はどのような準備をされているんですか?
今一番頑張っているのは、周知活動ですね。苦労してますが、クラウドファンディングで資金集めと集客をしたり、8月の一般チケット販売に向けた準備をしたりしています。
また、引き続きフェス自体の内容を練っています。アーティストの出演依頼や出展者を探すところは形になってきているので、そこからどうやって企画をブラッシュアップしていけるかの案を出し合っている状態です。
ー今後どういうことにチャレンジしていきたいですか?
まずは「ICHI FES」を成功させたいです。一度きりではなくて今後も続くようなフェスにしたい。フェスのエンディングソングに、ミスチルの櫻井さんを呼びたいので、どうしたら実現できるかをみんなで考えている最中です。
プライベートでは、ストリートピアノで近々全国に遠征して演奏したいと思っています。1週間ほど前に始めたばかりですが、ストリートピアノが自分に合っているような気がしているんですよ。
ー普通なら無理だと思うことを口に出せるようになったきっかけは何でしたか?
私の場合、やりたいことをやり尽くしてしまって選択肢がなくなってしまったからです。
自分が本当にやりたかったことは誰しも心の声としてあると思いますが、やってみて失敗するのが怖いので多くの人は聞きたがらないと思うんですよ。自分の心と向き合わないとずっと「なんか違うな」と思いながら生きることになります。
失敗したとしてもやらなかったときの後悔の方が大きいと思うと、口に出して実行した方がいいのでは。本当にやりたいことをやらないともったいない。自分の命にも失礼な気がしています。
ー自分が本当にやりたいことを見つけるためにどのようなことを心掛けていますか?
まずは、些細な違和感、感情の揺れに気付くこと。今どういう気持ちなのかを言語化してみたり、毎日または毎週振り返って感情の日記をつけたりしていますね。
次に、心に余裕を持つためにも必要のないものは手放していくこと。ワクワクや奇跡、チャンスをキャッチできるだけの心の器、スペースを開いておくことが大事です。
最後に、もちろん実際に行動に移して形にしていく段階での冷静な視点は必要ですが、物事を始める段階で120%応援してくれるコミュニティーや友達の存在を大切にしています。
ーありがとうございました!シンガーソングライターとして、そして「ICHI FES」の成功を応援しています!
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、「ICHI FES」はオンライン開催になりました。
取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:長谷川瑞季
デザイン:高橋りえ(Twitter)