「自分らしさがある言葉を大切に」ディレクター森太毅が語る “生き方” とは?

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第396回目となる今回は、株式会社PIGNUSでWEB系の新規事業企画/ディレクターをされている森太毅(もり だいき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在新規事業に取り組んでいらっしゃる森さん。そんな森さんは幼少期から大学生の頃まで教員を志していました。なぜ教員ではなく会社で働くことを選んだのか、また多様なキャリア経験の中でなぜ新規事業を選んだのか。その背景を森さんの半生とともに紐解いていきます。

多様なキャリアを通じて「何でも屋」に

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

初めまして!森太毅です。2017年卒で、今年で社会人5年目です。これまで5つほどの会社を渡り歩いてきました。新卒から2社はメガベンチャー、その後はスタートアップで新卒メインの採用や上場準備の手伝い、事業立ち上げをしていました。

そしてフリーランスの期間を少し挟み、現在はITベンチャーで新規事業領域の企画屋さんと事業開発、加えて人事領域にも携わっています。

ー本当に様々なご経験をされていますね!現在のお仕事は主に新規事業企画とのことですが、具体的にどんなことをされているのでしょうか?

今はSaaS選定支援サービスを作っています。作るものは「システム開発 (メディアやアプリなど)」「システム内のコンテンツ」という2つがあるのですが、一応どちらにも関わっています。仕事の全体観としては、モノ全体の企画に始まり、それを仕様に落とし、実際に作るという流れですね。実務担当とディレクションを切り分けるフェーズでもないため、全て自分でやる感じです(笑)。

心身ともに辛かった幼少期、恩師との出会い

ーご出身はどちらでしょうか?また、幼少期に印象に残っていることはありますか?

芸人のダウンタウンさんと同じ、兵庫県の尼崎市出身です。小学生時代で記憶に残っているのはいじめられていたことですかね。僕的にはいじめとは言いたくありませんが、傍から見たらいじめられている状態だったと思います。僕は当時太っていたのですが、やっぱり太っている子はいじめられやすいじゃないですか。それでデブと言われてたり、金属バットでお尻を殴られたりしていましたね。

また、両親が元ヤンで母方の祖母はそれ以上にやばめなヤンキーでしたので、家庭的に「男の子で腕っぷしが弱いのはだめ」のが暗黙の了解でした。でも僕は平和主義で喧嘩の意思もなければ、経験もないので弱い方なわけです。なのでまあ、外でしばかれると中でもしばかれる、みたいな印象もあり、なかなか本音を話せないみたいなのはありましたかね。

ーそうだったんですね……。

そんな日々が続き、5年生くらいの時にやり返したら今度は無視され始めました(笑)。僕自身あまり覚えていないのですが、やり返した時はサイコパスチックなほどボコボコにしてたらしいです。そこから空気のような扱いになりました。個人的には「何もしなければ何もされない」と思うと気持ちが楽で、安全を手に入れられたと感じました。

しかしながら生きる上で、他人とのコミュニケーションは一定必要だと気がついたのも当時です。そのきっかけとなった恩師がいまして、おかげさまで普通の生活を送れています。そのような背景から、恩師に憧れ、大学卒業目前までは教員を目指していました

ー現在のお仕事でも人と人の間に立たれていることが多いと感じたのですが、幼少期のご経験が価値観のようになっているのでしょうか?

価値観とは異なると思います。基本的に、価値観は好き嫌いと同義で、僕は人の間にいるのは好きではありません。しかしながら、人の間に立って仕事をするスキルはもしかするとあるかもしれませんね。

ーなるほど。中高生の頃はどのように過ごされていましたか?

