欲しい物を自分たちで生み出せる社会を。寺嶋瑞仁が力を注ぐ物作りへの思い

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第431回目となる今回は、株式会社CuboRex代表の寺嶋瑞仁(てらしまみずひと)さんです。

幼少期から物作りが身近だった寺嶋さん。小学生の頃には「動く物が作りたい」と高等専門学校への進学を志します。現在は、欲しいものを自分たちの手で開発できる社会を実現するために奮闘されています。そのようなビジョンを持ったきっかけや、寺嶋さんの物作りに対する情熱を伺いました。

自分の手で物を作ることが当たり前だった

ー初めに自己紹介をお願いいたします。

株式会社CuboRex(以下、CuboRex)代表取締役社長の寺嶋瑞仁と申します。和歌山県有田出身で、工業系の和歌山工業高等専門学校(以下、高専)でロボットの開発をしておりました。その後は、さらに物作りに対する思いを叶えるために長岡技術科学大学に進み、学部在学中にCuboRexを含めた3社を立ち上げ、数年前に卒業しました。現在はCuboRex以外のうち一社は別のものが運営し、もう一社は倒産しました。

CuboRexでは、道なき未知を切り拓く「不整地のパイオニア」として、農業や林業といった不整地産業に貢献できるプロダクトを開発することで社会貢献を目指しています。また、特に不整地産業に関わるユーザー自身が欲しいものを作って利用できることが当たり前になる社会を実現しようと事業に取り組んでいます。

ー和歌山のみかん農家さんが多い地域出身とのことですが、幼少期からどのように育ったのでしょうか?

田舎の生まれなので、チャンバラや弓矢、秘密基地などのおもちゃは自分でつくる環境でした。近所の農家さんもご自身で農具などを手作りされている方が多かったですね。近場には遊び場となった工場もあり、自然科学を学びながら物作りができるので、恵まれた環境でした。

家庭では、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントが工具だったんです(笑)。私の母は物作りが好きな人で、私も母を見て育ったので何かを作ることは好きだったからだと思います。当時サンタさんを信じていたので、サンタさんからのプレゼントが工業用ナイフだったのはさすがに驚きましたけど(笑)。

ーそれは驚きますね。ちなみにお母様はどのようなものを作られていたんですか?

実は私の実家はお寺で、仏壇仏具というお寺にとって必要なものは母が作っています。お寺の祭事に必要なものは、年に一回や数年に一回しか使わないものが多いんですよ。買うと高いので、母が裁縫や木を削ることで作っていますね。私も幼少期から手伝うのが楽しかったです。あとは仏壇もボロボロのものを引き取って、自分で本格的に作り直しています。

ー仏間もつくれるんですね!ご実家がお寺ということは、寺嶋さんもお寺の仕事をされているのですか?

現在は、定期的に本山で修行をしている身です。お盆の時期やお葬式のときのお勤めをやらせていただいております。

ー寺嶋さんの新たな一面が知れてうれしいです。小学校生活はどう過ごされていましたか?

小学生の頃はものづくりと書道に熱中していました。母が書道の師範代だったので、書道を実践する機会はたくさんありました。書道を通して、日本語の美しさを実感しました。その頃の将来の夢は書道家でしたね。また、家にたくさんの本があったので、読書も好きでしたね。当時は三国志や戦国史に夢中でした。

ー当時からご自身が興味あるものや好きなものに気づいていたのですね。

そうですね。幸い両親がさまざまな体験を与えてくれたのは大きいですね。さらに、地域全体で子どもたちを育ててくれる地域で育ったので、自分は何が好きなのかを知るためにたくさんの体験をさせてもらった小学生時代でした。

ー幅広くいろんなことに触れられる環境だったんですね。そこから中学生になり、和歌山高専に進学しようと思い始めた経緯はなんだったのでしょうか?

実は小学生の頃に、高専に進学しようと決めていました。きっかけは、高専が定期的におこなっている出前授業です。私の小学校でも、公開講座やロボットコンテスト(以下、ロボコン)のロボットを使った実演をしてくれたんです。その時は二足歩行をして目的地まで向かうロボットを見たのですが、「こんなに複雑な動きをするものが自分たちでも作れるのか」と驚きました。なぜなら、今までの物作りはすべて静止物、つまり動かない物だったからです。高専に進学すると、ロボコンのロボットのような高いレベルの物が作れることを知りました。その瞬間に、動く物を作りたいという欲求が目覚めたんです。その欲求を実現するためには、工業高校か高等専門学校に行くしかなかった。最終的には高専を選びました。

先人たちの技術や知恵の積み重ねが現在の開発に繋がる

ー高専ではどのような生活を送っていたのでしょうか?

