ラーメン屋は手段に過ぎない、学生起業家 西 奈槻が目指す選択肢のある社会とは?

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第449回目となる今回は、近畿大学農学部に通いながら、ラーメン店「すするか、すすらんか。」を経営する西 奈槻さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

「するるか、すすらんか。」は新たなるラーメンジャンル「ビジョン系ラーメン」を掲げて、ラーメンの枠にとらわれず、若者の選択肢を広げる支援を行っています。活動の背景にある想いに迫りました。

「やるか、やらんか」、即日で決めた飲食店の開業

ーはじめに自己紹介をお願いします。

近畿大学3年生の西と言います。地元の奈良県奈良市を盛り上げたいとの想いからラーメン店を開業しました。2021年には、中川政七商店が取り組む奈良のまちづくり事業によるコンサルティングを経て、店名を「すするか、すすらんか。」へと改名しました。看板メニューは「麻婆豆腐ラーメン」です。

ーメニューも店名もインパクトの強いラーメン屋ですね。どういった経緯で開業されたのでしょうか?

店名は、自信の口癖でもある「やるか、やらないか」から取っているんです。

大学に進学して何かを始めようと迷っていた時に、いろんな挑戦をしている人を訪ねてお話を伺ったりしていたのですが、その内のお一人が「場所を提供するから飲食店をやってみないか」と声をかけてくださったんです。「やります」と即答しましたね。

とは言っても料理が出来たわけではないので、料理好きな友人を誘いました。彼の得意料理が麻婆豆腐だったので、店のオリジナルレシピとして麻婆豆腐ラーメンを思いついたんです。

ほとんどノリで決めていましたね。市場調査も戦略も何もない。SNSで集客を試みたりもしましたが、コロナ禍での営業はなかなか軌道に乗りませんでした。ありがたいことに中川政七商店さんのコンサルティングを受ける機会をいただいたことで、やっとラーメン屋を通して自分たちがやりたいことがはっきりとし、新しい一歩を踏み出せている感じです。

ーまさに「やるか、やらないか」ですね。出会いをチャンスに変えている感じがします。

何にでもトライしてみる性格は、親の影響が大きいと思います。子どものころから何かやろうとしたとき、親が引き留めることはありませんでした。応援してくれたからこそ今の自分があると思います。

ドラマーを夢見て渡米。やりきった先に出会えた今のキャリア

ー高校生の時はプロドラマーを目指していたそうですね。

はい。ドラムと出会ったのは小学生の時です。学校で金管バンドのクラブがあったのですが、そこでドラムを演奏していた先輩に憧れて自分もドラムを始めました。昼休みの音楽室に足しげく通って、その先輩から教わったりしていましたねサッカーやバスケ、野球などいろんなことにチャレンジしてきましたが、ドラムほどはまったものはありません。中学では吹奏楽部に入って、部長に推挙されるほど練習に明け暮れていました。ドラムだけでなくリーダーシップやマネジメントを学ぶきっかけにもなりましたね。

大きな転機となったのは、高校に入ってからです。部活でドラムを続けるのではなく、大人の世界に飛び込もうと考えました。

ー学校外でバンド活動などを始めたのでしょうか?

バンドにも参加しましたが、メインではマーチングバンドのチームに所属していました。通常は大学生以上しか所属できないのですが、熱意を汲んでいただいて特別に加入させてもらったんです。レベルが高くて、ユニバーサルスタジオジャパンのパレードで活躍する人も多かったですね。一人ひとりの意識が高くてとても刺激になりました。部活動とは全く異なる環境でした。そんな大人たちに混じって演奏していると当然負けることばかりでした。ただ、それが楽しくもあったんです。

ー高校生のうちからそうした環境に飛び込むことで得た学びはありましたか?

何のためにドラムをやっているのかを考えるきっかけになりました。それまではただ上手になりたい一心だったのですが、周りの先輩を見渡せば、ドラムで何を表現したいかを明確に語れる人ばかり。自分の薄っぺらさを痛感しましたね。

実は、それ以前からアメリカのマーチングバンドに挑戦するという夢を持っていたのですが、そこに対するモチベーションも改まっていきました。ただ上手くなるために渡米するのではなく、ドラムを通していろんな人に感動を与えるためには避けられない道だと考えるようになったんです。

ー実際に渡米したのですか?

高校3年生のときに、マーチングバンドの世界大会で1位にもなったことがあるチームのオーディションに参加したんです。たった一週間程の期間でしたが、人生で一番大きな衝撃を受けましたね。最年少クラスのオーディション参加者だったとはいえ、ほかの参加者のレベルは圧倒的でした。アメリカ人は、日本人とは異なる感性、リズム感を持っているのだと思いましたね。

ー大きすぎる彼我の差を感じたと?

むしろそのおかげで納得できました。自分にはドラム以外の選択肢があるのだと。そのまま大学へ進学したのですが、ドラムから1年ほど離れたころに示されたのが飲食店経営という道だったんです。

ラーメン屋の枠を超えて、日本の若者が変わるきっかけをつくりたい

ーあらためて、「すするか、すすらんか。」での活動について教えてください。改名に際して、ご自身のなかにどのような変化があったのでしょうか?

今でこそ整理がつくのですが、ドラムは自分にとって自己表現方法の一つにしか過ぎなかったのです。本当にやりたいことは、人に感動してもらうこと、元気になってもらうこと。その事実に気づけたのも、今後、この店を通じて何を成し遂げたいか考えたことがきっかけでした。

その気づきを得て、改名と一緒にビジョンを定めています。「日本の若者に”選択肢”を示す」ことが僕らの願いなんです。こうした言葉を掲げることで、事業でやることやらないことも決められるようになりましたね。

挑戦して初めて分かることがあるのに、社会観念にとらわれて最初の一歩を踏み出せない若者が大勢います。そうした若者を飲食を起点として支援していき、進学や就職以外の選択肢があることを伝えていきたいのです。

「すするか、すすらんか。」という空間で、自分たちのラーメンを食べてもらうことで感じてもらえるものがあるはずです。そういった想いも込めて、僕らは新ジャンル「ビジョン系ラーメン」を広げていくのだと意気込んでいます。

ー単なるラーメン屋の枠にとらわれない事業展開を考えているのですね。今後はどのような活動をおこなっていくのでしょうか?

まずは、自らが若者の多様な可能性を示すフェーズだと考えて、店の経営に集中しています。その先のステップとして巻き込みがあり、その拡大フェーズがあると考えています。

巻き込みとは、自分たち以外の若者に、自分たちの未来に多様な選択肢があることを経験として学ぶきっかけを提供することです。

実際に大規模な飲食フェスティバルに出展しようとする飲食店と学生とをマッチングさせて、学生に飲食業のプロデュースや経営を体験してもらうという取り組みを始めています。

学生にとっては、普段は得られないような繋がりをえるチャンスです。とても良い経験になっていると思います。

ー西さんが実現したい世界とはどのようなものでしょうか?

正直まだうまく言語化出来ていません。漠然と描いているのは、日本の若者が変わるきっかけを得られる環境を日本中に作っていきたいということ。決して教育機関を作りたいわけではありません。中学や高校、大学では得られないような経験・繋がりを持てる環境を若者に提供し、彼らが思うがままに感じて、自分なりの価値観を形成し、自分だけの道を選んで生きて行けるよう支援していきたいのです。

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:海崎 泰宏
デザイナー:高橋りえ(Twitter