大きな出来事といえば、父親の起業が失敗し、借金一家になったことですかね。建築の領域での起業でした。父親は土木の人で、元は大工になりたかったものの間違えて工務店に面接に行き、結果として現場監督をすることになったそうです。

工務店は施工管理をするPM(Project Manager)をたくさん抱えているイメージで、大工さんはエンジニアのような職人というイメージを持っていただくと分かりやすいかなと思います。

父親は目立ちたがりで「自分が主役!」みたいな人だったこともあり自分で事業を起こしました。人が良かったので顔が広く、それを活かして工務店と大工さんを繋ぐという人材派遣や人材紹介に近いサービスを建築業界で1人でやっていました。

正直僕自身は起業はやめておいた方がいいなと思っていました。もともと裕福な家庭ではなかったので貯金もなくて。そんな中、家の貯金100万円を自己資金にして事業を始めていました。両親が喧嘩していたことをぼんやりと覚えています。

教育実習直前での気づき、そして就職へ

ー激動の幼少期を送られていた森さんですが、大学生活はいかがでしたか?

大学を選ぶ際に「絶対にここに行きたい!」というのはありませんでしたが、小学校の頃から教員になりたいという夢は続いていたので、教員免許を取れることが必須条件で他にいくつか条件を考えて探していました。

その条件は「汎用性が高い(教育以外も学べる)」「学費が安い」「Fランと呼ばれるところではない」「受験をしなくていい(受験料がかかるのを避けるため)」という感じでしたね。やっぱり専門学校に行くなら就職をしたほうがいいと思っていましたし、金銭的に受験料がかかるのは避けたかったです。

そして結果的に、指定校推薦で受験料が不要だった関西大学の法学部に進学することになりました。

ーなるほど…!大学生活で印象的だったことはありますか?

気づいたら保証人になっていたことですかね。個人負債が3000万円くらいありました(笑)。日中は教員免許用の授業を受け、夜はバーテンダーとして働いていました。

ー教員ではなく企業への就職になった背景や経緯はどんなものだったのでしょう?

教育実習に行く前後で、教員採用試験の勉強もしていたのですが「何か違うな」と思ったんですよね。当時何を思ったかというと「新卒でいきなり教員になったらそれこそ汎用的じゃない」「自分が社会を見ていないのに、生徒たちに偉そうなことを言えない」ということでした。

また、就職せずに教員になるのは学校社会しか知らないことになるので、ほとんどの生徒が就職するのに自分は就職について語れないなと感じてしまいました。だから「新卒に教員じゃなくていいのでは?」と思い、就職しようと決めました。

ーそうだったんですね。新卒で入社された会社に入ろうと思った背景は何でしたか?

関西圏で勢いのあるベンチャーが2社あったのですが、オーソドックスじゃない方を選びました(笑)。理由は何となくで、合わないと感じる根拠もなんとなくでした。でも実際、就活している時は割とみんなそうなのかなと思うんですよね。

ただ、今振り返ってみると「同期になりうる人と話が弾みそうか」「社員さんの話を聞いてすごいと思うかどうか」を意識していたかもしれないです。

ーそこではどんな仕事をされていたのですか?もともとその領域に興味があったのでしょうか?

医療系の人材紹介をしていたのですが、もともと興味があったわけではないですね(笑)。当時は興味のある仕事がなかったのが大きいです。

新規事業企画との出会い、モノ作りへの想い

ー新規事業企画の担当になったきっかけは何で、どの会社で働いている時でしたか?

職種を詳しく知ったのは前職です。当時採用をしていたので職種を調べたり聞いたりした中で知りました。ただ、新規事業という言葉はそう珍しいものではなかったため、存在自体はもっと前から知っていたと思います。

もともと新規事業企画をやるつもりはありませんでしたが「モノを作ってみたい」とは思っていました。一般的に仕事やキャリアは逆算で考えることが正しいとされていますが、自分はその場その場でやりたいことや興味あることをやるのが好きなタイプで、飽きがくるのも速かったです。

それを考えると、前職は社長直下・役員直下でいろいろやらせてもらえて、たくさんの知見を得ることができたのでよかったです。でも前職は、SaaSのようなしっかりした開発が必要になるプロダクトを持っておらず……。やっぱり無形商材を扱うビジネスはシンプルな構図で労働集約的、かつ商材の開発よりも商材を売る人の方が重要になってくるようなモデルになりがちだと思うのですが、僕自身それに飽きてしまったんです。