機能機械工学科でメカトロニクスについて学びました。高専では、一年生から三年生までは授業で学んだことも活かしながらロボコン用のロボット作りに熱中しました。理論と実践が両方できる最高な環境でしたね。実戦だけだと工夫は身につきますが、発明するには実戦だけだと足りない部分が多く、理論だけだと頭でっかちになってしまう。実践と理論があってこそ、より良いものを作る土台ができていると思います。

ー当時ロボコンに熱中していたそうですが、どのように取り組まれましたか?

1年生から5年生までの約30人ほどのチームでした。活動は授業後から夜遅くまで没頭していました。

改めて振り返ると、ロボコンに熱中できるメンバーや環境にも非常に恵まれていました。幸いにも先輩たちのプロダクト設計図や技術資料を見ることができたんです。資料を残してくれた先輩たちには感謝しています。当時は、動く物を作った経験はそれほど多くなくて。そのなかで2年生のときに準優勝できたのは、先輩たちの積み重ねのおかげでした。

ーロボコンで競ったロボットはどのような仕様でしたか?

“ウメんライダー”という歩行ロボットです。準優勝したロボコンの競技は、二足歩行をして人を運搬するのがお題でした。かなりの速度で走るロボットを作りましたね。10台ほど試作して完成させました。

ー失敗しながら試作を重ねて、次につながるヒントをもとにアップデートを続ける過程は、決して楽なことではないと思います。寺嶋さんやチームのみなさんがそれを乗り越えられたモチベーションは何だったのでしょうか?

難しい質問ですね。なぜかというと、僕たちにとって試作を続けながらアップデートすることは当然だからです。目標があって、より良いものを作る余地があるならトライしない理由はないですね。

ー高専を卒業後、長岡技術科学大学に進学されたそうですが、大学に進もうと思った経緯を教えてください。

高専4年生までは大学に進む気はなくて、就職するつもりでした。けれど、物作りへの欲求は常にありました。そのときに親友から、作りたい物への想いがあるなら大学に進学したほうがいいと勧められたんですよね。大学に進んだほうが、今よりさらにおもしろい物や、より良いものを作る機会に恵まれるとアドバイスをもらったのが、大学に進むことを決めたきっかけです。
そのなかで長岡技術大学に進もうと思った理由の一つに、雪国に対するあこがれがありました。それに高専時代はレスキュー用ロボットシステムの開発をしていたので、そのシステムを雪国で試してみたい気持ちも強かったですね。雪国の環境で使ったら、さらにおもしろいことができるのではないかと考え、本州でもっとも豪雪地帯にある長岡技術科学大学工学部に進みました。

ー実際に雪国に住んでみて、いかがでしたか?

憧れていた雪国の生活だったのに、すぐにしんどくなってしまったんです。最初は楽しかったけど、雪に慣れていない自分にとって生活するのは厳しかったですね。蛇口から水も出ないほど寒いし、雪でなかなか外出できないし、車も持っていなかったので交通手段もほとんどない状況下でした。ただし、車があるからなんとかなる状況ではなく、ほぼ毎朝交通麻痺状態になります。公共交通機関が発達した地域でない限り、一人一台車がないと移動や生活が難しい環境でした。雪が積もるとバイクも乗れませんからね。

ーそのような環境で大学在学中に、雪上モビリティを開発するのも雪国の土地ならではの着想だと思います。どのような経緯で開発・着手に至りましたか?

“クローラ”と呼ばれる帯状の走行装置を設置した走行ユニットの開発をしていたので、クローラを使った乗り物を作る予定でした。でも雪国の生活を経験して、クローラが雪国の乗り物として使えるのではないかと思ったんです。それが可能なら車がなくても雪国で生活できそうだと思い、自分自身が欲しかったので、学部時代に雪上モビリティを作ろうと決めましたね。当時、クローラーロボットを自作していたため、まずは試作段階からスタートしました。

ー通学すら不便だったので、なにかできることはないかという考えと、当時お持ちのアイデアや技術でご自身が欲しいものを作ってみたのですね。

はい。目標はありましたが、いきなり完成品を作ろうという考え方はなかったですね。最初はCuBoという製品を作りましたが、旋回できないしバランスもよくない。

この形から始まり、日々の開発の積み重ねで、今ではモノや人を運べるようになりました。私は最初から完璧な製品が作れたわけではありません。最初はうまくいかなかったけど、数年の過程を経て、今では雪上で走れる世界初の乗り物が完成しました。

ー寺嶋さんの映像を拝見し、リアルな製造の過程や背景が想像できました。こういった記録が残っていることは、後世の作り手にとっても重要な資料になりますよね。

そうですね。高専時代に先輩から受け継がれた資料や技術のように、たった一人のアイデアや力量で作るのではなく、繋いでいく世界だと感じています。私が作った製品だとしても、実際は完成に至るまでに、先人たちが残した多くの知恵や技術の積み重ねを活用している。同じように私が作った製品が、次の世代に繋がっていく感覚を持っています。

共に切磋琢磨し開発できる仲間をつくりたい

ー冒頭で会社のビジョンを「不整地のパイオニア」とおっしゃっていましたが、これは起業されたときに考えたものですか?

いえ、実は言語化できたのは2021年3月なんです。起業したのが2016年なので、少し経ってからのことですね。もちろん言語化できるまでの間も自分で考えていました。例えばCuGoを作っていた時代は、「道路に依存しない自由に移動できる社会を作る」というビジョンを掲げていました。CuboRexのミッション・ビジョン・バリューを見ると、実はいくつもの変遷を辿っています。コンテンツに対してコミットするのも重要ですが、自分たちが本当にコミットしたいことは、自分たちが必要な欲しいものを作ることです。一人ひとりが必要なものを作れる社会にすることにコミットしたい。

例えばスマートフォンはカバーをつけたり、好きなアプリをダウンロードしたりして、自分仕様にカスタマイズしますよね。けれども、電子レンジは自分用にカスタマイズすることはほとんどありません。要するに、ユーザー自身がカスタムできるようになると、同じプロダクトでもユーザーが個々人で豊かになれます。現在スマートフォンなどのソフトウェアは可能になっていますが、不整地産業、つまり農業や建築、土木が同じように個人でカスタマイズできるようになると、社会に対する貢献度が大きいと思っています。なぜなら、農業や林業、土木業がおこなっている業務は、一年を通して同じ内容がないからです。

建築関連でも現場ごとに内容が違うので、まったく同じ条件の現場というものは存在しない。それぞれの現場に対応できる機械が存在するのは素晴らしいけれど、機械を揃えないといけないのは大変ですよね。もしくは必要だと思う機械が存在していないかもしれません。その場合、自分自身で機械を開発して利用できたほうがいいと思うんです。スマートフォンのアプリのようなイメージです。その仕組みを私たちは提供したいと思っています。

物作りを普段しない人にとっては難しいと感じるかもしれません。けれど、スマートフォン本体を作ることはできなくてもカスタマイズできる仕組みさえあれば、慣れていない人でも自分好みにできると思います。そのような仕組みを設計して、レゴを組み立てるような形でみなさんが使うものを自分で作れるようになると、私たちが目指す「利用者自身がものを作り、利用できる社会」に貢献できる。欲しいものを作る形のひとつの方法として、私たちは事業をおこなっております。

ー最後に、今後どのようなことに挑戦したいかなど寺嶋さんの展望を教えてください。

最終的に目指したいのは、自分たちと関わる人みんなが開発仲間になることです。要するに、自分たちが欲しいものを作り、自分自身で利用することが当たり前になる関係性を築きたい。作ったものを開発仲間で発表することが日常でおこなわれる世界が理想です。それに日々感じる不便も仲間で共有したり、一緒に解決策を出し合ったりしたいですね。作って利用したい製品に対して、規制や概念がハードルで難しいとなったときに諦めるのではなく、法律面や人間関係、常識を含めて一緒に解決策を考えられる仲間が当たり前にいる世の中を実現したいです。なぜなら、一人でやれることには限界があると思います。だから開発仲間を増やして、実現できる幅や量を増やしたいですね。ぜひ、僕の開発仲間になってくれると嬉しいです。

取材:山崎 貴大(Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter