誰かの原動力になる生き方をしたい。子供に寄り添うコーチングコーチ・ゴリが目指す道とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第437回目となる今回は、Youtuberとコーチング業務をしているゴリさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

野球選手としての実力の壁、友人の死など数々の挫折を乗り越えてきたゴリさん。「一度しかない人生において、私の生き様を通じて1人でも多くの人にエネルギーを与えたい」という思いを持つようになった経緯についてお話しいただきました。

「若い人に希望を与えたい」という思いで活動

ー自己紹介をお願いします。

消防業務を4年経験し、現在は家業の仕事をしながらコーチング業務をしている24歳です。

高校時代は、甲子園常連高の野球部において、野球に取り組む姿勢や野球以外での生活態度、人間性を評価してもらい、高校2年生春にベンチ入りを果たしました。

大学時代は硬式野球部の主将兼選手監督を務め、模範生として大学を代表して表彰していただきました。

前職では、消防士になって1年目の消防学校では、1年間を通じての成績、訓練技術、人間性等を高く評価していただき、首席で卒業しております。

ー今現在取り組まれている活動やお仕事について教えていただいてもいいですか?

現在は電気関係の家業を手伝っている一方で、中学生向けのコーチングを副業としています。

また 「社会人になっても青春できる」というコンセプトで、若い人たちに向けたYouTube の活動もやっておりまして、その3つを軸にやっています。

家業は辞めて、7月からは新しい職場で働きます。

ーコーチングはどんなことをされているのですか?

中学生の子を対象に依頼を受けていて、子どもの内省力や自己肯定感、実行力を高めるというコンセプトでやっています。やりとりをしていく上で、子どもたちのやりたいことを引き出せたらと思っています。

コーチングは独学で学びました。

きっかけは友人の勧めで、たまたま話が舞い込んできて始めました。

ー家業についてお聞きしてもいいですか?

家業は電気関係です。ずっと続けていく予定でしたが、家業で働いている兄から「いつでもここには戻ってこれるんだから、若いうちはいろんな経験を積んでこい」と言ってもらったので、7月から別のお仕事で働くことに決めました。

ーYoutubeの活動とおっしゃっていましたが、どういった内容をされているんですか。

地元の友達と一緒に、大人になっても青春をしている動画をアップしています。若い子たちに「社会人になっても青春できる」を伝えるコンセプトにしています。

地元の友達とは昔から仲が良くて、昔から「地元のメンバーでYouTubeやりたいな」という話をずっとしており、社会人になって「人生一度きりだし、今しかできないことにチャレンジしてみよう」と思って始めました。

やってみるとすごく楽しいですね。チャンネル登録1000人を目標として公言していましたが、始めて1ヶ月で達成しました。

ー多岐にわたって活動されているんですね!

野球で活躍していた子供時代

ーここからは原点を遡ってお話を伺いたいと思います。生まれてから小学校まで、印象的だったことはありますか?

小さいときから体が大きくて、ガキ大将でした。幼稚園のときに印象的な出来事といえば、幼稚園の先生に椅子を投げた経験があります(笑)

ガキ大将と言っても、リーダー的存在というよりは勝手に暴れているような感じでした。

小学校のときも、力があり余っていて鬼ごっこでタッチしただけで、友達が怪我をしたというエピソードがあります。

ー強すぎる小学生ですね……!小さい頃からスポーツなど体を動かすのが好きだったのですか?

そうですね。長男、次男、私の3人兄弟なんですけど、3人とも野球をやっています。野球は兄の影響で幼稚園の年長から始めました。

最初は野球というよりは遊んでるような感じで、兄が行っていた少年野球で一緒に混じってやっていることもありました。

ーきっと大活躍だったんでしょうね!中学校で何か変化はありましたか?

中1の頃までガキ大将でしたが、中3で学級委員をしたということもあり、学年が上がるにつれてだんだん落ち着いてきた感じです。

中学校時代は部活とは別で、校外でシニアリーグという硬式野球のチームでやっていました。

部活動は陸上部でしたが、やりたかったというよりも、野球に生かす競技は何かと考えたときに陸上がいいと思いました。陸上部に入ったものの、そこまで熱が入っていなかったので、他の人が真面目にやってる中で友達と一緒にふざけながら鬼ごっこしたり(笑)

野球自体は大学まで続けていますが、本気で野球に取り組んでいたのは高校まででした。

高校での挫折。自分にできることで勝負

ー高校は念願の仙台育英に入学されて、どのような環境の変化がありましたか?

今までとは全く違いました。中学までは体格の良さを武器に野球ができたんですけど、高校だとそれでは勝負できなくて。

全国各地から強豪が集まっている中で、野球の技術の差が如実に出るというか。野球の能力が劣っているという現実を突きつけられた瞬間でした。それでも野球部は続けていました。

ー厳しい戦いの中でも、どんな努力や継続をしていたのですか?

高校入学した当初は、挫折をして自分の実力のなさを痛感し、イジメにも遭ってどん底にいました。

高校への進学は、親や周りの反対を押し切って自分で決めたからこそ、何かしらの結果を残したいと思いもありました。

「野球では勝てないけど、生活や人間性では勝負できる」という思いがありました。例えば高校生活の中でテストで他の人より良い点を取るとか、昼休みの時間を使って校内のゴミ拾いをやるとか。

野球の練習においても「誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残って練習する」と決めていました。その成果が実を結んで、高校2年生の春の大会に、ベンチ入りを果たしました。

ー大学では、どのような活動をされていたのですか?

大学1年生のときも、昼休みの校内清掃を1人でやっていましたが、その活動を大学3年生のときに学校側から認められ、模範生として表彰してもらいました。

それから野球部に所属して、 主将と選手監督を兼務させてもらいました。

地域の消防団にも所属して、仙台市に高く評価してもらい、宮城県の学生で初めて表彰していただきました 。

ー勉強や奉仕活動、部活動とかなり忙しい大学生活だったと思いますが、野球部は途中で辞めたんですよね?

プロ野球選手でやっていければ良かったんですけど、自分の実力ではまず無理だろうと気づきました。

「次にできることは何か」を考えたとき、消防士になりたいと思いました。

大震災のときに消防士の姿を見ていたんですが、純粋に「かっこいいな、こういう生き様を歩めるような人生を歩みたい」と感じたので。

消防時代に感じた葛藤と未来に向けた決意

ー就職先はどのように決めたのですか?

消防士は、ずっとなりたいっていう思いがあったので、迷いませんでした。

大学時代に出会った親友も消防士を目指していて、消防士になるために一緒に勉強していました。でも、大学4年生のときにその親友を失いました。

それが一番の人生においては印象的で、私の中では大きな出来事ですね。

ー辛いことがあったと思いますが、ご自身の中で気持ちや考え方に何か変化がありましたか?

正直失った直後は現実を受け入れられなくて、実感は今でもできません。

彼は本当にまっすぐで、誰にでも優しい男で、常に人に良い影響を与えていたんです。彼の生き方がそうであったように、誰かの原動力になる生き方をしていきたいと思っています。

ー親友の在り方が、今のゴリさんの優しさに繋がっているんですね。消防学校は今までの学校生活と変わる部分がありましたか?

厳しい環境で、牢獄という感じでした。ご飯の時間やお風呂の時間など、朝から晩まで教官に見張られています。例えば食事のときは、メンバー100人全員が配膳完了するまで、全員前方直視していないといけない。

少しでも気を緩めて、目をそらしたり動いたりすると、教官の厳しい指導が待ち受けていました。

ー厳しい環境の中で「嫌だな」とか「厳しいな」と思うことはなかったんですか?

「厳しい環境なんだろうな」っていうのは思い描いていたんですけど 、それ以上に厳しかったので、ビックリしました。

それでも逃げずに頑張れたのは、亡くなった親友の存在が大きかったですね。親友とは、生前に「消防学校で首席を取る」という約束をしていたので、心の中で支えてくれました。

消防学校との仲間とは、学校にいたときから団結していて、今でも仲良くさせてもらっているので、厳しい反面で得られたものはすごく大きかったです。

ーそこから消防士になるわけですが、学校を卒業されてからどのような意思決定をされていますか?

消防学校を卒業したら、職場から指定されてそれぞれの場所に配属されます。
消防学校の1年間は厳しかったんですけど、こんな仕事なんだと現実を知りました。

田舎に配属されたんですが、本当に何もしないで1日テレビを見て終わる日もざらにありました。

ーここまで頑張ってきた分、辞めるのはかなり勇気が必要だったんじゃないですか?

正直すごく悩みました。私の中では、消防でずっとやっていくイメージでいました。

ただ、そこで抱いた違和感に今向き合わなかったら、今後も絶対後悔するだろうなと。20代前半のうちに大きなリスクを背負いたいと思って、決断しました。

一度しかない人生で、40年間消防の業界のことしか知らないで生きていくのは嫌だったんです。

今はすごく充実してるんですけど、辞めた直後は辛い時期がありました。何事も痛みは伴うんだなと。ここからどうやって生きていくかというのがテーマで、まさに模索をしている途上にいます。

一度きりしかない人生、本音のままに

ーYoutube、家業から別のお仕事、コーチングなどもされていて、これからどういうコンセプトや価値観で生きていきたいか、どんなことをやってみたいか教えてください。

親友を失ったときから、「誰かの原動力になるための生き方をしよう」とテーマは決まっていました。

私は消防を辞めた理由の背景として、社会の辛さを知ったということがあります。1回り、2回り以上の大人から言われる人格否定であったり。

言葉の重みや痛さを知ってるからこそ、未来ある子供たちにフォーカスしていきたい思いがあります。コーチングも子供向けですし、YouTubeも学生の子たちを対象にしています。子供たちが希望を抱いて未来に進んでいけるように、何かしらの手伝いをしていけたらなと思っています。

大人から言われる人格否定の言葉の痛さを知っているからこそ、子供たちには大人たちから悪い影響を受けてほしくない。私の力でいい影響を与えていきたいです。

ー思わぬ挫折を多く経験し、乗り越えてきたゴリさん。思う通りに行かなかったとき、どういう捉え方と方法で乗り越えていますか?

挫折から得られた経験を知っているからこそ、強くなれる。痛みを知ってるからこそ、優しくなれると意識しています。

最近は苦しい感情や悲しい感情が芽生えたときは、それごと受け入れるようにしています。消防の現場で、上司から嫌がらせをされたときに、ポジティブに考えようと思っても考えられない時期を経験しているので、無理にポジティブに変換する必要はないと思うんです。

もがいた分だけ、楽しさが待っていると思います。

ー日々何か違和感があったり、嫌がらせやいじめを受けていたり、逆境に立たされていても、なかなか一歩を踏み出せない方もいると思います。そういった方に勇気を与えるアドバイスやメッセージがあればお願いします!

私自身もいろんな苦しい経験をしてきましたが「決してその環境だけがあなたのいる場所ではないよ」と言いたいです。

選択肢を減らすことはない。人生どうせ一度きりなんで、あなたの本音のままに生きていいと思います。

ーありがとうございました!ゴリさんの今後のご活躍を応援しております!

>>ゴリさんのYoutubeチャンネルはこちら

取材:高尾有沙(facebook/Twitter/note)
執筆:馬場史織(Twitter/note)
編集:杉山大樹(Facebook / note)
デザイン:高橋りえ(Twitter