しかし、モノ作りをどうしても諦めきれず、転職を考えるようになりました。見ていたのは有形のプロダクト(IT含め)を持ってるところ、かつ自分の経歴で即戦力になれそうなところでした。業界的にはHRで、職種的には、経営企画・事業推進・事業企画あたりに落ち着くかと思っていました。そうして探している時に今いる会社から声をかけてもらいました。PIGNUSは広告代理店がメイン事業で、HRとはかけ離れていましたが「広く、浅い」タイプであることを評価していただき、ご縁をいただきました。

ーそうだったんですね。やはり製品そのもので勝負したいという想いが強かったのでしょうか?

強くなりました。営業も良いもの売りたいと思っているはずですが、それが売れるかどうかは商材にかかっており、普通は営業がコントロールできないんですよね。

でも、無形商材はコントロールできている感が出てしまうんです。本当に良いかは分からないけれど、営業が信じれば良いものとなってしまう。だから「商材を愛しているか」「会社が好きか」というのが、成果に起因することがあるんだと思います。

ただ、僕はそういう雰囲気に染まり切れませんでした。やっぱり画期的で爆裂に良いものを売っているとは言えないし、作り手にまわらないと良いものにはならないなと。事業立ち上げなどを経験していく中で「自分で良いものを作って売る体験をしてみたい」という想いが強くなったと思います。

自分自身の言葉を大切にしたい

ー今回のインタビュータイトルにある「自分自身の言葉を探そう」という言葉にはどのような想いが込められているのでしょうか?

今、世の中って便利な言葉が多いじゃないですか。抽象的に共通認識が取れてしまうような言葉のことで、ビジネスで使う横文字をイメージしてもらうと分かりやすいかなと思います。横文字ではありませんが「成長」も1つの例ですね。「成長」1つとっても、人それぞれ考える意味が違うにも関わらず、「成長」という言葉を使えば共通認識が取れている感じがするという。

また、SNSやLINEなどのチャットが普及することで、いくつかの制限の中で自分の言葉で表現することが増えましたよね。それこそ論文を書かない限り、膨大な文章量で自分の考えをちゃんとアウトプットする機会がなく、汎用的な言語を使わざるを得なくなってくると思います。

だからこそ「自分が今使っている言葉は汎用的なものか」「自分のオリジナリティのある言葉なのか」を考える必要があるなと。その棲み分けをしないと理解した気になり、互いの認識がずれてしまうので。あとは、自分を表現するためにも、オリジナリティのある言葉を使う方が自分のことを相手に理解してもらいやすいのではないかと考えています。

ー本当にこれまで様々な経験をされてきた森さんですが、幼少期のような生きづらさはなくなりましたか?

今でも生きづらいと思いますね。たぶん「社会に出て生きやすい」というのはありえないです。生きることはメリットも多いですが、被るデメリットも多いと思うんです。死後の世界の方がメリット、デメリットの幅が狭く、楽だとは思います。僕は楽が好きなので、生きやすいかと聞かれたら生きづらいですし、「楽しく毎日生存してます!」という感じではないですね(笑)。

ー最後に、森さんの今後の展望や死ぬまでにやりたいことがありましたら教えてください!

ウミガメに乗りながらカリブ海を探検して、そのまま溺れて死にたいですね。これは高校生の頃から何となく思っています。やっぱり漫画の世界と現実ってかけ離れてるじゃないですか。でも、死ぬ間際くらいはその漫画に近い世界で死にたいなと。それが「ウミガメに乗りながら死にたい」でした。

アイドルプロデュースとか、古着屋とかはやってみたいですが、カメに乗って死ぬこと以上の夢はないです。

ー本日は素晴らしいお話をありがとうございました!森さんの今後のさらなるご活躍を楽しみにしています!

執筆:庄司友里(Twitter
インタビュー:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter